活魚
「ついに……ついにこの時が来たのね。決戦よ!」
ショッピングモールの入口に立って、伝説少女ナギーが気勢をあげる。
「売名するにも、他に何かやり方あるだろ」
「強敵に勝つことが近道です。これに勝てば都市伝説力がガツンと手に入ります」
「それはそうだろうな」
ある商品のチラシを手に、ナギーが人で賑わう建物に足を踏み入れる。ナギーは人波をものともせず、通路の中央を堂々と進む。俺はすり抜けられないので、他の通行人をかわしながら後を追う。平日月曜といえども、夕方は人が多い。
目的地である店舗の前に到着した。
俺たちの視線の先には、黄色の太い線で描かれた二つの山。知らぬものなき有名ファストフード店のシンボルだ。
「よし。いきます」
店内は割と空いている。
「まだいないね」
「先に俺の注文だけ済ませるか」
俺はスマートフォンを顔の横に当てて喋っている。ナギーとの会話を怪しまれないためのカモフラージュだ。
ハンバーガー一個とジュースをレジカウンターで注文する。ポテトは断った。スマイルは断らなかった。
「あ、来た」
会計を終わらせてレジを離れたところで、奥から目的の人物が姿を現した。クルーと他の客をすり抜けて軽快にスキップをしながら、俺たちの横にまでやってきた。
片腕にスケッチブックを抱えたこの人物は、世界で最も有名な道化師。
黄色い服、縞模様の長袖シャツ、白塗りの顔、パーマのかかった赤い髪。このピエロ、周囲の客たちに見えていたら一瞬で取り囲まれていただろう。
ピエロはうやうやしくお辞儀をすると、持っていたスケッチブックを開いた。字が書いてある。
『ようこそ。こちらへどうぞ!』
「喋れないんだな。やっぱり」
俺が小声でそう言うと、彼はスケッチブックのページをめくり、マジックで返事を書き始めた。
『本物は喋れるんだ。ぼくは都市伝説だから喋れないんだよ』
そうなのか。
二人掛けのテーブル席に案内された。トレーを置けば、再びスマホで偽装ができる。
『すぐに持ってくるね』
ピエロがスキップで去っていった。
「あれはセルフサービスじゃないんだな」
「私はセレブだから」
「ファストフード店に挑戦状を叩きつけるセレブがどこにいる」
――私の武勇伝にお加えします。
これは挑戦状と言って、『ナギー』のところからあなたに来た、都市伝説更新のお知らせです。
あなたが今のところから逃げ出すと、必ず不幸が訪れます。拳で。『雄図海王丸』を書いた岡山県津山市の都市伝説『丑三つ時のムッツー』が杉沢村に逃げようとしたところ、ナギーに殴られました。心残りがないように、闘いの舞台と演出を速やかに用意して下さい。
あなたは四十二番目です。なお、受け取った全員が四十二番目です。速達で返事をすれば、特別に十三番目にすることもできます。これはイタズラではありません。この手紙を受け取ってから四日以内に、黒猫メール便で承諾の返事を寄越すこと。
※次に書くことに注意してください。
一、必ず首を洗って待っていてください。(遺書、遺言でも可)
二、他のチキンな都市伝説に知らせてはいけない。(追いかけるのが面倒だから)
一つでも欠けている場合は、あなたによくない日が続きます。拳で。
ある都市伝説はワンツーを華麗に決められた後、アッパーで空の星になってしまいました。これは本当のことです。――
この文章をナギーが赤のサインペンで書いたのは、土曜日である一昨日。俺がブログのコメントを確認した日の夜のことだ。ちなみに『拳で。』のところだけ、赤の太マジック。暇人かよ。
受け取った奴は不幸と惨事だけが友達さ、と言いたくなるこの手紙に対して即座に返事をするあたり、世界レベルの都市伝説の自信が窺える。
赤いトレーに赤い紙の箱を二つ載せて、ピエロがこの席に戻ってきた。箱は両方とも、標準サイズのハンバーガー用のものだ。
『三つを六時間以内に完食すれば君の勝ち。できなければ小切手で支払い。これでいいんだね?』
スケッチブックの文を見てナギーが頷く。
『それではスタート!』
フードファイトが始まった。
ナギーは合図の文を見ると、すぐに箱の蓋を開けた。
「うっ……!」
「うおっ……!」
上下二つのパンに挟まれているのは、刻みキャベツと特製ソースと紐状の肉の束。肉は基本的に赤身だが、一本ごとに一ヶ所、白い縞がある。輪になって刻まれている無数の皺――節か?――がなければ、どうにか生のミンチ牛肉だと思えたかもしれない。
「形が丸々残ってるとは。これいけるのか」
「やるしかありません」
意を決してナギーが一口齧った。眉間の皺が悲壮感を漂わせる。
「ぐっ。ぬめり気がっ!」
言いたい気持ちはわかるが、食いながら喋るな。噛みちぎられたあの生き物は見たくない。
『焼き加減はベリーレアにしてあるよ』
「焼いてあるように見えん」
だがよく見ると、うっすらと炙った跡が見える。
「これはレアじゃなくてナマ……」
汗をだらだら流して食べながら、ナギーが呟いた。
『刺身みたいなものだよ。活け造りっていうのかな。日本人好きだよね、こういうの』
「魚やエビならな。それに炙ってるから、刺身じゃなくてタタキだな。原形がなくなるまで叩いておけばいいのに……」
『君もどう?』
「普通ので十分だ。ていうか、普通のも食う気がしなくなる……」
『困った都市伝説だよね。でも普通のメニューは牛・豚・鶏・魚でアレは使ってないから、ちゃんと食べてね!』
楽しそうな顔から困惑顔、困惑顔から明るい笑顔、と表情豊かにピエロがその顔を変化させる。
別次元のスペシャルメニューと格闘中のナギーは、苦しい表情の一辺倒だ。
「ハア、ハア……、もうすぐ一個目終わり……。おえっぷ」
特製バーガーを持つ手が震え出した。
『無理しないで。やめてもいいんだよ。クーポンも使えるから』
「私は都市伝説力を……上げなきゃいけないの!」
残りを一気に口に詰め込んだ。喉がいったん膨らんでから元の大きさに戻り、一回痙攣した。
「次!」
『どっち? メインはもうできてるよ』
「メインよ! これだけなら伝説にはなりますぇん……。一気に本丸攻略です……」
無謀なフードファイターは、目に涙を浮かべて注文する。手の震えが激しくなった。
『それなら連れてくるね』
持ってくる、だろ。
ピエロがいったん店の奥に去った。
ナギーはゼイゼイハアハアと喘いでいる。
一分後、彼が戻ってきた。
後ろ向きで、檻のような格子状の赤い箱を引っ張りながら、ゆっくりと歩いてくる。
箱は縦横がそれぞれ四メートルほどあり、六畳間には収まらない大きさだ。高さも三メートルはあるらしく、側面の格子が天井まで伸びている。
下側には四つの車輪が付いており、椅子とテーブルをすり抜けて進む。衝立やゴミ箱、観葉植物もすり抜ける。客を轢くこともない。
箱の両脇にピエロの仲間が二人いた。
一人は、頭部が三段バーガーになっている制服警官。体は人型。三段バーガー部分に、二つの目と眉毛が付いている。
もう一人は、黒ハット、黒メガネマスク、黒マントを身につけた、囚人服の男だ。
ピエロとバーガー警官と囚人服男の三人は、囲むような位置取りで箱を運搬している。
注文の品が席に届いた。
檻のような箱の中にあるものは、直径約四メートルの二段重ねバーガー。うん、これはハンバーガーだ。そう思いたい。具は見たくない。
『入口を開けていいかい?』
箱の正面に、幅と高さがともに約一メートルの戸がついている。閂がかけられている。
ナギーの返事はない。
俺がピエロたちに呼びかける。
「おい、これは」
「活け造りですよ。そうだな、グラー」
「そうだよビッポ。鮮度バッチリ、日本人好みさ。日本本部は味にうるさいからね」
バーガー警官と囚人服男が答えた。
そのとき、二人の間にある箱の中で、何かが跳ねた。
その跳ねたモノの上に乗っていたパンが撥ね飛ばされた。パンは店舗の天井近くまで上昇した後、箱の内側に落ちた。
鮮度のよすぎる食材が、ぐねぐねとダンスする。太く長い二匹が絡まった。
「お前ら、活け造りと踊り食いの違いが分かってないだろ……」
「何だい、それ」
「違うのですか?」
少し驚いた様子で、二人が言った。
椅子の上で呆然としているナギーに、ピエロが問いかける。
『どうしたんだい? メガワームダブル・ハイパーレア、本日のメインディッシュさ。チャレンジするんだよね?』
「ギブ……アップ……」
力尽きた。
『うーん、残念だったね。テイクアウトするかい?』
どうやって持って帰るんだ。
テーブルに突っ伏して微動だにしない挑戦者に代わって、俺が答える。
「いらない」
『そっちも?』
最初に持ってきた小さい箱二つのうち、蓋を開けていないものを指差して、ピエロが尋ねた。
「こっちは何だ」
『Ragworm Burgerさ』
worm……ということは。
「これもアレなのか」
『それはゴカイだよ』
正解にしか思えない。まあどっちでもいいか。ナギーの食欲はすでに絶無だろうし、持って帰っても仕方がない。
ガシャガシャと音を立てて激しく揺れる檻を、バーガー警官と囚人服男がゆっくりと運び去った。ピエロはこの場に残っている。
ジュースを飲み干してから、俺がナギーに呼びかける。
「おい、立てるか。帰るぞ」
「らんらんるー。らんらんるー」
よく壊れる奴だ。
「どうするかな……。長居するわけにもいかないし」
俺が悩んでいると、ピエロが指でトントン、とテーブルを叩いた。
『店の裏へ回って』
「こいつを置いて?」
ナギーを指差して尋ねた。
ごふっ。と、声なのかどうかよくわからない音が、ナギーの口から漏れた。
文を書いてからピエロが自身の胸を叩く。
『大丈夫、ぼくにまかせて。もう何回もしているから』
チャレンジャーという名のアホは、人間以外にも沢山いるんだな。
ゴミを捨ててトレーを片付け、店を出る。
俺が注文したハンバーガーには、口をつけていない。上着のポケットに入れて持ち帰りだ。都市伝説バーガーセットの片付けはピエロに任せよう。俺には色んな意味で触れない。
すり抜けてくれてよかった、と安心しつつ、大量の赤い粘液に塗れた床の上を歩く。
店を出て、店舗の裏側に回った。
そこで待っていると、搬入口からピエロが顔をのぞかせた。俺以外の人間がいなくなった隙を見計らって、折りたたみ式の台車を運んできた。例のスケッチブックは台車の上だ。
彼は台車を俺の前に置くと店に戻り、今度はナギーを背負って出てきた。ナギーを台車の上に降ろすと、スケッチブックを手にした。
『これで運んで。これは使ってなかったから。返すのは明日か明後日でもいいよ。ここの壁に立てかけておいて』
「気が利くな」
『ぼくには都市伝説《極秘の完全接客マニュアル》があるからさ。どんなことにもマニュアルで対応できるよ』
「すごいのかどうかよくわからないが……まあ、また来るよ」
『請求書送っとくね』
笑顔で手を振るピエロと別れ、帰途につく。
このショッピングモールから家までなら、多少の時間はかかるが徒歩で移動することができる。
台車を動かす際に、荷台の上に体育座りの姿勢でうずくまっているナギーの重さはあまり感じなかった。力はいらないが、衝撃と振動で落とさないように気をつける必要はありそうだ。
学校の制服姿で、何も載せていないように見える台車を押して歩く。そんな俺を見て振り向く通行人は何人かいたが、気にするほどのことではない。これぐらいで変人扱いされることはないだろう。
歩道と車道の境目にある段差を通る。台車が揺れ、それに乗っている少女の体も揺れる。台車酔いがトドメにならなければいいのだが。
「う~。消化……、消化してパワーアップよ……。うにゅるるるー」
何に変身するつもりだ。
マンションに辿りついた。台車ごとエレベーターに乗り込むが、買い物帰りの近所のおばさんと乗り合わせることになった。
おばさんが声をかけてくる。
「何やの、それ」
「えーと、文化祭で使う道具を運ぶんですよ」
「ふうん、そうやの」
「にゅるるるるー」
世界の食文化は多様なり。画一的な基準で考えてはいけない。
自宅前に到着した。
鍵を開けて、台車を玄関に運び入れる。両親はまだ帰宅していない。
「着いたぞ。立てるか」
「ぐ、にゅ、まだ無理……」
それでも降りて立ち上がろうとしたナギーだったが、膝が震えてよろめいた。靴を入れる棚にすがりついた。
「運んで」
「どうやって」
「おんぶ」
「手がすり抜けるんだぞ。首が絞まる」
「意識を集中させて、霊気を高めるの……。シンクロしてもうすぐ一ヶ月、難しくないはず」
「よくわからん。手に気合を入れればいいのか? やってみる」
目をカッと見開いて、顔の前で右手を強く握り締める。五秒ほどやった。
よし、これで潜在能力が五%ほど覚醒したはずだ。
五%!
五%の力で相手をしてやろう!
目には見えていない青白く輝く霊気を想像で補完しつつ、触れるかどうかの確認のために右手を伸ばす。
その右手は、ナギーの右肩の中で空気を掴んだ。
しまった、やはり一〇〇%でないとダメなのか。しっかりと目覚めるんだ俺!
苦みばしった顔でナギーが注意してくる。
「霊能力者ほど強くないんだから、ちゃんと念じないと。うーんと、例えば、カワイイ女の子のフトモモを触りたい、触りたい、触りたいって……」
「変態仕様かよ」
「後で指をポキッとしたりしないから、早く。しんどいんだってば」
「仕方がない」
念じることにする。
カワイイ女の子……自分で言うな、と突っ込んでる場合じゃないな。続けるか。
フトモモを触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい……何だか頭がおかしくなりそうだ。フハハハハ。触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい……気が触れそうだ。フハハハハ。
右手が赤く光ってきた気がする。
「まだまだ。左手も」
触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい、触りたい……。
左手も赤くなった。
「これが霊気なのか?」
色が都市伝説力と同じだ。違う気もする。
「余計なことを考えてはいけません。そのまましゃがんで」
俺が背を向けてしゃがむと、ナギーが後ろからのしかかってきた。
やはり、重さは大したことがない。男子高校生や小学生を背負ったときの経験から適当に推測すると、おそらく女子中学生ぐらいだろう。
手を後ろに回すと、弾力のある何かにぶつかった。
脚だ。触れることができた。
この脚を抱えると、滑らかな触感が伝わってくる。体温がないこと以外は、まさに人の肌。みずみずしくて、スベスベしていて、これはなかなか……って違うだろ! 俺は何に目覚めてしまったんだ!
背負って廊下を歩く。目的地は、俺の部屋の隣にある部屋だ。
「はー、はー、ふー」
「耳に息を吹きかけるな」
「セクシーブレス……」
「青息吐息のやつじゃねーか。それに生臭い」
「なまめかしいと言うべきです……」
「減らず口叩く元気があるなら降りろ」
といっても、すでにナギーがいつも使用するベッドの前に着いている。近い上に軽いから、早い。
俺がベッドに背を向けてしゃがむと、ふぁさっ、とシーツの上にナギーが寝転んだ。
「ふー。ありがとー……。そーだ、ご褒美にキスしたげよっかー」
楽な姿勢になることで、少し余裕ができたらしい。
妖しい視線を俺に放ってくる。
「ボケてないで、さっさと寝ろよ」
「今なら粘液製リップグロスでとっても素敵な感触に……。あなたにもこの素晴らしいヌメリをお届けします」
唇があの土壌生物さながらに湿り気ある光沢を放ち、蠕動している。上下別々に激しく形を変えて蠢くその肉片に、色気を感じろというのか。
「いらねーよ」
「おや~? 無理しちゃって。私のことが好きなら、好きって言ったらいいんだよ? 正直に言えば、ほっぺじゃなくて口にしてあげるのに」
環形動物との間接キスはお断りだ。
「あー、ハイハイ。いいからちゃんと寝とけよ」
「えへへ。そうだね」
答えると、ナギーは壁側に寝返りを打った。
「さて、俺はどうするかな……。台車返しに行ってくるか」
ベッド脇から離れる。
部屋を出てドアを閉めようとしたときに、小さな声が聞こえた。
「楽しい?」
「ん?」
「私と一緒にいるの」
こちらを見ずに、横向けに寝た状態で喋っている。
「うーん、まあ、そうだな。慣れてくれば」
「そっか。よかった」
「じゃあな、お休み」
「お休み」
ゆっくりと扉を閉める。
金属製のドアノブが赤く照らされた。手に例の気が残っている。
治れ、治れ、とでも念じておいてやるか。
ドアの中央部に両手を重ねて当てる。
それから数秒後、手の光が消えたので、そこを後にした。




