7 星灯りの宿と、テンプレ冒険者ギルド 1
路地裏でひととおり話を終えたりんとネネは、何事もなかったみたいな顔で、大通りへと戻った。
日が傾き始めた王都の空は、少しずつ茜色に染まりつつある。
りんは振り返らないようにしながら、さっきまで自分たちがいた辺りのざわめきを、背中で聞いていた。
(……まぁ、なんとかなるでしょ)
そう結論づけるあたりが、魔王の娘らしいところだった。
◇
星灯りの宿に戻ると、入り口のランプがすでに柔らかい光を灯し始めていた。
扉を開けた瞬間、温かいスープとパンの匂いがふわりと鼻をくすぐる。
カウンターの中から、宿の主人が顔を上げた。
「お帰りなさいませ、りんお嬢さま。街の様子はいかがでしたかな?」
「すっごく楽しかったよ!」
りんは迷いなく答えた。
「人もいっぱいだし、パンもおいしそうだったし、花屋さんもかわいかったし──」
その後ろでネネが、声には出さずに心の中で続けた。
(あと、“聖女様”の噂の種も、ばっちり撒いてきましたけどね……)
主人は、りんの弾む声にほっとしたように笑った。
「それはようございました。ちょうど夕餉の支度もできております。よろしければ、すぐにお運びしましょう」
「食べる!」
反射的に答えたりんに、ネネが小さく咳払いをする。
「お願いします。お嬢は少しはしゃぎすぎたので、座らせて落ち着かせます」
「ネネ、今のいじわる入ってたよね?」
「気のせいです」
二人は顔を見合わせて、同時にふっと笑った。
◇ ◇ ◇
星灯りの宿の食堂は、木のテーブルがいくつも並んだこじんまりとした空間だった。
壁には、小さなランプがいくつもかかっている。その灯りが、まるで本当に小さな星みたいに、ほのかに揺れていた。
りんとネネが席に着くと、やがて湯気の立つ皿が運ばれてくる。
白い器になみなみと注がれたシチュー。表面には刻んだ緑のハーブが散らされている。
大きな籠には、焼きたての丸パンがどっさりと盛られていた。
「……いい匂い」
りんは、手を合わせそうになるのをぐっとこらえた。
(ここで“いただきます”って言ったら、さすがに不自然かな……)
代わりに、フォークを手にとり、シチューをひとすくい。
口に運んだ瞬間、目がぱぁっと開いた。
「おいしい……!」
とろとろに煮込まれた野菜と肉。ほんのりと効いたハーブの香り。
パンをちぎって浸して食べれば、幸せが口の中いっぱいに広がる。
「本で読んだ“王都のシチュー”、ほんとにこんな味するんだ……」
りんはじんわり感動していた。
ネネもひと口食べて、素直に頷く。
「確かに悪くないですね。魔界の料理とは方向性が違いますけど、これはこれで」
「ネネの方が評論家っぽい」
「護衛は栄養管理も仕事のうちなので」
そんな他愛もない会話を交わしていると、ふと、食堂の隅からこんな声が耳に入ってきた。
「おい、聞いたかよ」
「何の話だ」
「さっき大通りでよ、荷車の荷が落ちて、男が足を潰されかけたんだと」
りんの手が、スプーンを持ったままぴたりと止まった。
隣でネネの耳が、ぴくりと動く。帽子の中で、猫耳も同じように反応しているのが分かった。
「それがよ、一瞬で治ったんだってよ」
「一瞬?」
「金色の髪の女の子が、光らせた手で触れたらしい。教会でも見たことねぇ速さで傷が消えたってさ」
「……“聖女様”か」
「そうそう。もう、聖女様が街に降りてきたんだって話になってる」
りんは、シチューの中で揺れる具をぼんやりと眺めた。
「……あ、やっぱり見られてたんだ〜」
声の調子は真剣というより、どこか楽しそうですらある。
「ちょっとだけ、やりすぎたかな」
ネネは、思わず額に手を当てた。
「“ちょっと”どころではなかったですね。あの規模の回復を一瞬でやるのは、普通は教会か大聖堂案件です」
「でも、助けられてよかったし」
りんはパンをもうひとくち齧って、もぐもぐしながら言った。
「それに、“聖女様”って、なんか語感かわいいし」
「問題はそこじゃありません」
ネネはきっぱりと言った。
「“聖女様”なんて呼ばれ始めたら、教会が放っておかないでしょうし、変な信心深い人にも付きまとわれます。王都での平穏な生活は、遠ざかる一方ですよ」
「うーん……」
りんは少しだけ考えるふりをしてから、にこっと笑った。
「でも、ごはんはおいしいし、ネネもいるし、なんとかなる気がする」
「お嬢のその根拠のない自信、嫌いではありませんが、護衛の胃には悪いです」
それでも、ネネの声にはどこか諦め半分の親しみが混じっていた。
りんはシチューの皿をきれいに平らげると、テーブルに頬杖をついて言った。
「ねぇ、ネネ。明日もさ、もうちょっと街、見てみたいな」
「今日はだいぶ歩きましたよ。疲れてないんですか」
「ぜんぜん。むしろ、もっと色んなもの見たいし、食べたい」
ネネは少し考えてから、渋々といった様子で頷いた。
「……わたしも、王都の地理はもう少し把握しておきたいですしね。護衛の視点から見ても、確認しておきたい場所はいくつかあります」
「やった!」
「ただし、お嬢」
ネネは指を一本立てた。
「明日は“食べ歩き中心の日”ということで。魔法は、極力使用禁止。今日はさすがに、情報が広がるのが早すぎました」
「分かってるってば。明日は魔法がまんして、食べる方に全力出すもん」
「それはそれで、違う心配が増えそうですが……」
ネネは小さくため息をついた。
それでも、その横顔には、ほんの少しだけ楽しそうな色が浮かんでいる。
◇ ◇ ◇




