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魔王の娘  作者: 星空りん
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4 こんにちは、王都のひかり 1

 王都の城壁は、想像していたよりずっと高かった。


 灰色の石が積み上がった巨大な壁が、空に向かって伸びている。その手前で、りんたちの乗った黒塗りの馬車は、ゆっくりと速度を落とした。


 りんは、窓にぴたっと張りついた。


 「わぁ……」


 城門の前には、荷馬車や旅人や兵士たちが行き交い、あちこちから人の声が聞こえてくる。笑い声、怒鳴り声、呼び込みの声。石畳の上を、車輪の軋む音と靴音が絶え間なく流れていた。


 風に乗って、焼きたてのパンと、肉を焼く匂い、香草の匂いが混ざり合ってくる。


 「匂いがぜんぶ、“生きてる”って感じ……」


 胸の奥が、じわっと熱くなる。


 その隣で、ネネはフードを深くかぶり、耳を押さえるように帽子の縁をぎゅっと握っていた。


 「お嬢。あまり乗り出さないでください。落ちたら、王都初日から大惨事ですよ」


 「はーい……でも、見たいんだもん」


 りんは名残惜しそうに窓から少しだけ身を引いた。



 城門の前で、兵士たちが馬車の前に立ちふさがった。


 鎧の擦れる音が近くなる。窓から見えるのは、真面目そうな顔の若い兵士の横顔。


 「この馬車は?」


 御者が恭しく書状を差し出す。


 「遠方の友好国よりお越しの貴族令嬢をお連れしている。書状はこちらに」


 「確認する」


 兵士が書状を開き、真剣な顔で目を走らせる。


 りんは小声でネネに囁いた。


 「ねぇ、字、読めるのかな」


 「お嬢、人間をなめすぎです」


 「えー。だって、けっこう難しい字っぽかったよ?」


 りんがじっと兵士を見ていると、彼は書状から顔を上げ、わずかに表情を引き締めた。


 「遠国の……レリアス公国の令嬢、りん殿下。──失礼しました。ようこそ、王都へ」


 「レリアス公国……」


 りんは心の中で復唱した。


 それは、魔王パパと側近たちが用意した、“とても便利な架空の国”の名前だ。


 「本物みたいに聞こえるね」


 「本物みたいに振る舞ってください、お嬢」


 ネネが小声で釘を刺す。


 兵士は馬車に向けて、少しかしこまった声で言った。


 「遠国の……レリアス公国のご令嬢、りん様。──失礼しました。ようこそ、王都へ」


 「レリアス公国……」


 りんは心の中で復唱した。


 それは、魔王パパと側近たちが用意した、“とても便利な架空の国”の名前だ。


 「本物みたいに聞こえるね」


 「本物みたいに振る舞ってください、お嬢」


 ネネが小声で釘を刺す。


 兵士は馬車に向けて、少しかしこまった声で言った。


 「門番一同、ご令嬢のご滞在が良きものとなることをお祈りしております」


 りんは、つい調子に乗ってしまった。


 「ありがと〜。みんな、がんばってね」


 兵士たちが一瞬だけ目を丸くし、それから慌てて敬礼する。


 「は、はっ!」


 「……お嬢。もう少し“ご令嬢”らしい口調の練習も、今度しましょうね」


 ネネのため息を背中に受けながら、馬車はゆっくりと城門をくぐった。



 門を抜けた瞬間、世界が一気にひらけた。


 石畳の大通りが、真っ直ぐ先へと伸びている。両側には背の高い建物が並び、窓からは洗濯物が揺れ、バルコニーには花が並んでいる。


 「……ひと、ひと、ひと……!」


 りんは思わず呟いた。


 魔界にも街はある。でも、ここまでぎゅっと人が詰まっている場所は見たことがない。


 どこからともなく、焼きたてのパンの匂いが流れてくる。


 「パンの匂い、本当にする……!」


 図書室で読んだ本の一文が、頭の中で鮮やかによみがえる。


 王都の朝は、パンの匂いがすると書いてあった。


 今はもう昼前だけれど、匂いはまだ、街じゅうに優しく漂っている。


 「……本で読んだだけの場所が、ちゃんと“ここ”にあるんだ」


 胸の奥が、きゅっと締めつけられて、同時にふわっと軽くなる。


 ネネは隣で、周囲を警戒する目を忘れない。


 「人が多い場所では、スリやら何やら、いろいろいると聞きました。お嬢、窓から腕を出さないでくださいね」


 「出してないよ〜。ちょっとだけ顔出してるだけ」


 「それを“出してる”と言うんです」


 そんなやりとりをしているうちに、馬車は大通りから少し外れた、少し静かな通りへと入っていった。



 やがて、馬車は一軒の建物の前で止まった。


 白い壁に深い木の色の柱、二階建ての落ち着いた建物。その入口の上には、小さなランプがいくつも吊るされていて、昼間なのに淡い光を揺らしている。


 看板には、星と小さな灯のマークと一緒に、文字が彫られていた。


 「……『星灯りの宿』」


 りんが読み上げると、ネネが満足そうに頷いた。


 「ちゃんと読めますね、お嬢」


 「ふふん。図書室で、人間の字もちゃんと勉強したもん」


 扉が開き、中から、ふっくらした体つきの中年の男が姿を現した。


 口元に柔らかい笑みを浮かべた宿の主人だ。その後ろから、エプロン姿の奥さんが顔を出す。


 「お待ちしておりました。遠国よりお越しのりんお嬢さまですね」


 「う、うん。りんだよ。お世話になります」


 魔界の魔族たちに呼ばれるのは聞き慣れているけれど、人間の口から“お嬢さま”と言われるのは、なんだかくすぐったくて不思議な気分になる。


 主人は深く会釈した。


 「長い道のり、お疲れさまでした。部屋はご用意してあります。まずは荷物を置いて、ひと息ついてください」


 「はーい」


 ネネが一歩前に出て、落ち着いた声で礼を言う。


 「お世話になります。りんお嬢の身の回りのことは、基本的にわたしがいたしますので、どうぞよろしく」


 「ええ、どうぞごゆっくり」


 主人に案内されて、りんたちは階段を上がっていった。


◇ ◇ ◇


 二階の角部屋は、思ったよりも広かった。


 窓が二つあり、明るい光が差し込んでいる。大きなベッドがひとつ、隣に簡易ベッドを置けるスペースもある。


 床には柔らかい絨毯が敷かれていて、丸いテーブルと椅子が二脚、小さな本棚まであった。


 りんは真っ先に窓へ駆け寄る。


 「わぁ……高い……!」


 窓の外には、さっき通ってきた通りの屋根が見えた。赤茶色の瓦屋根が、でこぼこと並んでいる。その向こうには、遠くに白い城壁と、さらに高く伸びる王城の塔。


 「ここからでも、王さまのおうちが見えるんだ」


 りんは、頬をガラスにぴたっとくっつけた。


 ネネは部屋の中を一回りして、窓の鍵や扉の金具、ベッドの下まで確認していく。


 「とりあえず、変な仕掛けはありませんね」


 「仕掛けなんて、ふつうの宿にあるの?」


 「お嬢の常識基準を当てはめないでください」


 りんは窓から離れて、ベッドの縁にぽすんと腰を下ろした。


 「ここで寝るんだ……今日から」


 言葉にしてみると、少しだけ現実味が増した。


 魔界の黒い城ではなく、白い壁の部屋で、石畳の街の音を聞きながら眠る。


 そのことを想像しただけで、心の中がそわそわ落ち着かない。



 ネネは、りんのポシェットを指さした。


 「さて、お嬢。荷物を出しましょうか」


 「はーい。じゃあ、さくっと──」


 りんが指をぱちん、と鳴らしかけたところで、ネネの手がすばやくその手首をつかんだ。


 「お止めください」


 「えぇ〜? まだ誰も見てないよ?」


 「“まだ誰も見てない”が一番危ないんです。人間界では控えめモードと、お嬢がおっしゃったはずですが」


 「……半分だけ出すのもダメ?」


 「量の問題じゃありません」


 りんはむぅ、と頬をふくらませた。


 「じゃあ……ちょっとだけ」


 手をポシェットの口に突っ込んで、ごそごそと探る。普通の袋ではありえない量の荷物が、その小さな空間の中に詰まっている。


 引っ張り出したのは、畳んだドレスが二着と、下着と、薄い本が数冊、それから小さなぬいぐるみがひとつ。


 「この子も、枕元に置きたい」


 りんがそう言ってぬいぐるみをベッドにぽすんと座らせると、ネネは少しだけ表情を和らげた。


 「……それくらいなら、まあ、許容範囲です」


 「でしょ〜?」


 最低限の荷物だけ部屋に出して、ポシェットはベッドのそばに置いておく。


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― 新着の感想 ―
魔王の娘、りんちゃんの枕元に置く仕草が可愛いですね。 ネネさんのお姉さん的な言い方も、目に浮かびます。
たぶん、自分に子供が出来たら、子供はこんな反応するんやろな〜って気持ちになりました( ^ω^ )ニコニコ
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