5 こんにちは、王都のひかり 2
ひととおり荷物が片付いたところで、ネネが言った。
「今日は移動も長かったですし、少し休んでから、夕食にしましょう」
「え」
りんは、ベッドの上でごろんと転がりながら、ばっと上半身を起こした。
「ぜんぜん元気だよ? 外、見てみたい。せっかく昼間に着いたんだし、ちょっとだけ街、歩いてみたい!」
「“ちょっとだけ”が、信用ならないんですよね……」
ネネが眉を寄せる。
ちょうどそのとき、コンコン、とドアがノックされた。
「はーい」
りんが扉を開けると、さっきの宿の主人が立っていた。
「部屋の具合はいかがですかな、りんお嬢さま」
「すごく素敵なお部屋です。窓から外もよく見えるし」
りんがにこっと笑うと、主人もほっとしたように微笑んだ。
「それは何より。……もし外へ出られるなら、今日は大通りを少し歩くくらいがよろしいでしょう。裏路地は土地勘のない方には危ないですから」
「大通り……!」
りんの目がきらりと光る。
「ほら、ネネ。ちゃんと“公式に”お散歩許可が出たよ」
「言い方」
ネネは頭を抱えつつも、主人に一礼した。
「ご忠告、感謝します。日が高いうちに、街の様子を把握させていただきます」
「そうしていただければ、こちらも安心です」
主人が去り、扉が閉まる。
りんは勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、行こ!」
「……分かりました。ただし、大通りだけです。寄り道は、最小限」
「“最小限”ってところが、ネネの優しさだよね〜」
「褒めても駄目です」
ネネはフードをかぶり直し、耳のあたりにごく軽い幻惑の魔法をかけた。
ぱちん、と小さな光がはじけ、猫耳の輪郭が少しぼやける。
「これで、よほどじっくり見られない限り、おかしいとは思われないでしょう」
「ネネって、ほんと器用だよね」
「お嬢の“だだ漏れ”魔力のおかげで、鍛えられましたから」
少しだけ針のある冗談を返しながら、ネネは尻尾をスカートの中にきちんと収納する。
こうして、魔王の娘と猫魔族の護衛は、初めて人間の王都へ繰り出した。
◇
大通りは、さっき馬車の窓から見たときよりも、ずっと賑やかだった。
石畳の上を、いろんな靴の音が行き交う。革靴、サンダル、小さな子どもの靴。
両側には、パン屋、果物屋、花屋、小物屋、露店の屋台がぎゅっと並んでいて、それぞれが自分の店の前で声を張り上げている。
「焼きたてのパンはいかが〜!」
「朝絞りのミルクだよ〜!」
「色とりどりのリボンはいかが、お嬢さん方〜!」
りんは、目が足りないという顔をした。
「ネネ、あれ見て! パンが山になってる! あっち、布がきれい! あ、花屋さんもある!」
「お嬢。一度に三方向を指ささないでください」
ネネはため息をつきつつも、りんが引き寄せられる方向に合わせて歩幅を調整している。
パン屋の前を通ると、香ばしい匂いがさらに強くなる。
りんは、店先の籠の中で焼きたての丸パンが湯気を立てているのを見て、じゅるっと喉を鳴らした。
「おいしそう……」
「あとで、宿に戻る前に少し買いましょう」
ネネのその一言で、りんの機嫌は一気に最高潮に跳ね上がった。
「約束ね!」
◇
しばらく歩いていると、大通りから少し外れたところに、小さな広場があった。
噴水の周りには、子どもたちが集まっている。
その隅で、一匹の小さな犬が、片足をかばうようにして座り込んでいた。
白と茶色のまだら模様の子犬だ。片方の前足を地面につけまいとしていて、きゅん、とかすかな声を漏らしている。
りんは、すぐに気づいた。
「あ……」
ネネも視線を追い、眉をひそめた。
「どうやら、足をくじいたか、どこかでぶつけたか……」
周囲の人は気づいていないのか、気づいていても近寄ってこない。
りんは、周囲をぐるっと見回した。
噴水の方に子どもたちが集まっているせいか、この隅だけは、少し人の目が薄い。
「ネネ。ちょっとだけ」
「“ちょっとだけ”の内容を、まず申告してからにしてください」
「見てる人、あんまりいないでしょ?」
「“あんまり”が信用できないんですよねぇ」
それでも、りんの目は真剣だった。
ネネは小さく息を吐いた。
「……一瞬だけですよ」
「うん」
りんは子犬のそばにしゃがみ込んだ。
「痛いの、そこ?」
子犬は、不安そうな目でりんを見上げ、きゅん、と鳴いた。
りんはそっと、その足に手を添える。
「ちょっとだけ、楽になりますように」
指先に、温かいものが集まる感覚。
りんは、自分でも意識して力を抑えた。
小さな金色の光が、ぱち、と一度だけはじける。
それは、さっき魔界で木箱を浮かせたときのような、派手な光ではなかった。
触れていれば気づくくらいの、ほんのりとした温もり。
子犬が、ぴくんと足を動かす。
そして、おそるおそる地面に足をつけてみて──
「わんっ!」
弾むように飛び跳ねた。
さっきまでかばっていた足を、もう痛そうにしていない。尻尾をぶんぶんと振りながら、りんの手をぺろぺろと舐めた。
「よかった〜」
りんは嬉しそうに笑う。
ネネは少しだけ肩の力を抜いた。
「……今のくらいなら、まぁ、ギリギリ許容範囲です」
「でしょ?」
子犬はもう一声吠えてから、広場の方へ駆けていった。
その背中を見送って、りんは再び大通りへ戻った。
◇
通りを歩いていると、今度は色とりどりの花が並ぶ店が目に入った。
大きな桶に、季節の花がもりもりと活けられている。
その端っこで、小さな鉢植えがひとつ、葉をしょんぼりと垂らしていた。
「この子、ちょっと元気ない……」
りんは足を止めた。
店の前には、若い花屋の娘がいて、水の入ったジョウロを持っている。
「ごめんね〜、あとでちゃんと水あげるからね〜」
娘は別の鉢に水をやりながら、うっかりそのしおれかけた鉢を見逃している。
りんは、通りすがりのふりをして、手をひらりと動かした。
指先が花に直接触れないように、空気を撫でるみたいに。
ほんの一瞬、鉢植えの周りにだけ、光がきらりと差した気がした。
葉っぱが、すこしだけしゃんと持ち上がる。
「……あれ? この子、まだ元気だったんだ」
娘がふと気づいて、笑った。
りんは、そのまま立ち止まらずに歩き続ける。
ネネが、じとっと横目で見る。
「お嬢の“そっと”は、ギリギリを攻めすぎです」
「誰も困ってないから、いーのいーの」
「それ、いつかそのまま“聖堂案件”に直行しそうで怖いんですが」
ネネの予感は、このあと、すぐに当たることになる。
◇ ◇ ◇




