超音波探知機
暗闇に炯炯と光る目。
柔肌を引き裂かんとする牙。
それを目の当たりにして、カジュアルな服装に身を包んだ少女が立ちすくんでいる。
その横にいるもう一人の少女が、恐る恐る声を発した。
「奥ですか?」
人狼となってなお理性をとどめている俺は、チケットを受け取って頷いた。カーテンの隙間から漏れる光を頼りに、二人の客人を広い別間に誘う。
暗幕は窓と戸のみならず、部屋の中にも垂れ下がっている。部屋を前後に一対四の割合で分けるように、区切りとして使用している。俺がいるのは、狭い側だ。
次に来たのは、うちの制服を来た男三人組。
面倒なので、親指で別間への入口を示した。三人は俺が持っている箱にチケットを入れると、さっさと別間に移動した。
さて、後は仲間の仕事だ。
座敷わらし、吸血鬼、サキュバス、ダークエルフ、人面鳥、妖狐、猫又……人ならぬ姿をした女どもが、彼らをもてなすだろう。
「ふっ。やつらは小便を我慢できまい。ちびってトイレに駆け込むがよい……」
「そんなわけないでしょ」
隣に立っている、ただ一人の本物が話しかけてきた。
「やつらに注ぎ込まれる魔力物質・カフェインの力だ。緑茶、紅茶、コーヒー、コーラ。この全てに入っているのだ。逃げ道はない。回転率上昇策の餌食になるのだ!」
「ここ何のお店なの……」
「見ての通り、モンスターハウス」
男三人組の客が開けた教室前側の戸を閉めながら、答えた。
「コスプレ喫茶じゃない」
「それは隣のクラスだ。俺たちは隣とかぶらせるようなヘマはしない」
「飲み物売ってるのに」
「俺はウェイターではない。闇世界の門番、ワーウルフだ。それ以上言うと頭を齧るぞ」
両手を高く上げて、目の前のモンスター少女・ナギーに襲い掛かるフリをする。
「全然怖くないなあ。本物の妖怪と都市伝説を見てきた私に言わせれば、まさにコドモ騙し」
肱を曲げた状態で両手の平を上に向けて両腕を開き、かつ首を左右に振る、いわゆる『やれやれ』のジェスチャーをしながら、ナギーが言った。
「それなら後で本物の恐怖を味わわせてやろう」
「そんなことできるかなあ」
教室の戸がまたも開いた。
「ウルフ久坂ー。交替の時間やでー」
交代要員の同級生男子がやってきた。
「わかった」
まず爪と肉球がついた毛むくじゃらの仮装用グローブを外し、それから被り物を脱いだ。交代要員に渡す。
「ほれ」
「何か臭そうやな」
「男三人の汗と汗と汗が染み込んだ逸品だ。大事に使え」
「血も涙もないんかい!」
新たに誕生する狼男に後を任せて、ナギーと教室の外に出た。陽の光がまぶしい。月は見えない。
「ぐおーーー」
教室の中から叫び声がした。
「阿鼻叫喚ね」
「雄叫びだ」
制服のポケットからスマホを取り出す。カモフラージュ用でもあるが、業務連絡用でもある。
クラス委員長に交代を報告しようとしたが、つながらない。
表示を見ると、圏外だった。
どういうことだろう。今朝は使えていたのに。
この学校に来ている客たちと生徒が一斉に携帯電話を使って、混雑したためなのだろうか。しかし周囲にいる人々を見ても、遠くを歩いている人を見ても、電話を使っている人はまばらだ。文化祭の開催中とはいえ、通勤通学時の満員電車よりも多いとは思えない。原因は別にあるらしい。
「どうしたの?」
ナギーが尋ねてきた。
「大したことじゃない」
通話しているフリをしながら答えた。多分、電話会社の設備不調といったところか。そのうち復旧するだろう。
「それなら行きましょう」
「お前と二人で?」
他の連中はナギーを見ることができない。声も聞き取れない。俺が一人寂しくうろついているように見えるはず。
「私一人で見て回るの嫌だよ。寂しいじゃない」
「そうか……」
よく考えれば、俺も友人に連絡を取ることができない。どのみち他人から見た違いはない。
「じゃあ、一緒に行くか」
「うん」
「その前に一人でそこだけ見ていけ。俺は昨日見た」
隣のクラスの教室を指差して促した。表向きも実態もコスプレ喫茶をしているこの店は大盛況で、人だかりが廊下にまで溢れている。
「何があるの」
「いいから行けって」
「ふうん。まあいっか」
大勢の客をすり抜けて、ナギーが店内に歩いて行った。
「うわっ、うわっ、うわっ、うわっ」
一分も経たないうちに、転がるように走って出てきた。
「どうだ。あれこそがモンスターだ」
不自然きわまる派手なメイクと露出の多いアニメコスプレをした女装野郎どもこそ、真のモンスターだ。
「はー、はー、納得できません。隣のクラスじゃない」
「半分はうちのクラスの奴だ。ガチムチマッチョとデブ男、それと毛深い男を隣に貸し出し、女子を借りる。飲み物は互いに融通しあう。クラス単位という狭い枠組みにとらわれない、素晴らしい構想だ」
自信満々で言ってやった。考えたのは俺じゃないけれど。
「不覚を取りました……」
両手と両膝を廊下の床について、ナギーが負けを認めた。
アニメソングの曲に乗って、野太い声が廊下に流れてくる。歓声と口笛と悲鳴と拍手が入り乱れ、混ざり合い、人々の間に熱気あるムーブメントを作り出す。
「新文化の勃興ね……」
「この程度は基本だ。お前は周回遅れだ」
「ランジュク期なのね……」
「高尚なのがよければ別棟だな」
渡り廊下を通って別棟へ移動する。
音楽室・美術室・視聴覚室・理科室・家庭科室などがあるこの棟には、文化系のクラブの展示がある。体育館は吹奏楽部・軽音楽部・演劇部・映画研究部が使っている。
展示は出店に較べると人気がなく、人通りは多くない。余裕を持って歩くことができる。
まずは家庭科室。
手芸部員が作った小物が並べられている。
「あ、これかわいいー」
「俺にはよくわからない……」
次は書道部の展示。
凄惨・熾烈といった形容が相応しい、鬼気迫る印象を与えてくる入魂の作品群が並べ掛けられている。
「結構多いね」
「一人で書くとはすげーな」
落款――筆者を示す印――は全て同じ。唯一の書道部員である、ある三年生のものだ。
達筆で書かれた字を順に読んでいく。
『断末魔』
『蝋燭は消えるときに一際強く輝く』
『玉と砕けても全き瓦として生きるを恥ず』
『有終の美』
『我が生涯に一片の悔いなし』
『運命』
『縮小再生産』
『断崖絶壁』
『名ばかり管理職』
『新入部員がいなかったらそこで試合終了だよ』
もう間に合わないだろ。
「来年もあるのかな」
「ないな」
芸術つながりということで、その次は美術室。
「ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチが残した秘密の暗号が……!」
「高校生が描いた絵にそんなもんねーよ」
三階の理科室へ。
ここは自然科学部が使っている。
四つの衝立の両面に、模造紙が画鋲で留められている。机の上には二つの物体。そのうちの一つは地球儀。これには矢印状に切り抜かれた赤と青の画用紙が貼られている。もう一つは気団と気団がぶつかりあう前線を表した模型だ。
「ちょっと調子が狂う場所ねー」
「何を言っている。この科学力に満ちた空間、これこそ現実世界との接点だ。懐かしい……」
郷愁に浸りながら、さっそく掲示を見る。
『犯人の目撃情報求む!』と書かれた張り紙の横に、彼ら自然科学部の日頃の研究成果がまとめられている。
気候変動に関するレポートだ。
模造紙に貼り付けられた大きな日本地図に、赤マジックで渦巻き状のマークが複数描かれている。添えられている説明文によると、気象庁の予測外に生じた突風・竜巻の発生箇所を示しているという。
広島県庄原市、東京都新宿区、茨城県つくば市、北海道旭川市……。その他にも多数。ここ三年間で急激に増加した、との記述がある。
図と説明文はさらに続く。
『この中で桜栄市で発生したものが最も規模が大きく、これは多重渦構造をしているものと思われる。この多重渦のメカニズムを以下に図示して解説する。』
展示のみならず、自然科学部の部員は校庭で実験も行っている。透明なケースの中に煙を入れ、地面に置いたガスコンロの火で上昇気流を作り、実際に空気の渦を視覚化するという試みだ。
窓からその光景を眺めているナギーが言う。
「うーん、わかってないなあ。この世には科学では解明できないこともあるのです」
「確かにお前はわけわかんねー存在だよな」
「神秘的美少女ということね」
「珍奇的症状の間違いだな。特に頭の中」
校庭での実験は、うまくいっていないようだった。バーナーやないとあかんかー、いや風のせいや、などと大声で話し合う四人の男子生徒の周りから、見物客が去っていく。
「ふむ、やはりこれは興味深い」
校庭を眺める俺とナギーの後方、すなわちレポートの掲示場所から、若い男の声がした。
「都…………ラーの赤い……が無色の……説世界の中を通っている。僕の本分はそれを解きほぐ……」
ナギーが先に振り向き、続いて俺が振り向いた。
声の主の顔は見えなかった。ただ、衝立の下の隙間から、グレーのスーツのズボンと茶色い革靴が覗いて見えた。同一人物かもしれない。
「今のは……。ねえ、コスプレって他のクラスや学年でもやってるの?」
「あと三クラスぐらいやってたな。一年生のはゲームのやつ」
「ホームズのは?」
「シャーロック? いないだろ。江戸川と竜崎なら昨日見たな。菓子売ってる竜崎はともかく、サッカーボウリングの江戸川は見た目がやばい。あれじゃ『酒飲むなやシンイチー』って煽られんのも無理ない」
「イメージが集まってるのね。私もモノマネしてたから呼び込んじゃったかな……。やっつけないと」
ナギーは眉をひそめ、右拳を腰に引いた。
「呼び込むって何を」
「都市伝説『名探偵』よ!」
それ都市伝説か、と俺が突っ込むより早く、ナギーが衝立に突っ込んでいった。
少女の姿が衝立の裏に消えると同時に、そこにいた男の足がステップを踏む。
「む!?」
「わ!」
天井に足の裏を、床に頭のてっぺんを、そして窓に背中を向けた赤い髪の少女が室内をすっ飛び、校舎の外に落ちていった。
「あ、おいナギー!」
窓の下を覗き込む。
「逃げて!」
校庭に倒れていたナギーが、起き上がりつつ叫んだ。
逃げる? さっきの男からか?
振り返ると、衝立の中央部をすり抜けて出てきた男が俺に近寄ってくる。
「別の赤毛か、ふむ」
グレーのスーツの上にケープ付きのコートを羽織り、耳当て付きの帽子を被り、煙管を咥え、ステッキを持つ。イギリスの古典的名探偵のコスプレをした男は、二メートルほど先で立ち止まった。
体はかなり痩せているが、背が高い。一八〇センチを軽く超えている。その高い位置にある鮮やかなブルーの瞳が、眼光鋭く俺を見下ろしている。髪の毛は金色、顔は若手人気俳優のようで、カッコいい部類に入ることは間違いない。年齢は二十代後半ぐらいか。
「君。さっきの赤毛の少女と知り合いだね。君は近頃、百科事典を書き写す仕事をしていないかな」
男が奇妙な質問をしてきた。
「していない」
「本当かな。何かをコピーするような仕事をしているはずだ。百科事典か、それに類するものに関わる仕事だ」
俺がやらされている情報工作のことか?
痺れを切らせたナギーが作成を命じたまとめwikiは、コピペで作る百科事典のようなものだ。完成にはほど遠いが。
「なぜそれを」
「経験と勘だよ」
ベテラン刑事のようなことを言った。推理じゃないのか。見た目と違うな。
「大丈夫!?」
ナギーが窓から飛び込んで、床に着地した。
「こいつ危険なのか?」
「危険よ」
先に飛びかかっていった奴のほうが危ない気もする。
「『バリツ』を受けて平気でいるとは、なかなかのものだね」
「ここに事件はないの。帰って」
「なければ起こすまでさ。ホームズ実在論者が多くないこの国で都市伝説力を得るには、それが最も手早い」
風体と中身の違いが大きくなった。
「探偵じゃないのかよ」
「チッチッチ。僕は名探偵のイメージ、都市伝説であって、名探偵そのものじゃあない。探偵役は他の人にやってもらうのさ。僕がするのは、探偵役の行く先々で事件を起こし続けることだ。できの悪い人間には絶好のタイミングでヒントと閃きを与えることもあるけどね」
「事件を起こすなら『日常の謎』で我慢しなさい! 殺人事件を起こしたら許しません」
「それでは物足りない。より魅力ある作品、すなわちより芳醇な都市伝説力を作ってもらうには、人智を尽くした駆け引きが欠かせない。そして人智を尽くさせるには、それに相応しい条件が要る。そうだろう?」
危険な奴だった。
「迷宮入り事件を刑事に解かせてろよ。それなら問題ない」
「刑事? 刑事だって!?」
男が激しくかぶりをふる。
「犯罪は芸術だよ。それをエレガントに解くことも芸術だよ。愚昧な警察には、この高尚な思想を理解できない者が多すぎる! 人海戦術? 地道な聞き込み? 現場百遍? ふん、くだらない! あげくに集団で科学捜査ときたもんだ! 連中には何の美学も無い!」
そりゃそうだ。警察に美学を追求されても困る。
「だいたい、実際の迷宮入り事件なんてものは初動が遅れているか、見込み違いかに過ぎない。事件そのものにはほとんど魅力がないんだよ。現実の犯人にも思想と感覚が欠けているからね。味気ないものだ。推理作家とミステリマニアの奇想天外にして金城湯池、荒唐無稽にして偏執狂的な妄想を、少しは見習うべきだと思うね」
「見習わなくて結構よ」
拳を構えているナギーに対して、男はステッキを構えている。
「それもまたよし、だ。巷間の凡庸な犯罪者より、都市伝説である僕が演出したほうが面白い。人間誰しも暗い側面を持っている。犯人役からそれを引き出せばいいだけのことだ」
「ここは私のナワバリ。あなたの出る幕はありません」
俺を蚊帳の外に置いて、身勝手なもの同士が会話を続ける。
「どうかな。すでに警察を排除し、一時的に陸の孤島を作る布石は打ってある。君達の都市伝説『電波』と『嵐』を借りて、磁気嵐を作らせてもらったんだ。波長からみて、この地域に飛び交っている都市伝説力電波は君のものだろう? 感謝するよ、ナギー君。君がここに来ることで、磁気嵐が十分に強くなった。準備完了さ」
圏外はコイツの仕業か。俺たちの力を利用とは侮れない……ん、俺の行動まで都市伝説扱い? ネットでの都市伝説宣伝工作を、『荒らし』認定?
荒らしの源、電波少女ナギーが男に問いかける。
「なぜ私の名前を?」
「ふふふ、簡単な推理だよ。そこの彼がそう呼んでいるのを聞いたんだ。論理的に当然の帰結だと思わないかな」
男が踵を返した。
「それでは取り掛かることにしよう。楽しんでくれたまえ」
「待ちなさいっ」
ナギーが飛びかかったが、すでに男は走り出していた。
廊下の彼方から、男の身なりに相応しからぬ捨て台詞が飛んでくる。
「また会おう、ナギー君!」
エセ探偵との追跡劇が幕を開けた。
別棟三階の廊下の端、すなわち階段の前で、追跡を一時中断した。
追跡対象であるエセ探偵が階段を昇っていったのか、それとも降りていったのか、それがわからない。
「どうする? 手分けして探すか」
学校でわけのわからん事件を起こされてはたまらない。学校でなくてもたまらない。
「アレは変装も憑依もできるから無理ね。どーしよっか。古典的なタイプだから……えーと、そうだ。美術室に行きましょう」
「美術室? 何をするんだ」
「おびき寄せるための仕掛けを作ります」
美術室に向かった。
中には二、三人の見物客がいる。
「準備室に移動します」
移動する。準備室には誰もいない。
ナギーが部屋の中を物色し始めた。
「あった。これと、あとこれと……」
ナギーは棚からスケッチブック、ボールペン二本、ハサミを盗ってきて、台の上に置いた。セロテープも窃取……拝借して、同じ台に乗せた。
ナギーは丸椅子に座り、ボールペンでスケッチブックに見覚えのある言葉を書いた。
「それで仕掛けになるのか。それにタイトルだけなのも変だな」
「探偵なら放置はしないでしょう。知ってるのなら文章は書いて」
記憶を頼りに三行の文を追記する。
「できたらこれも手伝って。はい」
未使用のページをスケッチブックから破り取って、俺に寄越してきた。ボールペンとハサミも渡された。
「何をすればいいんだ」
「これをたくさん写して。できたら切り分けて」
ナギーはスケッチブックの新たなページに文字と記号を書いて、それを俺に見せた。
「これはひどい。こんなアホな手に引っかかるのか」
「わかりやすくていいじゃない」
「うーむ、まあとにかく急ぐか……」
考えていられる状況でもない。
機械的に手を動かした。殴り書きになったが、読めれば十分だ。
ほどなくして道具が出来上がった。
「で、どうする」
「貼るなら目に付くところ、人通りの多いところね。事件が起きてない今の段階で、誰かに見られたくないはずです」
「人が多い……。隣のクラスだな」
「急ぎましょう」
道具を持って廊下を走る。目的地が近づくにつれて、徐々に人通りが多くなる。
コスプレ女装喫茶を営業している教室の前に到着した。ライブが終了しているので、客の数は減っている。その代わりに、俺のクラスの教室前に行列ができている。
ナギーがあたりを見回して言う。
「柱、黒板かな」
「張り紙を見てる人はほとんどいないぞ。テーブルならどうだ」
「そうね。張り込みしましょう」
女装喫茶の中に入る。
「お帰りなさいませー。なんや久坂か」
ウェイトリフティング部所属のウェイターに、メイド姿でお出迎えされた。
「よし、席空いてるな。案内しろ」
「えらそーやな」
「ご主人様の命令だ」
チケットを取り出して渡す。
「ちっ、しゃーないな。そこでえーか」
「ああ」
ツンデレメイドに案内されて席に着いた。今のところ、同じテーブルに客はいない。
「貼りましょう。小さいのは円にして。まあるく、まんまると」
テーブルは、六つの机を寄せてクロスをかけたものだ。このテーブル上の中央に、文章が書かれた画用紙をセロテープで貼り付ける。
それが済むと、今度は貼り付けたばかりの画用紙を円く取り囲むように、トランプカードのサイズに切り分けられた紙片を貼っていく。紙片は二十枚以上だ。
画用紙は字の書かれた面が上にあり、紙片は字の書いてある面が下にある。
「何やっとるんや」
「ゲームの準備だ。気にせず他の客の相手してくれ」
「ほな、注文するときは呼んでな。あ、はよせんと飲み物なくなるで。よう捌けとるから」
メイドは隆々たる背中の筋肉をぴくぴくっと震わせてから、この場を去った。
「さて、これで本当に来るのやら……」
俺が椅子に座って言うと、ナギーがテーブルに片手をついた。
「仕上げです。都市伝説『ミステリーサークル』!」
紙片が赤く輝き、その光がつながって環形になった。そしてその光輪は天井に向かって伸びていき、円筒状の光壁に変化した。
「これは気になるはず。名探偵は謎が大好き。絶対にこのテーブルに参加してきます」
「本当かよ」
ミステリーの意味もサークルの意味も、何かずれているような。
「メイドもいて、大きなテーブルもあって、解決シーンをするにはバッチリだもの。私はあっちのテーブルに隠れるからね」
「俺は?」
「窓から外を探して。誰かに化けてここにやってくるとは思うけど。外で事件が起きそうだったら知らせてね」
言い終えると、ナギーは斜め向かいのテーブルの下に潜り込んだ。
体の向きを変え、垂れ下がったクロスと床の間からわずかに顔を覗かせる。それから窓を指差し、作戦の実行を促してきた。
「さて、と。あいつら今どこにいるかな」
友人たちを探すふりをしながら席を立ち、窓辺に寄る。
別棟、校庭、渡り廊下、体育館。いずれにおいても、異変を示すような騒ぎは起きていない。校庭横の通路にある店の前で小さな嬌声、体育館の中で拍手と歓声が上がっているが、これは昨年と変わりがない。
「あのバカたちがバカをやっていそうな場所は……」
と適当に俺が呟いていると、後ろが騒がしくなった。
「お前もバカやのに、何ゆーとるんや」
バカ一号、この店の企画を立てた高杉だ。デジタルビデオカメラを持っている。こいつは昨日、コスプレした女子生徒と演劇部の女優陣を撮りまくっていた。
「ここにおったんやな」
続いてバカ二号、微妙な存在感で有名と無名の狭間に生きんとする木戸。
「生憎やが、俺だけはバカやない。天才や」
最後は、一応秀才の伊藤だ。
「紙一重やないか」
突っ込んだのは高杉。
「紙一重は大差や。シングルロールとダブルロールの違いも分からへんのか」
伊藤が生活臭漂う喩えで切り返した。
「よう拭けんのやな。ケツの青い奴や」
クサい応酬だ。
「お、ここ座ってえーんやな」
「ああ、いいぞ」
俺が木戸にそう答えると、他の二人も続いて座った。俺は立ったままだ。
高杉と伊藤がレモンティー、木戸がコーラを注文する間に、隠れているナギーに視線を送る。
ナギーが頷いた。この三人の中の誰かに、奴が化けているらしい。容貌、体格、声、話し方、仕草といった点では見分けがつかない。
メイドは残り少ないからと、一・五リットルのペットボトル二本と空の紙コップ四個を置いてそのまま去っていった。サービスが悪いぞコラア、いやサービスせんでええ、頼むからしないでくれ、と一悶着が起きた後、高杉がテーブルの上の画用紙に手を伸ばした。
「何やこれ」
木戸がそれを覗き込んで言う。
「演劇部が忘れていったんかな」
「かもしれんな」
「こっちの小さいのもそやろか」
木戸が画用紙から紙片に目を移した。そのうちの一枚を取り上げる。
「はは、何やこれ」
木戸が伊藤に紙片を見せた。紙コップで紅茶を飲んでいた伊藤が笑って言う。
「ちょい貸してくれや……。ぷっ、何がしたいんやろな。置いてあるのみんな同じか」
伊藤がテーブルから一枚ずつ剥がして集め出した。
「同じみたいやな」
伊藤が呟いた。
「上演中やのに、このままでええんかな」
木戸は体育館に向かってそう言うと、コーラを飲みだした。
「久坂、お前なんか知っとるん? ここにおったんやろ」
画用紙を見つめていた高杉が尋ねてきた。
「いいや。ああ、これ少しもらうぞ」
嘘をつきつつ、コーラのボトルを右手に持つ。同時に左手の親指を使い、ナギーにターゲットを示す。
見当はついた。
ちなみに、画用紙にはこう書いてある。
『――読者への挑戦――
真相の解明に必要な手がかりは全て提示されている。
読者は探偵と同一の条件のもとに、真犯人を指摘することが可能である。
さて、犯人は一体誰なのか? 諸君の健闘を祈る』




