潮境
人の噂も七十五日。
『体育館の怪人』の噂も、すぐに消えるはずだ。たったの七十五日、二ヵ月半だ。
二ヵ月半……長い。
『怪人=俺』と誤解されたままで、確定されるわけにはいかない。
演劇部員とは顔を合わせないようにした。廊下ですれ違った際に、男子の演劇部員が『あれ、お前……』などと呼びかけてくることもあったが、聞こえないフリをしてやり過ごした。
演劇部長と女子の演劇部員の行動は、男子と違っていた。
廊下で鉢合わせしても、『すいません』と普通に謝って通り過ぎるだけ。一緒にいた男子部員が俺を指差しても、首をかしげているだけ。
主役だった石川さんと、俺が腕を掴んで舞台から連れ出した少女の二人は、俺を見ると『あっ……』と声を漏らしたが、反応は一瞬。その後は何事もなかったかのように、自身の友人達と会話を始めた。
これはひょっとしたら、記憶と演劇部の歴史から『体育館の怪人』の存在を抹消するつもりなのかもしれない。怪人は馬鹿な連中にとってはオモシロ話でも、演劇部にとっては、あの日の上演失敗を招いた災厄なのだ。
文化祭から一週間ほど日が経つと、女子部員達の様子を見たからなのか、男子演劇部員達は俺のことを気に掛けなくなっていた。
「久坂ー。チケット買わへんかー?」
寒さが徐々に増してきた十一月半ば、放課後に友人・高杉が話しかけてきた。
怪人の噂が小康状態になり、別のものに興味が移ったらしい。
「お前はダフ屋か」
「ちゃうわ、友情や。安く売ってあげようという親切心やないか。一枚四〇〇〇円で入手したチケットが、何と二枚で一万二千円! これは安い!」
安くなってない。
「四千円も利ざやを取る行為のどこに友情があるんだ」
「才能を認め合うところやな」
「関係ないじゃねーか。それに何の才能だ」
「商才」
「売れてから言え」
「ほな、買わへんのか。限定販売なんやがな~。今がチャンスなんやけどな~」
商人は、A4サイズの紙を俺の目の前で揺らして勧誘する。待っていてもやめる気配がないので、目障りな商品案内をもぎ取って目を通すことにした。
限定販売ということに、偽りはなかった。
チケットは大人気のメタルバンドによるライブのもので、購入するためにはネットで予約して、しかも抽選を経なければならない。
有名ミュージシャンのライブは、西日本においては大阪で開催されることが多い。しかし今回はツアー会場に神戸が含まれているということで、うちの学校でもちょっとした話題になっている。ここから比較的近い場所なので、購入希望者もいることだろう。値段が妥当ならば。
「いらん」
「何や。名義借りしまくって当てたのに、そらないやろ」
「メタルは興味ない」
「ああ、そーいや、お前はちょい陰気くさいぐらいのが好みやったな。モテへんわけや……」
「余計なお世話だ。とにかく他を当たれよな」
しかしダフ屋は食い下がる。
「お前が最後なんや。お前が行かんでも、知り合いや親戚に好きな奴おるかもしれんやろ? 頼むわ~。他の奴は頼んでも『高杉、高すぎや』と寒いこといいよるだけやし。伊藤なんか『まず安井に改姓することや』とかぬかしよって」
「大した商才だな」
「ほな、それ持ってってええから、お前からもセールスよろしゅう。委託販売手数料は五百円でええな。頼むで」
そっちを安くするんじゃねえよ、と俺がクレームをつけるより早く、強欲商人はこの場を去っていった。
公式サイトのページを印刷したものと思われる紙の束が、俺の手に残った。
押し付けられたプリントの束を持って帰宅した。
「ただいま」
と玄関で一応は言ってみたものの、返事をする者は誰もいない。
お袋はパートに出勤しているため、販売協力を頼むことはできなかった。もっとも、最初から頼むつもりはないので構わない。同僚の人の子供にヘビメタファンがいるかもしれないが、親にダフ屋をさせるわけにもいかなかった。利益を上乗せしていなければ、オバサンネットワークで二枚くらいはあっという間に捌けただろうに。
学校の連中へのセールス活動はすでに試みた後だという話だったので、他の販売ルートを探る。俺自身の知り合いや旧友にメールを送って、希望の有無を確認することにした。
バカな友人からの頼みだ、ということをメール本文に書くのは当然だ。
商売に虚偽はいけない。信用第一。
高杉の信用はともかく、俺自身の信用は少しでも守らねば。類は友を呼ぶ、これだけでも俺も十分に怪しまれるよなあ、などとは考えないでおこう。
メールソフトを閉じた。
ついでということで、前回の宣伝活動の成果を確認しておく。
ブログは動画の追加もなく、元々のネタの数も少ないので、アクセス数が少ない。
次に掲示板をざっと見たが、ナギーについての書き込みはなかった。詳しく調べても、多分同じことだろう。
検索エンジンに『ナギー』と入力すると、大量の検索結果が出た。
これらのほとんどは、ハンドルネームやニックネームの一部に『ナギー』を使っている別人のサイトだ。そうでなければ、外国人の名前。サイトの内容は当然人間のもので、物の怪少女とは何の関係もなかった。
検索ワードを変更する。
『都市伝説 ナギー』だと、俺の作ったページが上位に表示された。それ以外の検索結果は、ナギーと関係のない都市伝説だ。
『都市伝説』だけだと、関係のないものが多すぎる。
海がどうの、とナギーが言っていたことを思い出し、『海 都市伝説』で検索したが、それでも検索結果に伝説少女ナギーは出てこない。出てきたのは、海面から出てくる無数の白い手、海中から足を引っ張る老婆、夜中に行方不明になる海水浴客、といったところだ。
先月に行った福井県の島のように、場所が明示されているものもある。ここから最も近い海である瀬戸内海にも、ある伝説があった。
何年も前に作られたウェブページに載っている、その都市伝説の紹介文を読むことにする。異世界研究も少しはしておこう。
『魔の航路点』の伝説――。
瀬戸内海の航路上には、そこを通過すると災いが降りかかるとされている場所がある。
それは航路が地図上のある線と交差する点であり、このある線とは、光源氏の嘆きと吟詠の声がするという須磨(兵庫県神戸市)と、滅亡した平家の怨念が立ちこめるという壇ノ浦(山口県下関市)を結んだものである。
災厄は、壇ノ浦で入水した安徳天皇の荒ぶる御霊が神器・天叢雲剣を佩き、光源氏の詠う和歌に耳を傾けているためだとされる。歌への共感が帝の都落ちの怨念を増幅させ、それが壇ノ浦と須磨を行き来しているという。
これと対立する説として、大和田泊(現・神戸港)・福原(神戸市)・厳島(広島県廿日市市)の各所付近を通過する者に、竜宮のある『波の下の都』への朝貢と上洛を安徳帝が求めている、というものがある。
これより以前に、学問の神・菅原道真が内海にあるこの場所と外洋の二つの危険を避けるために遣唐使の派遣中止を奏上したという主張もあるが、これは根拠に乏しく、推測の域を出ない。また、前記二つの説とも齟齬があるため、否定的な見解が多い。別の見解として、大宰府に流される道真の怨念が残留しているという説もある。
いずれの理由にせよ、この場所は負のパワースポットとして、マイナースポット巡りを行うオカルトマニア達のごく一部によってその名を知られている。
なお『魔の航路点』に該当する場所は複数存在し、その一つに関連する情報として、今より数年前に宇高航路において船の乗客多数が死亡した大規模な海難事故があげられる。T市にこの事故の犠牲者を弔うための慰霊碑が建てられている。詳細はリンク先を参照してもらいたい。
海運業者・旅行業者・漁業関係者・航海士の間では、地形の特性として突発的な気象変化と潮流変化の双方に見舞われやすいとみなされている。近年の世界規模における異常気象により特異点が発生したという物理オタクもいるが、真摯な研究によるものなのか、一九九〇年代のカオス・複雑系に関する出版ブームの残滓なのかは判然としない。
ふーん、と適当に頷きながら、これ以外の海にまつわる都市伝説を紹介したページも読んでいく。しかし、ナギーに関係がありそうな話は見つからなかった。
本当に海と関係があるのだろうか。
どこか釈然としないものを残しつつ、検索を終了した。




