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魔王の娘  作者: 星空りん
6/9

5 こんにちは、王都のひかり 2

 ひととおり荷物が片付いたところで、ネネが言った。


 「今日は移動も長かったですし、少し休んでから、夕食にしましょう」


 「え」


 りんは、ベッドの上でごろんと転がりながら、ばっと上半身を起こした。


 「ぜんぜん元気だよ? 外、見てみたい。せっかく昼間に着いたんだし、ちょっとだけ街、歩いてみたい!」


 「“ちょっとだけ”が、信用ならないんですよね……」


 ネネが眉を寄せる。


 ちょうどそのとき、コンコン、とドアがノックされた。


 「はーい」


 りんが扉を開けると、さっきの宿の主人が立っていた。


 「部屋の具合はいかがですかな、りんお嬢さま」


 「すごく素敵なお部屋です。窓から外もよく見えるし」


 りんがにこっと笑うと、主人もほっとしたように微笑んだ。


 「それは何より。……もし外へ出られるなら、今日は大通りを少し歩くくらいがよろしいでしょう。裏路地は土地勘のない方には危ないですから」


 「大通り……!」


 りんの目がきらりと光る。


 「ほら、ネネ。ちゃんと“公式に”お散歩許可が出たよ」


 「言い方」


 ネネは頭を抱えつつも、主人に一礼した。


 「ご忠告、感謝します。日が高いうちに、街の様子を把握させていただきます」


 「そうしていただければ、こちらも安心です」


 主人が去り、扉が閉まる。


 りんは勢いよく立ち上がった。


 「じゃあ、行こ!」


 「……分かりました。ただし、大通りだけです。寄り道は、最小限」


 「“最小限”ってところが、ネネの優しさだよね〜」


 「褒めても駄目です」


 ネネはフードをかぶり直し、耳のあたりにごく軽い幻惑の魔法をかけた。


 ぱちん、と小さな光がはじけ、猫耳の輪郭が少しぼやける。


 「これで、よほどじっくり見られない限り、おかしいとは思われないでしょう」


 「ネネって、ほんと器用だよね」


 「お嬢の“だだ漏れ”魔力のおかげで、鍛えられましたから」


 少しだけ針のある冗談を返しながら、ネネは尻尾をスカートの中にきちんと収納する。


 こうして、魔王の娘と猫魔族の護衛は、初めて人間の王都へ繰り出した。



 大通りは、さっき馬車の窓から見たときよりも、ずっと賑やかだった。


 石畳の上を、いろんな靴の音が行き交う。革靴、サンダル、小さな子どもの靴。


 両側には、パン屋、果物屋、花屋、小物屋、露店の屋台がぎゅっと並んでいて、それぞれが自分の店の前で声を張り上げている。


 「焼きたてのパンはいかが〜!」


 「朝絞りのミルクだよ〜!」


 「色とりどりのリボンはいかが、お嬢さん方〜!」


 りんは、目が足りないという顔をした。


 「ネネ、あれ見て! パンが山になってる! あっち、布がきれい! あ、花屋さんもある!」


 「お嬢。一度に三方向を指ささないでください」


 ネネはため息をつきつつも、りんが引き寄せられる方向に合わせて歩幅を調整している。


 パン屋の前を通ると、香ばしい匂いがさらに強くなる。


 りんは、店先の籠の中で焼きたての丸パンが湯気を立てているのを見て、じゅるっと喉を鳴らした。


 「おいしそう……」


 「あとで、宿に戻る前に少し買いましょう」


 ネネのその一言で、りんの機嫌は一気に最高潮に跳ね上がった。


 「約束ね!」



 しばらく歩いていると、大通りから少し外れたところに、小さな広場があった。


 噴水の周りには、子どもたちが集まっている。


 その隅で、一匹の小さな犬が、片足をかばうようにして座り込んでいた。


 白と茶色のまだら模様の子犬だ。片方の前足を地面につけまいとしていて、きゅん、とかすかな声を漏らしている。


 りんは、すぐに気づいた。


 「あ……」


 ネネも視線を追い、眉をひそめた。


 「どうやら、足をくじいたか、どこかでぶつけたか……」


 周囲の人は気づいていないのか、気づいていても近寄ってこない。


 りんは、周囲をぐるっと見回した。


 噴水の方に子どもたちが集まっているせいか、この隅だけは、少し人の目が薄い。


 「ネネ。ちょっとだけ」


 「“ちょっとだけ”の内容を、まず申告してからにしてください」


 「見てる人、あんまりいないでしょ?」


 「“あんまり”が信用できないんですよねぇ」


 それでも、りんの目は真剣だった。


 ネネは小さく息を吐いた。


 「……一瞬だけですよ」


 「うん」


 りんは子犬のそばにしゃがみ込んだ。


 「痛いの、そこ?」


 子犬は、不安そうな目でりんを見上げ、きゅん、と鳴いた。


 りんはそっと、その足に手を添える。


 「ちょっとだけ、楽になりますように」


 指先に、温かいものが集まる感覚。


 りんは、自分でも意識して力を抑えた。


 小さな金色の光が、ぱち、と一度だけはじける。


 それは、さっき魔界で木箱を浮かせたときのような、派手な光ではなかった。


 触れていれば気づくくらいの、ほんのりとした温もり。


 子犬が、ぴくんと足を動かす。


 そして、おそるおそる地面に足をつけてみて──


 「わんっ!」


 弾むように飛び跳ねた。


 さっきまでかばっていた足を、もう痛そうにしていない。尻尾をぶんぶんと振りながら、りんの手をぺろぺろと舐めた。


 「よかった〜」


 りんは嬉しそうに笑う。


 ネネは少しだけ肩の力を抜いた。


 「……今のくらいなら、まぁ、ギリギリ許容範囲です」


 「でしょ?」


 子犬はもう一声吠えてから、広場の方へ駆けていった。


 その背中を見送って、りんは再び大通りへ戻った。



 通りを歩いていると、今度は色とりどりの花が並ぶ店が目に入った。


 大きな桶に、季節の花がもりもりと活けられている。


 その端っこで、小さな鉢植えがひとつ、葉をしょんぼりと垂らしていた。


 「この子、ちょっと元気ない……」


 りんは足を止めた。


 店の前には、若い花屋の娘がいて、水の入ったジョウロを持っている。


 「ごめんね〜、あとでちゃんと水あげるからね〜」


 娘は別の鉢に水をやりながら、うっかりそのしおれかけた鉢を見逃している。


 りんは、通りすがりのふりをして、手をひらりと動かした。


 指先が花に直接触れないように、空気を撫でるみたいに。


 ほんの一瞬、鉢植えの周りにだけ、光がきらりと差した気がした。


 葉っぱが、すこしだけしゃんと持ち上がる。


 「……あれ? この子、まだ元気だったんだ」


 娘がふと気づいて、笑った。


 りんは、そのまま立ち止まらずに歩き続ける。


 ネネが、じとっと横目で見る。


 「お嬢の“そっと”は、ギリギリを攻めすぎです」


 「誰も困ってないから、いーのいーの」


 「それ、いつかそのまま“聖堂案件”に直行しそうで怖いんですが」


 ネネの予感は、このあと、すぐに当たることになる。


◇ ◇ ◇

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