臨検
ライブチケットが捌けないまま、三日が過ぎた。
販促活動はもうやめている。
委託元である友人は依然として希望小売価格を下げず、俺が受け取ることになる手数料も上げようとしないので、馬鹿らしさがピークに達したのだ。
それでも、三日前に送ったメールの返事だけは確認しておくことにした。
学校から帰宅後、自室のパソコンで作業していると、玄関のチャイムが鳴った。
木曜日の夕方、空しい宣伝活動の最中での来客ということに、どこか既視感がある。インターフォンを通して聞こえてくる透明感のある声は、その既視感をさらに強めた。
「ごめんくださいませ、渡会といいます。雅弘様はご在宅でしょうか」
「ああ、はい。すぐ開けるから待ってて」
玄関のドアを開けると、十月に北陸へ同行した陰陽師の少女が立っていた。従者の式神少女も連れている。
「お久しぶりですわね」
穏やかな口調で陰陽師・渡会阿仁女が言った。
通称は確か、アニー。本名も渾名も変だったので覚えている。服装は十月のときと同じく、セーラー服の上に薄紫色の羽織をまとっている。荷物は持っていない。荷物を持っているのは式神・赤靴で、大きな風呂敷包みを背負っている。
「ナギーはいないけど」
「ええ、わかっています。今日は貴方に頼みたいことがあって参りましたの」
「俺に?」
前に来たときは、化け物と戦うためにナギーに協力を求めていた。今回はナギーはいないし、俺には化け物と戦う力がない。
「そうですわ。貴方のパソコンを見せていただきたいのです。ナギーの記録係をされている、と仰っていましたわよね?」
「そうだけど……」
目的がわからない。作ったサイトをネットで見れば済むことだと思うのだが。なぜここまで来て、俺のパソコンを見る必要があるのだろう。
「あがっていいですかあ?」
式神少女・赤靴が催促してきた。
これ、とアニーが彼女に注意したが、断るつもりもないので家の中に迎え入れる。俺がリビングに案内しようとする前に、赤靴が尋ねてきた。
「こっちの部屋ですよねえ?」
小さい手で、俺の部屋のドアを指差している。
「え? ああ、置いてあるのはそっちだけど、狭いよ」
「いいですよう。早く行きましょう。ですよね、阿仁女様」
「少しは遠慮しなさい。そちらは私室ですのよ」
「でも、パソコンを運んでもらうのは悪いと思いませんかあ?」
「それは……」
アニーが答えに詰まった。
「俺は構わないよ」
ナギーに無断侵入されるのに較べれば、どうということはない。
「そうですか……。それならお邪魔いたしますわ」
「いたしますう」
赤靴は部屋に入るなり、キョロキョロと周囲を見回している。しかし、話題の中心となっているはずのパソコンには目もくれない。
「これ、だよな」
机の引き出しから、目当てと思われる品物を取り出して手渡した。赤い機体の携帯ゲーム機だ。
「買い換えたんですかあ」
「壊したから修理したんだ。前のと同じ」
赤靴はゲーム機が正常に動くことを確かめてから、メモリーにセーブしていたデータをロードして遊び始めた。見た目も中身も女子小学生だ。言われなければ、物の怪だとは思えない。
「わたくしも使わせていただきますわね」
「どうぞ」
俺は机の上に置いていたノートパソコンを折りたたみ式の小さなテーブルに移し、それからお茶を淹れるために部屋を出た。三人分のお茶と菓子を用意する間、ネットカフェの代わりなんだろうか、などと考えていた。
お盆を持って、ゆっくりと部屋に戻った。
二人は熱心に機械を操作している。
ゲーム機の画面をそっと覗くと、ゲーム中盤であることが判った。
もう一方のパソコン画面を見ると、予想に反し、ブラウザを使っていない。ローカルディスクに保存してある表計算用のファイルやテキストファイルを見ている。ナギーが集めろと指示した宣伝用の資料、書き込み工作の記録だ。そんなものを見てどうするのだろう。
「この様子だと、まだ見つけていないようですわね。やはり……」
大会の推薦人のことだ。やはり、というところにナギーの信用の無さが読み取れる。
お茶を薦めると、アニーは作業を中断し、恭しく礼を述べてから湯飲み茶碗に手を伸ばした。そして熱い液体を一口啜ってから器を置くと、遊びに熱中している従者に指示を出した。
従者の女の子は、持ってきたお茶の渋さを遥かに凌駕するレベルで渋々とゲームを中断し、風呂敷包みから小さな物体を取り出した。
受け取った物体を俺に見せながら、アニーが尋ねてくる。手にあるのはUSBメモリだ。
「これに、このフォルダのデータを全てコピーさせて頂きたいのですが」
「何に使うの? こんなもん、何かの役に立つとは思えない」
「陰陽寮で分析するのです」
秘密組織で分析とは、穏やかな話ではない。
「まさか、ウイルスが仕込まれているとか。それとも情報犯罪の共犯者として摘発される……?」
「告発などいたしませんから、その点はご安心なさって下さい。ウイルス感染については保証しませんが」
全然安心できない。
「貴方のプライバシーの問題もありますから、立会いとコピーしたデータの確認をお願いいたします。それでよろしいですわね?」
顔から苦笑を消して、念を押してきた。
「ああ、いいよ。でも何だかやっぱり、事件の捜査みたいだな」
「いえ、これはむしろ、事件を防ぐための措置ですわ」
メモリスロットに記憶媒体を挿しこんで少女が言った。
「もう起きているとしか……。あれ、前は協力してたのに、今はマークするってどういうこと?」
「ナギーを監視しているわけではありません。今も、以前にお会いしたときと同じですわ」
陰陽師の少女は否定したが、その口調はどこか重く、歯切れが悪かった。二人の間に、あるいは謎の陰陽師組織とナギーの間に、何かトラブルが生じたのかもしれない。
コピー作業はすぐに終了した。式神の少女は主から受け取ったUSBメモリを素早く片付けて、ゲームを再開した。
「ネットに色々書き込んだの、まずかったかな」
パソコンのハードディスク以外にもナギーに関する情報が残っていることを思い出し、尋ねた。
「いいえ。こちらとしては続けてもらいたいところです」
ますます事情が分からなくなった。
怪しい宣伝工作を続けたら、それこそ事件になるんじゃないのか。
「ナギーに怪しまれないため? でもあいつは、やめてもいいと言ってたし」
「それは、やめなくてもいい、ということでもあるでしょう? ナギーの害になることではありませんから、わたくしからもお願いいたしますわ」
正座で真正面から丁寧に頭を下げられると、断りにくい。
「それなら……」
どうやら、敵対関係になったのではなさそうだ。
ナギーをけしかけるか、囮にするかして、都市伝説の大会で悪い化け物を一網打尽にするのかもしれない。陰陽師単独では会場に入れてもらえない、ということもありうる。出場できないと計画が破綻するから、尻を叩きにきた、というところかな。
「十二月の半ばまで頼みます」
約一ヵ月後だ。ナギーが言っていた、大会エントリーの期限と重なる。
「わかった」
「それと一つ注意があります」
「何?」
「これですが」
ノートパソコンの横に置いてある紙の束を手にとって言った。
俺がお茶を淹れている間に見たのだろう。ヘビメタライブに関するプリントだ。ここから最も近い、神戸会場での開催日も十二月中旬となっている。
「この日に騒ぐのは非常に不吉です。その翌日もです。この二日間だけはコンサートなどに行くのをやめて、大人しく過ごして下さい。いいですわね」
「いや、これはチケットが余ってるから、欲しい奴を紹介してくれって頼まれただけだよ。元々行くつもりはないよ」
「あら、そうでしたか。てっきり女性をお誘いになるものとばかり思っていましたわ」
「そんな相手いないって」
大きな勘違いだが、悪い気はしない。まったく彼女ができない人間だとは思われていない証拠だ。
微笑を浮かべてアニーが言う。
「誤魔化そうとしても無駄ですわよ。すでに懇意になされている方がおられるでしょう?」
「だからいないって」
「そんなはずは。赤い糸が出ていますし」
視線が俺の左手に向かっている。勘違いはこれのせいだったのか。
「えーと、これはあの運命の赤い糸とやらではなくて……」
事情を説明することにした。
俺が説明を進めるにつれて、アニーの頬はどんどん緩くなっていった。
「指切りをして小指を詰められる……ぷっ……」
口に手を当てて、こらえきれないとばかりに横を向いている。
自分でも間抜けな話だとは思うので、これは仕方がない。
「しかもナギーと……。異性との縁が……くくく。これはいつ見ても笑えます……」
「待った。異性との縁がどうしたって?」
「なくなるんですの……失礼」
聞き捨てならない台詞を言ってから、部屋を出て行った。
「大変ですねえ」
ゲーム機から目をそらさずに、同情する口調で赤靴が言った。閉められたドアの隙間からは笑い声が聞こえてくる。わけのわからぬまま、取り残された気分になった。
「失礼いたしました」
アニーが目に溜まった涙をハンカチで拭きながら、部屋に戻ってきた。大笑から微笑に戻っている。
最後の言葉について問いただす。
「縁って何のことだ……?」
「赤い糸の効果です」
「ナギーは赤い糸じゃないって言ってたけど」
「成分も形状もほぼ同じですから、外部から入る都市伝説力と混ざって、同じ効果が出てきます。正体はよくわかりませんが、赤い糸以外の都市伝説も少し加わっていますわね。相乗作用を起こしています」
「赤い糸で縁がなくなるって、おかしいんだが」
赤い糸は、男女二人をつなげるものだろう。逆に思える。
「同じことを別の角度からみると、そうなりますの。赤い糸があると、他の異性の眼中に入らなくなるのです」
「つまり」
「モテなくなります」
嫌なことをあっさりと言ってくれる。
「結ばれた二人が熱く燃え上がるんじゃないの?」
ナギー相手に燃え上がりたいとは思わないが。人間じゃないし。
「いいえ、そのような効果はありません。赤い糸伝説の出典とされる『定婚店』では、男性側が女性側に刺客を差し向けて殺害しようとした、とあります。女性側はそのとき三歳でした。お互いが好きになって引き合うわけではありません」
刺客とは。
「殺したくなるほど嫌でも、強制的にくっつくの?」
「伝説力の強さ次第ですわ。定婚店の話では赤い紐とも縄とも言われていますから、作用が強烈です。糸ならば普通は弱いのですが……」
言葉を濁した。
「が……続きは?」
「ナギーは他の都市伝説を倒せる強さですので……その力が加わって……」
頬が緩んでいる。
「俺はナギーとくっつかざるを得ないと?」
「もう同居なさったのですから、そちらの効果はさほどでも。効果が強く出るのは、あのナギー以外の異性から相手にされなくなることですわね。存在そのものが空気のように無視されて、アウト・オブ・眼中。ご愁傷様です……ぷっ」
死語まで使って笑うな。
……あれ、待てよ? 何か変だな。おかしなことを言っている。
「それ、本当にそうなの?」
「そうですわよ」
疑念が深まった。
「えーと、たしか、相乗作用だっけ? それも?」
多分、怪人の噂のことだろう。
「ええ。気の流れからみて、間違いありません」
目の前の人物は、確信をもって答えた。疑念がさらに深まった。
深まった疑念をぶつける。
「いや、ナギー以外との縁がなくなるはずなのに、君は俺の部屋の中にまで来てるじゃないか。男の部屋に女の子が入って話をするのって、縁が無いとは言わないんじゃないか? まさか君、実は男の――」
バキッと音がして、何かが割れた。
プラスチックの小さな破片が、床に飛んだ。
視線を目の前の美少ね……少女に戻すと、笑みが消えている。お供の式神の姿も消えている。
「それ以上言ったら、命の保証はしませんわ……」
少女のこめかみに、青筋が浮かび上がる。
こめかみの青筋。
俺の脳に、日本海で首を絞められたときの記憶が甦る。
しまった……踏んでしまった。
「陰陽師の前では赤い糸の効果など、物の数ではありません。わかりましたか?」
青筋が近づく。真っ直ぐにガンを飛ばしてくる。血走った目が据わっている。
「はい、了解しましたっ」
俺は答えてすぐに、恐るべき存在から目をそらした。その先にはベッドがある。
すると掛け布団の裾が動いて、ベッドの下から何かが出てきた。
「収まりましたかあ?」
妙なところから出てきた従者を、主が見下ろす。テレキネシスでベッドを持ち上げられそうな目だ。
「何をしているのです?」
「『斧を持った男』が潜んでいないか調べているんですう。……まだみたいですう。まだ調べる必要がありますねえ」
威圧感に耐え切れず、赤靴は再び潜っていった。
そこは避難場所としてどうなんだろう。
もし俺がジャーマンスープレックスか何かでベッドに叩きつけられたら、衝撃で足が折れて下敷きになるかもしれないのに。
「まあ、霊感を研ぎ澄ませて気で探れば判ることですのに。修行が足りませんわね。雅弘さん、貴方も言動にお気をつけくださいね。危険なのは一人暮らしの女性ばかりとは限りませんから……」
「ハ、ハハ……よくわかったよ」
殺気をみなぎらせた危険な少女に答えた。
「赤い糸がプロの陰陽師のレディに効かないのはよくわかったけど、一般女性、いや、霊能力者じゃない一般人の女性から全く相手にされないってのは困るな。いつ外れるんだろう」
言葉をよく選ばなければならない。命に関わる。
「ご心配なさらず。糸は一ヵ月後には消えているでしょう。指も治っています」
陰陽師のこめかみから青筋は消えていたが、口調に重さがある。
「そうなのか。時期がはっきりわかるんだな。さすがはプロ」
これは本心からだったが、おだてと思われたのかもしれない。喜ぶ様子は見られない。
「良縁に腐れ縁と、縁にも色々あります。新しく生まれる縁もあれば、消える縁もあります」
怒りはおさまったらしい。陰陽師アニーはいったん言葉を区切ると、落ち着いた様子で盆の上にある湯飲みを右手に掴み、左手をその底に添えた。
「運命も大小さまざまです。より大きな運命の前では、小さな運命などは覆されてしまうものですわ」
なにやら意味深なことをしみじみと言った。それからゆっくりとお茶を口に含ませた。赤靴もベッドの下から這い出てきて盆の横に座り、お菓子に手を伸ばした。俺もそれに続いた。
しばらく、静かな時間が流れた。
口で食べ物を咀嚼しつつ、頭で会話の内容を反芻する。
都市伝説の大会エントリー期限が、一ヵ月後。
頼まれたネットでの作業の終了も、一ヵ月後。
さらには、不吉と言われたライブの日も、一ヵ月後。
そして糸が外れるのも、一ヵ月後だ。
随分と重なるものだ。
紙の擦れる音がしたのでそちらを向くと、赤靴がライブのプリントを読んでいる。
「へぇ~、漢字が読めるんだな」
「術式よりもずっと簡単ですよう」
「すごいな」
「えっへん」
胸を張って式神の少女が答えた。七・八歳相応に見えるその胸は主と違い、縦横高さの全てがバランスよく小さい。
「そのライブに行きたい?」
一応尋ねてみた。適当に読んでいたので、子供が保護者同伴で入場できるかどうかは未確認だが。
「この日はお仕事ですう」
即答で断られた。
「曲目もよろしくありませんし」
携帯電話の画面を見ていた同伴者候補が、駄目を押した。
ヘビメタは年齢に相応しからぬ、との判断だろう。立ち振る舞いやファッションから見て、アニー本人の趣味とも合っていないに違いない。仕事がある、教育的配慮、趣味でない、不吉な日、と理由が重なれば、この二人への営業が失敗するのは当然だ。
「それなら他の人に勧めるよ。いや待てよ、このライブって、不吉なんだよな。どうすりゃいいんだ」
「お知り合いに勧めるのならば、構いませんわ。その際にはなるべく、霊感のある方や都市伝説と同期している方を避けて下さいね。糸を見せれば、反応でわかるはずです」
「見える奴が行くとまずいってことは、会場に化け物でも……? そうか、あの舞台真ん中の地下エレベーターみたいな装置、奈落だったかな。あの奈落の底から亡者が湧いて出てくるのが見えるんだ。糸があればワラワラと縋り付いてくる、なんてことに」
うむ、芥川賞級の発想だ。
「なりませんよう」
笑いながら赤靴が否定した。
アニーは笑わずに言う。
「そのライブ会場が不吉なのではなく、貴方がその日に騒ぐことが不吉なのです」
「ん、俺だけアウト?」
「ええ」
「糸のせい?」
「ある意味、そうかもしれません」
オカルトに関する専門家は、真剣な表情で答えた。軽口を叩くようなことではなかったらしい。
もっと詳しく理由を尋ねようとしたが、雅楽のようなメロディがそれを遮った。
「会場担当は決まりましたか……」
手元に届いた電子メールを読んで、陰陽師が呟いた。
「会場って、やっぱり……」
「コンサートのではありませんわ。神事です。陰陽師は神職を兼ねることもありますので」
「神主さんのことですよう」
「ふーん」
坊さんより、そっちに近いのか。まあ、お寺と神社も似たり寄ったりに思えるけど。
アニーは再び携帯電話の画面を見てから、赤靴に目をやり、さらに風呂敷包みに視線を移した。
それを受けて、赤靴がゲームを机に置き、湯飲み茶碗と受け皿を盆の上に片付け、畳んで置いてあった羽織を広げた。
帰り支度だ。
「結構なおもてなしでしたわ。ですが、あまり長居してもご迷惑になりますし、おいとまいたしますわね」
「え、ああ、さっきのは」
「また伺いますから、そのときにでも」
二人はもう玄関に向かっている。窓の外は暗い。引き止めるわけにもいかない。
二人を玄関先で見送り、部屋に戻った。
室内は静けさに包まれている。女の子二人が――ナギーも加えれば三人が――去った後の部屋は、殺風景に感じられる。
賑やかしに音楽でもかけようと思ったが、やめた。
「俺だけがアウト、か」
ひとり部屋の中で呟いてから、割れたマウスを眺めて、苦笑した。
沈む船から逃げ出し損ねたネズミが、茶碗の代わりに不吉を告げたかのようだった。




