144 最終決戦
いよいよ最終決戦です。
一瞬目の前がチカッとしたかと思ったら、次の瞬間には薄明るい灰色の世界にいた。
以前入った黒真珠の異空間みたいに、地面も天井も終わりすら何もないけど、不思議と怖いとは感じなかった。
玄武のメイさんも言っていたけど、暑くも寒くもなく、亜空間の中は何かに包まれているような不思議な安心感があった。
ふと、王子と手を繋いだままということに気付く。王子を見ると、その安心を追加するように、少しおどけたように肩を竦めて見せてくれた。
周りを見ると、目の前に大きな画面が浮かび上がる。スキルボードに似た画面だったけど、私たちの視界を埋めるような大きさだった。
その画面がフッと白くなり、何かが映し出された。
それは、以前見た黒真珠の中のエルセの記憶と似ているけれど、どこか視点が違うような気がした。
目の前に、豪華な古代の中国風の正装をした、とても綺麗な男性が立っている。黒髪に映える煌びやかな冠のようなものを被っていて、その人の身分が相当高いことが分かる。
その人がこちらに向かって微笑むと、画面が揺れてその人に近付いていく。
ああ、この画面は、誰かの目線で見ている映像なんだ。
その人の近くまで来ると、画面の端に女性のものと思われる華奢な白い手が映って、目の前の人の胸にそっと当てられたと思ったら、視界が全部その男性の服でいっぱいになる。多分、この白い手の持ち主が、目の前の男性に抱きしめられたのだと思う。
視界が上向きになると、至近距離に目を奪われるような甘い微笑みを浮かべる男性の顔があった。
その瞳は、黒混じりの青色だった。
この二人は恋人同士なのかもしれない。
急に場面が変わった。
次に見えたのは、原野のような広く荒れた場所で、遠くに巨大な樹が見える。不思議な形で初めて見る樹だけど、何となくそれがユグドラシルだと分かった。
ここはもしかすると、昔のエルセ?
ただ今とは違って、空は鉛色なのに七色に光っていて、大地は夕陽もないのに赤かった。
何かが触れただけで世界が崩れる。そんな不穏な風景だった。
そしてそこには、いくつかの大きな影が横たわっていた。
『鳳、麟、亀、竜。すまぬ、我が力が及ばぬばかりに……』
先ほどの幸せそうな笑顔を浮かべていた男性が、今度は深い苦悩に顔を歪めている。
『この世界の半分さえ、我と四霊をもってしても支えられぬと言うのか』
横たわる大きな影は、男性が触れると砂のように崩れてしまった。
その砂は、風もないのに包むように男性を囲み、やがて吸い込まれるようにその体に溶けていった。同じく男性の体も輪郭が曖昧になっていく。
『主よ。我ら五佐もお使いください。幾ばくかの助けとなりましょう』
そう男性に恭しく言うのは、金色の竜だった。その後ろには白虎さんがいる。
もしかすると五佐って、金の竜と白虎さんたち四獣のみんなのこと?
その人は、金の竜の言葉に静かに目を瞑った。
『黄龍よ。我と命運を共にしてくれるか? 白虎。そなたら四獣には、我らが眠る地を護ってほしい。何人も眠りの地を侵さぬよう』
『…………御意』
白虎さんは、長い長い時間をかけて返事をした。哀しい声だった。
その答えの後、その人はこちらを向いた。
『××××、待たせたな。ユグドラシルで安定した西とは違い、蓬莱を持って来れなんだ東は何とも脆いことだ。この世界に来て、五百もの年月が過ぎたが、これが限界のようだ。我が礎となり、安定まで眠りに就こう。次に目覚める時は、そなたと共にあれる世になっていれば良いが。そなたの名と同じ「未来」にすべてを託そう』
寂しくも甘やかに笑うその人に、視線の女性は頷いたようだった。
男性は確かに女性の名前を呼んだのに、その音を聞くことはできなかった。同じように男性の名前を女性も呼んだけれど、同じようにその名前が音になることはなかった。
「神としての名を封じられたようだ。まさに生贄だな」
王子が同じ映像を見て淡々と呟く。どういった感情を乗せたらいいのか分からないからだ。神様は存在を認識されることが力になると言っていたのに、名前を奪われるというのは、存在を否定され、力を奪われるのと同じ意味だから。
その間にも映像は進み、男性が黄龍と呼ばれた金の竜と溶け合っていた。金の竜身となった男性は、深く大地に沈んでいった。
また場面が変わる。
『約束が違います! この地は救済のための世界ではないのですか!?』
女性が何かに向かって叫ぶ。虚空というのには重い質量を感じる暗い場所に向かって。
女性の横には、巨大な鎖に直接体を貫かれた金の竜がいる。その傷口からは徐々に黒い靄が血のように流れている。
地球の神様たちにとっての脅威がエルセに移った後、金の竜となったあの男性を、地球の神様たちは逆流を封じるように地球へ繋がる道の栓のようにしてしまった。
神様というのは、創造主でもあるのと同時に荒ぶるものでもあって、竜身となった男性は、自分が苦心して守ろうとしたエルセを蝕む存在になってしまった。
『ああ、△△。いつか、私が貴方をここから解放します。だから、どうか、救いを諦めないでください』
女性がせめてものあがきと、自分の治める西側の地深くに眠らせ、その上に迷宮を築いて誰も傷付けぬよう封じた。
それでも深い怨嗟は、徐々に地上に沁み出していった。
また風景が変わった。
多くの人間が、大きな円を描く光の周りに集まり、その中に二人の人間が現れたのを見て歓喜した。
その二人は、夕奈さんと綾人君だった。
その聖女召喚の魔法陣は、どこか竜身となった男性を封じた陣に似ている。その感覚を肯定するように、王子が気付いたことを教えてくれる。
「あの陣はそもそも女神を召喚する陣で、『聖女召喚』はその派生形と伝わっているが、その実は断たれた地球とエルセを繋ぐものだったようだ」
すると頭の中に、言葉ではないけれどその事実を裏付けする知識が湧いた。もしかして、女神様?
その知識が示すのは、さすがにエルセの蝕まれる現状に後ろめたさのあった神様たちが、一度だけエルセの救済のために、地球との道を開く『聖女召喚』を許可したようだった。
だけど女神様は、その召喚を機に、地球との細い繋がりを確保することに成功した。そうして、力の源であるエーテルを得られた。
元々地球から追われて幻想となった神様や魔獣たちは、地球での力を揮うためのエネルギー源であるエーテルをめぐって争って敗れた存在だから、女神様にとってどれほど重要な糧になったことか。
夕奈さんと綾人君がこちらに来て、最初の道ができた。そして、その三百年後に、王子が再びその道を繋げて有紗ちゃんと私が来たことにより、そのパイプが安定したものになったと思われるとのこと。
「お前がスキルを使うことは、魔法陣と同じ原理で、向こうの力を呼び寄せる効果があったんだろう。お前がスキルを使うたび、どんどんレベルが上がっていったのは、お前を通して女神が得られるエーテルの量が増えていったからだろうな。〝ポイント〟と言っているものは、女神が向こうへ影響を及ぼす力を変換するために必要な燃料で、結果お前が得たものは、地球から得たエーテルの代価なのかもな」
王子が言うのには、いかに女神様だって『対価』がなければ力を揮うことはできなのだろうと。〝自己犠牲〟も何かを賭けなければ発動しないのもそのせいのようだ。
うーん、難しくてよく分からないけど、私がスキルを使うことによって、女神様がこの世界で揮える力が増えたってことでいいかな。
地球の神様たちからしたら微々たる量、でもこちらの世界では絶大な力を発揮する。
その最後の仕上げが、私のスキルの〝回帰〟だったようだ。
「でも、最初から女神様が〝回帰〟を使えば良かったんじゃ?」
「おそらく、女神が直接動くと、ここを封じた神々に気付かれるからだろうな」
神様は神様のことは監視するけど、人間が動く分には気にも留めないのか。
だから、人間が行った〝偶然〟が必要だった。
そして、画面が外の様子に切り替わる。私たちが亜空間収納の中に入った隙に、龍はまた鎖に引き戻されてしまっていた。
その画像はただの画像だというのに、何故か胸が苦しくなるほど哀しく感じた。
これはきっと、スキル……女神様の感情だ。
かつて自分が封じた恋人だったかもしれない人の、救いのない姿を哀しんでいる。
「絶対に助けたいね」
「ああ」
もう一度、王子の手を握って呟くと、王子も同じ答えを返してくれた。
「王子。私ね、王子の命を繋ぐために、『万能の霊薬』の素材を集めていたの。もし、『呪いの護符』の対価にその素材がなくなってしまったら、ごめんね。でも、もう一度必ず手に入れるから、許してくれる?」
今、私が持っているエリクサーの材料は、『賢者の石』だ。あと分かっているのはキノコ大根だけど、多分まだ素材が足りない。ノームたちがまたくれるかは分からないけど、ダメでもノームたちを何とか説得してもらおうと思う。
これまで秘密にしてきたことを王子にそっと打ち明けると、王子が突然私に口付けた。
息が出来ないくらい深くて、何度も何度も重なる唇に頭の芯が痺れたようになる。
多分、時間にしたらそんなにしなかったかもしれないけど、ようやく唇が離れた時、王子が切なそうに私を見つめた。
「お前のことが好きすぎて、おかしくなりそうだ。どれだけお前のことを好きになれば、この感情に終わりが来るのか分からなくて怖ぇよ」
そんな嬉しい苦情もあるんだね。
私もね、他の人のために、自分の命を後回しにできる王子のことが、好きで好きで堪らないんだ。
「私たち、お揃いだね」
そう言うと、もう一度軽く唇を合わせて、お互いに笑った。
そして、画面に向き合う。
「じゃあ、始めるね」
気合いを入れ直して、首に掛けた『呪いの護符』を握ってからスキルボードを操作しようとすると、いつものように画面が出てこない。
代わりに〝亜空間の中での操作は、音声操作に変わります〟と頭に浮かんできた。多分、この目の前の画面が外の世界のスキルボードなんだろう。そう言えば、ずっと前にボード操作じゃなくても、ポイント交換ができるようになってたんだ。
「呪いの護符を使用。スキル〝自己犠牲〟の災いを相殺」
〝呪いの護符の使用要件をスキル〝自己犠牲〟の効果完了時とします。引き続き〝自己犠牲〟を発動しますか? YES/NO〟
「YES」
〝自己犠牲の発動に伴い、願いを一つ叶えられます。願いを登録してください〟
「龍をあの鎖から、神様たちの枷から解き放って!」
私が願いを告げると、画面がひと際明るく光った。
〝願いを登録しました。〝自己犠牲〟を発動します〟
先に願いが実行され、後から対価が発生するようだ。
画面では、お父さんが〝破壊〟で壊す傍から生える鎖が映っていたけれど、〝自己犠牲〟の発動と同時に、空から巨大な槍が降ってきた。
そして、完全に龍を縛る何条もの鎖を全て断ち切った。三十くらい数える時間が経っても、次の鎖は生えてこなかった。
「やった! それじゃ、〝回帰〟!」
私がスキルを宣言すると、目の前の画面からスッと龍が入ってきた。
力なく倒れ伏している龍は、瘴気を削られてもう二十メートルもないくらいの大きさになっている。その優美な長い体躯を光が包もうとしていた。
でも何故か、そこから先が進まない。
「おかしい。〝自己犠牲〟が完成したなら、必ず知らせが来るはずなのに」
王子がポツリと言うのとほぼ同時に、目の前の光が弾け飛んだ。
まだ、鎖は完全に消滅していなかった。その証拠に、龍の首に黒い影が浮かんできた。
「くそ! これでも駄目なのか!」
王子の声に合わせるように、亜空間内がガガガと揺れた。外からこのスキルの中に侵入しようとしているようだ。
もう地球の神様たちはこの世界を見捨てたはずなのに、まだこれだけ強い制約をこの世界に科しているのかと愕然とする。
もう、やめて!
叫びたくなる衝動が湧き上がるけど、ふと私は思い出した。まだ終わりじゃない。
「スキル、ううん、女神様! まだアイテムを消費してなければ、ウルズさんがくれたお守りを使ってください!」
虚空に向かって声を上げる。
王子はびっくりしていたけど、そう言えばまだ言ってなかったっけ。
ユグドラシルの根っこを『聖水』で治した対価でもらったヤツ。悪い運命を一度だけ半減できるお守りだ。
〝運命の女神ウルズの木片を使用します〟
音声が響いたと同時に、龍の首の戒めがバキッと音がしてひびが入った。外れかけているけれど、まだ剥がれる様子はない。
もう、しつこい!
「もう一押しなんだがな。……ん?」
王子が悔しがっていると、何かに気付いたように自分の肩を見た。
私も目を向けると、肩に掛けていたリウィアさんから借りてきた神話級武器の烏号が、「おぉーん」と鳴っている。繰り返すその音は、まるで咽び泣いているかのような音だった。
そして、その音に呼応するように龍が首をもたげた。どうやら戒めが緩んで、起き上がれるようだ。
王子は攻撃を警戒したけれど、私には微かだけれどその黒混じりの青い目に理性が戻ったように見えた。
ひと際高く、烏号が鳴り響くと、龍も呼応して鳴いた。すると、烏号の形が溶けて、ポトッと地面に落ちる。
それは弓ではなくて、一本の金の鏃を持つ矢になっていた。
「これで射ろ、ということか。でも弓がない。おそらく、下手な弓だと矢に負けるだろうな」
ポイント交換で弓は交換できるけど、それは普通の武器だ。神話級武器の烏号が変化した矢なら、同じ神話級武器の弓じゃないとだめということ。
でも、神話級武器は全部外にいる人達が使っているし、そもそも弓は烏号一つしか……。
「「あ、あった」」
私と王子の声が重なった。私は自分の手首を握る。
セリカに行く前の夜、王子と二人きりになった夜に、偶然あるアイテムが神話級武器になることを知ったんだった。
お父さんがくれた、ユグドラシルに生えたヤドリギのブレスレット!
「女神様! これを弓に!」
私が手首に嵌っていたヤドリギのブレスレットを外すと、それはスッと虚空に消えた。
〝魔弓『ミストルティン』を開放します〟
女神様の通知と一緒に、ブレスレットが消えた虚空から、大きな弓が落ちてきた。慌てて王子が受け止める。
それは、私の身長くらいある木質の大弓で、所々ヤドリギの若い芽が絡まった優美な意匠の弓だった。大きな弓だけど、驚くほど軽いらしい。
王子が落ちた矢を拾うと驚いたように目を瞠った。
「ハル。一緒に矢を射よう」
「え? 私、弓なんて使ったことないから足手まといだよ」
「いや、この矢と弓なら、狙いを違えることはない。心配するな、俺も一緒に射るから。これは、お前の手で届けるべきだ」
そう言って王子は、私に烏号からできた矢を握らせた。その途端、私の中にいろいろな想いが流れ込んでくる。
烏号は、目の前にいる名前を奪われた神様の龍からできた弓だった。
そして、それを作ったのはやはり名前を奪われた女神様。
どうりで綾人君に、この烏号を作った記憶がなかった訳だね。
その烏号が姿を変えた矢からは、龍のこの世界を救いたい想い、女神様の世界と龍を救いたいという想い、それぞれが溢れて奔流のように流れ込んできた。
王子が、私の手で届けるべきだ、と言った意味が分かった。
私は王子を見て頷いた。王子は私を背中から包み込むように腕を回し、二人で一緒にミストルティンを握り、烏号の矢をつがえた。
「いくぞ、ハル」
「はい!」
二人の呼吸は自然と合った。
同時に放した手から、金の鏃の矢が直線を描いて龍に吸い込まれていく。
放たれた矢は、寸分の狂いもなく、龍の首を戒めていた枷を砕いた。
〝全収納品を消費し、『呪いの護符』を発動します〟
通知と一緒に、首に掛けていた『呪いの護符』が砕け散った。それと同時に、龍の体から全ての枷も鎖も消え去り、今度こそ〝自己犠牲〟の願いが叶えられたことが分かった。
「ハル。最後だ」
「うん。〝回帰〟」
高らかに言い放つと、龍の体を目映い光が覆った。
そしてそれはすぐに収束して、後にはあの映像で見た、背の高い綺麗な男性が立っていた。
遠目だったのに、黒混じりの青い目をしているのがはっきりと見える。
その人が穏やかに笑ったのが分かった。
その人が虚空を見上げると、そこには黄金の髪をした美しい女性が、その人に手を差し伸べていた。その女性に手を伸ばすと、その人はスッと宙に浮かんでその女性の手を取り、深く抱きしめた。
そして、二人は私たちの方を見る。その女性は、王子と同じ濃い紫色の目をしていた。
その二人が微笑みを向けて、スッと光に溶けるように消える。その眩しさに瞑った目を開くと、いつの間にか私たちはみんなの元に戻っていた。
迷宮はその姿を変えていて、幻影だった薄曇りの空は消え、見上げると晴れ晴れとした本物の空に、冬の太陽が昇っていた。
「終わったな」
「うん」
手を繋いだままの私たちの周りに、みんなが集まってくる。
その私たちの前に、小さな素焼きのような素朴な作りのゴブレットっぽいものが落ちていた。
何かの予感がして二人で顔を見合わせて、そのゴブレットを亜空間収納の中に入れると答えが返ってきた。
〝秘薬『甘露』の聖杯。聖杯に『聖水』を注ぐと『甘露』を生成することができる。甘露:神の力も回復できる最上位ポーション 万能の霊薬の素材〟
「…………ご褒美、かな?」
「…………だな。でも、即封印だ」
ちょっとした沈黙の後、二人で顔を見合わせたら、自然と笑いが込み上げてきた。
その後、お父さんのスリスリ攻撃やユーシスさんの地獄の抱擁の刑が待っていたけど、私たちが見上げた空は、瘴気の欠片もなくて、どこまでも青く澄んでいた。
44話に出てきたヤドリギの武器が、ようやくここで活躍しました。
初期設定からずっと王子の武器として準備していましたが、こんな最後の最後になるとは……。
神様の設定は、作者の創作ですので、緩く見ていただければ幸いです。
あと二話で完結予定です。
どうぞ最後までお付き合いください。




