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暗礁

 ――剣がナギーの左肩を斬った。

「うぐうううっ」

 赤い粒子が、ナギーの血が、飛び散る。

 当たっていた。

 拳は確かに命中していた。

 しかし、腹を殴られたはずの相手は、何事も無かったかのように右腕を振り下ろした。

 うずくまるナギーを見下ろしつつ、霊は再び剣を振り上げている。

 止めなくては。この腕を抑えなくては! 舌よ回れ!

(イチ)(ホムラ)テカセ(コトワリ)()()(モノ)()二――」

 二つに分かれた炎が、相手の両手首をそれぞれ捉えた。

「今の内に」

 こちらの態勢を立て直そう。

「あなたも斬りましょう」

「え!?」

 炎の緒が引っ張られる。だが力比べなら男の俺のほうが有利……。待て、緒は霊気だ。腕力でどうにかなるのか?

 引き寄せようとしたが、逆に引っ張られた。

 体が前のめりになって……右の脇腹を冷たく、鋭いものが通り抜けた。

「う」

 血が。

 染み出る。抑えなくては。抑えなくては噴き出る。

 徐々に斬られた箇所の痛覚が強くなる。左の手の平に、ぬるい血がべったりと付いた。

「来なさい。こちらの世界へ」

 行ってたまるか。俺にはやり残したことが……別にないな。あれ、何をやっていたんだろう、俺。何だったんだろう、俺の人生。

 刃が首に触れた。

 脇腹の痛みを忘れるほどの、凍てつく感覚。

「ムーンサルト・ニードロップ!」

 刃が消えた。

 刃を持っていた幽霊の体も弾き飛ばされ、どこか近くで剣の落ちる音がした。

「いい身のこなしね。またあなたが戦うの?」

「タッチはしていませんわよ。二人とも離れて! 赤靴がデッキ後ろにいます!」

 割って入ったアニーの手と腕は、綺麗に治っている。

「ごめん! すぐ戻るから!」

 返事をしたナギーに連れられて、よろよろとデッキを歩く。展望デッキ上の左舷前方から、後方へ移動だ。

「あの子なら怪我を……どこ」

「いないのか……」

 そのとき、煙突の陰から赤靴が飛び出した。タタタタタと軽い足音を立てて、最後部から走ってくる。

「こっちだ! 助けてく――」

「助けてくださあああいっ!」

「それは俺のせり……」

「あれ、あれ、あれ、あれ」

 赤靴が走ってきた元の方向を指差した。赤靴と同じくらいの背丈の男の子が、何か言いながら歩いてくる。

「ソコノコ……イッショニアソボウ……。イッショニウミデオヨゴウヨ……」

「ひいいいいっっ。いっ、いっ、いっ、いやですううっ。地面の上で遊ぶですうぅっっ」

 俺の背中に赤靴が隠れた。

 怪我人を盾にするな。

「親玉以外で一人なら札でどうにか……」

 水着姿をしている男の子が近づく。

「一人じゃないですうっ」

「ワタシタチガ……守ルハズダッタ……」

「他ノ子ト同ジヨウニ……元気ニ……育ツハズダッタ……」

 保護者同伴か!

「ネエ……パパ……ママ……ボクダケ、ドウシテ、トモダチイナイノ……?」

「ネエ……ウチノコノ友達ニナッテ……」

「ウチニ遊ビニキナサイ……」

「ちぃ、ちぃ、ちぃじょうでぇ、地上で遊ぶのが一番ですぅぅぅっっっ。地上のお外で遊ぶのが一番ですぅぅぅっっっ」

 札の残りは三発分。ギリギリか。

「弐ノ焔」

「遅イジャナイノ……。ライフセーバーナラモットハヤク……」

 しまった。右腕をとられた!

「ソウダ。スグニ飛ビ込ンデクレイト」

 今度は左腕が!

「そっちの腕を取るなっ。ぐわ」

 血が噴出した。

「あわわ。治療、治療ですう……? えと、それとも封印?」

 迷うな。

「ナギー頼む!」

 叫ぶと痛みが。

「え? あ」

 呆然としていたナギーが我に帰った。

 拳を振りかざして、母親に攻撃を加えようとする。

 その拳が途中で止まった。

「オ姉チャン……」

 子供の霊がかばっている。

「オ姉チャンモ助ケテモラエナカッタンデショ……」

「うっ」

 拳が震える。

「転ばせろ!」

「そ、そうだね」

 ナギーが足払いを放った。子供の霊が転倒する。

「ごめんなさいっ」

 助け起こそうとした両親にも足払いが入る。

「借りるぞ!」

 二枚の札を持ってうろたえている赤靴の手から、封印用のものをひったくった。

「壱ノ焔、テカセ(コトワリ)ヲ以テ彼ノ者ヲ符二――。弐ノ焔、アシカセノ理ヲ以テ彼ノ者ヲ封ゼ――。(ツイ)ノ焔、クビカセノ理を以テ、(ケガレ)イマシメタマヘ――」

 三つの火の輪が飛ぶ。子供、母親、父親の順に、三人の霊を同じ札に吸い込んだ。

 体の力が抜ける。足が震える。

「そっちへ」

 煙突の壁にもたれて座った。中から機械の動く音がする。

 赤靴が俺の右側に来た。

「動かないでください」

 俺の右脇腹に治療用の札を当て、それを心臓マッサージをするような形で、上から両手で抑えた。

 青い霊光に照らされると、傷口の痛みが少し和らいだ。

「傷口に邪気の欠片が少し残ってますう。霊障になるといけませんから、先に取り除く必要がありますねえ」

「まだ出血するのか」

「仮止めしときますよう」

 赤靴の後ろにナギーが立っている。治療に専念する赤靴の背後を守るためだ。

 ナギーの視線の先では、戦闘が続いている。

 幽霊少女は右手に持つ黒い剣を幾度となく振るい、陰陽師アニーがそれをかわし続ける。

 アニーが段々と柵の前まで追い詰められていく。

 柵外の下には立ち入り禁止になっている四階の甲板があるが、幅は狭い。勢いよく飛ばされたら海に落ちる。

 霊が右上から左下への袈裟切りを放った。

 ジャン、と金属の柵が斜めに切れると同時に、相手の右側にかわしていたアニーが時計回りに素早く回転する。

渡会わたらい流・エルボー!」

 白いジャンパーを着た陰陽師の右肱が、幽霊少女の背中に命中した。氷の甲冑と化している黒色のコートから、僅かばかりの破片が飛ぶ。

 自らの攻撃の勢いで態勢が崩れていたところに後ろから反撃を受け、重装の少女は柵をすり抜けて吹っ飛び、暗い海上に姿を消した。

「やったのか」

「まだ」

 ナギーが答えた。

「あれだと追撃できないから」

 柵の外遠く、空中に白い顔が浮かんだ。ナギーと同じ顔、衝突事故の際に転落し命を失った少女、絵沢渚の顔が。

「やはり硬いですわね」

 右肱を左手でさすりながら、アニーが言った。

「ならば……の薄い……を」

 何かを呟いているが、聞き取れない。

 宙に浮いた状態で幽霊が徐々に近づいてくる。闇夜に紛れていた黒い髪、服、籠手、剣が、照明によって浮かび上がる。

 呪詛が木霊する。


 ――私だけが海に落ちることは、許さない――。

 ――私だけが命を失うことは、許されない――。


 怨霊を正面に見据えて、アニーが手に印を結び、呪文を唱える。

「壱ノ焔、(クサビ)ノ理ヲ以テ彼ノ者ヲ地二――。弐ノ焔、(ツイ)ノ理ヲ以テ彼ノ者ヲ封ゼ――。終ノ焔、(ジョウ)ノ理を以テ、(ケガレ)、払ヒタマヘ――」

 呪詛を打ち消すように、陰陽師の言葉が響き渡った。

 緑色の火の玉が三つ、陰陽師の頭上に浮かんだ。

「阿仁女様、地面がないと『沈霊』は……」

 赤靴の心配をよそに、二人の第三ラウンドは始まっている。

 デッキに降り立った幽霊少女にアニーが三つの火の玉を連れて突っ込む。

 霊は斬り下ろそうとする。

「渡会流・地獄突き!」

 二人の動きが止まった。

 アニーの左手四本の指が緑の炎を纏い、幽霊少女のコート右肱、関節部分に刺さっている。

 幽霊少女はひるむことなく左拳で攻撃を仕掛けようとする。狙いは頭、いや、動きを封じているアニーの左腕だ。

「二刀流ですっ!」

 拳が命中するよりも早く、アニーが右と同様に相手の左関節の動きを封じた。火の玉は二つ減っている。

 組み合った二人が力比べをしつつ、睨み合う。

「意外ね。僧正ビショップがこんなに近くで戦えるなんて」

 幽霊が微笑して言った。

生憎あいにくでしたわね」

 陰陽師も微笑で答えた。そして上体を少しけ反らせた。彼女の額に最後の火の玉が乗った。

「わたくしは坊主じゃありませんっ!」

 鈍い音を立てて、二つの額がぶつかった。渾身の頭突きが決まり、幽霊と陰陽師が反対方向にそれぞれ弾き飛ばされた。

「頭の固い人ですこと」

 ふらふらと起き上がったアニーの顔に、おびただしく血が流れる。

「うう、治療が追いつきませんよぉっ」

「こっちはまだなのか」

「邪気の屑を取って、仮止めまで」

 それで十分と思って立とうとしたが、無理だった。体に力が入らない。

「あの流血、『汎用性瀉血はんようせいしゃけつ』だけじゃ無理ね。アニーにも一度使ったし」

「なぜ駄目?」

「自己再生能力をいくら上げても、体力は回復しないから。赤靴、あなたはあっち!」

「えっ」

 赤靴が驚く。

「早く!」

「はいですうっ」

 赤靴が駆け出すと、ナギーが左手で自らの右手首を握った。

 赤いミサンガが、強く輝き出す。

 糸によって赤い霊気が送られてきた。俺の体に力が戻るとともに、ナギーの皮膚と髪の色が薄くなり、半透明になった。

「貧血ならこれで治せる」

「お前は」

 さっき斬られたはず。ナギーには手当をしていない。

「私はいいの。私は、ここでもう誰にも死んで欲しくない」

「俺は後回しでも」

「動けなければ、巻き添えになるのがオチ」

「お前が倒れたら同じことじゃないか」

「アニーが聞いたら怒るよ」

「ナギー、勝手なことしないでくださいますっ!? この程度、なんともありませんわっ」

 その本人はもう怒っているようだった。

「もう来てるよ!」

「くっ」

 柵の外に再び飛ばされていた幽霊少女が、デッキに戻っていた。言葉はない。額から大量の黒い液体を流し、ぼんやりとした表情で展望デッキを見渡している。

「あれは『悪い血』……なのか」

「幽霊に血は無いの。あれは液化した邪気と怨念。海に落ちたとき体に……。飲んだ海水からも……」

 滝のような音がナギーの声をさえぎった。

 俺たちの正面、フェリー左側の海に高い水柱が三本同時に立った。あの氷の攻撃だ。

「いっぺんにぶつけてくるみたいだな」

 ナギーが右拳を腰に引いて構える。

 アニーと赤靴はそれぞれ護符で霊気の盾を作る。

「合わせて跳ね返しますわよ! 雅弘さん、貴方も!」

 俺が呪文を唱えている間に、先にできた二つの防護壁が重ね合わさった。緑と青の霊光が混ざり、水色の光が眼前に輝く。三つ目の盾が加わると、合成防護壁は藍緑色アクアマリンに塗り替えられた。

 冬の夜空に、三つの氷塊が不規則に浮く。

「私に死ぬべき理由がないのであれば、他の者が生きるべき理由もない」

 デッキに塊が迫った。

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