表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王の娘  作者: 星空りん
9/9

8 星灯りの宿と、テンプレ冒険者ギルド 2

 翌朝。


 王都の空は、雲ひとつない青だった。


 星灯りの宿の食堂には、焼きたてのパンとスープの匂いが満ちている。


 りんは窓際の席で、パンをかじりながら外を眺めていた。


 朝の大通りには、昨日とはまた違う慌ただしさがある。


 荷車を押す人、店の準備をする人、教会の方角へ歩いていく人。


 「ほんとに、パンの匂いがする街だね」


 りんが呟くと、向かいの席のネネがパンをちぎりながら答えた。


 「“パンの匂いのする王都”という表現、本でよく見かけましたけど、まさか本当にここまでとは思いませんでした」


 そこへ、宿の主人がポットを持ってやってくる。


 「おはようございます、りんお嬢さま。今日のご予定はお決まりで?」


 「昨日歩ききれなかったところとか、もっと見たいです。あと、いっぱい食べたい!」


 りんの即答に、主人は思わず笑った。


 「でしたら、大通りをまっすぐ進んだ先の広場や、屋台が並ぶ通りなどがよろしいでしょう。人も多く、でも比較的治安も良い場所です」


 「屋台……!」


 りんの目がきらりと光る。


 ネネはその横で、やれやれといった顔をしながらも、主人に一礼した。


 「貴重な情報をありがとうございます。お嬢の胃袋が王都に負けないよう、注意して見張っておきます」


 「そこまでしなくていいよ!」


 りんは抗議しながらも、心の中ではわくわくが止まらなかった。



 朝食を終えると、二人は準備を整えて宿を出た。


 今日のりんの服は、黒を基調としたシンプルなドレスに、昨日より少しだけ軽めのフリル。


 ローツインテールの金色の髪は、大きな白いシュシュでまとめられている。


 ネネはいつものようにフードをかぶり、猫耳の輪郭をぼかすために、軽い幻惑の魔法をかけた。


 「よし。今日こそ“見るだけ・食べるだけ”の日です」


 「うんっ」


 二人は、大通りの人波の中へと歩き出した。



 屋台が多く並ぶ通りは、まさに色と匂いの洪水だった。


 串に刺さった肉が香ばしく焼かれ、油のはねる音がする。


 揚げパンの甘い匂い、スパイスの効いたスープの香り、果物を切る音。


 「ネネ、あれ見て! お肉串! あ、こっちは丸いパン揚げてる! あっち、果物山盛り!」


 「お嬢、一度に三軒同時に行くのは物理的に不可能です」


 それでも結局、二人は少しずつ色んな屋台で買い食いすることになった。


 肉串をひと口頬張れば、肉汁がじゅわっと溢れる。


 揚げパンは外はかりっと、中はもちもち。


 丸い果物を切ってもらえば、口の中いっぱいに蜜のような甘さが広がる。


 「幸せ……」


 りんは完全にとろけた顔になっていた。


 ソースが串の先からたれそうになったとき、思わず指を動かして浮かせそうになり──


 「お嬢」


 ネネのすかさずの低い声に、ぴたりと動きを止める。


 「……ちゃんと拭く」


 りんはポケットからハンカチを出して、素直にソースを拭った。


 (便利な魔法は、ぐっとがまん)


 心の中でそう念じる。


 異世界転生してまで、ここまで“がまん”を意識することになるとは思わなかった。


 でも、目の前の食べものたちが十分に幸せなので、それはそれでいいかとも思う。



 ひとしきり食べ歩いたあと、りんは少し落ち着いて、通りの周囲を眺めた。


 ふと、近くの屋台の兄ちゃんが、隣の客と話している声が耳に入ってくる。


 「この先の角を曲がったところに、冒険者ギルドがあるんだよ」


 「お、今日も新しい依頼、貼り出されてるかな」


 その単語が、りんの耳にばっちり引っかかった。


 (……出た、“冒険者ギルド”!)


 前の世界で読んだ小説や漫画のシーンが、一気に頭の中で再生される。


 依頼掲示板。酔っぱらいの冒険者。謎に有能な受付嬢。


 そして──絡んでくるテンプレ集団。


 (ほんとにあるんだ、この世界にも……!)


 胸の奥で、期待と嫌な予感がごちゃ混ぜのわくわくが弾けた。


 「ねぇネネ」


 りんは、何でもないふりをしてネネの袖を引いた。


 「その“冒険者ギルド”って、この辺?」


 「さっきの話を聞く限りでは、角を曲がってすぐの場所ですね」


 ネネはあくまで冷静だ。


 「ただ、お嬢にはあまり縁のない場所だと思いますよ。荒事専門ですし」


 「でも、ちょっと面白そうじゃない?」


 りんは、目を輝かせながら言った。


 「どんな人たちがいるのか、見てみたいな〜。……見るだけ、ね。今日は見るだけ」


 「……“見るだけ”という言葉を、お嬢の口から聞くたびに不安になるのは、なぜでしょうね」


 ネネは肩をすくめた。


 (うんうん、“見るだけ”から始まって、だいたい巻き込まれるんだよね、そういうの)


 りんの脳内で、前世の本のシーンがまた一つ再生される。


 でもそれは、口には出さない。


 「護衛の視点から言えば、治安の拠点でもありますし、場所を把握しておくのは悪くないですね」


 ネネはしばし考えた末に、そう付け加えた。


 「……分かりました。見るだけ、ですよ?」


 「うん、見るだけ!」


 即答するりんの声は、期待で少し弾んでいた。


◇ ◇ ◇


 冒険者ギルドは、大通りから少し外れた、太い道沿いに建っていた。


 二階建ての大きな建物。入口の上には、剣と盾と杖を組み合わせたようなマークが描かれた看板がぶら下がっている。


 扉の前には、剣や槍を背負った人たちがちらほら行き来していた。


 「……それっぽい」


 りんは、小さく呟いた。


 手汗がじんわりと出てくる。


 (ほんとにあるんだ、冒険者ギルド……。受付のお姉さんもいるのかな……)


 胸の高鳴りを抑えきれないまま、ネネと並んで扉を押し開ける。


 中は、木の匂いと、人のざわめきと、酒と汗と革の混じった空気で満ちていた。


 広いホールの奥には長いカウンターがあり、その前には受付らしき人たちが立っている。


 壁には大きな掲示板があり、紙がびっしりと貼られていた。


 丸テーブルでは、鎧を着た者やローブをまとった者たちが、くつろいだり地図を広げたりしている。


 (完全に、前に読んだやつ……!)


 りんは心の中で叫んだ。


 ネネはそんなりんの内心を知る由もなく、現実的な目で中を見回している。


 「酔っぱらって暴れている者はいなさそうですね。武器の持ち込みも、入口でチェックしているようですし」


 「ネネの基準が現実的……」


 りんはぼそっと呟いた。



 ホールの隅の方から、受付同士の小声が聞こえてきた。


 「昨日の話、聞きました?」


 「どれです?」


 「大通りで、足を怪我した男が、一瞬で治ったってやつですよ。金色の髪の女の子が、光の魔法を使ったとか」


 「……またその話? うちのギルドにも、“その子を治癒師としてスカウトしたい”なんて言ってた人、いましたよ」


 「教会が黙ってないでしょうねぇ」


 りんの背筋に、ひやりとしたものが走った。


 (ギルドまで来てるの、噂……!?)


 ネネも同じ会話を聞いていたらしく、ほんの少し眉をひそめる。


 「情報の回り方が、予想以上ですね」


 「りん、けっこう目立っちゃった?」


 「“けっこう”で済めばいいんですが」


 ネネはそう言いながらも、声の調子はあくまで冷静だった。



 りんは、依頼掲示板の方へと歩いて行った。


 紙がぎっしりと貼られたその板には、文字と数字と簡単なイラストが並んでいる。


 「えっと……“近郊の森に出没するスライム討伐”……“商隊護衛”……“薬草の採取”……」


 読み上げながら、頭の中でまた異世界物のワンシーンと重ねてしまう。


 (ほんとにあるんだ、“スライム討伐”。どこかで絶対出てくるやつだよね、これ)


 隣でネネが、じとっとした視線を送ってくる。


 「お嬢、字が読めているのは素晴らしいですが、依頼の内容を吟味する必要はありません。わたしたちは“見るだけ”です」


 「見てるだけだよ〜。ほら、ちゃんと手は出してない」


 りんは両手を掲げてみせた。


 その仕草が、余計に目立つ結果になるとは、そのときは思っていなかった。


◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ