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(12)武川にタゲられる

 9月。


 紫陽は『松桜高等学校』の教員試験にパスした!


 夫と抱き合って喜んだ。いくら夫が同校の教諭だからといって採用試験に手心を加えてくれるわけではない。


 それどころか関係者ーーサトルの父(統括部長)、サトルの母(本部長)、久保悟(数学講師兼統括部長付き秘書)、高橋是也(国語講師兼本部長付き秘書)ーーは全員採用担当から外れた。公正を期するためだ。


 他に2校内定が来たが辞退した。紫陽の夢は夫の是也と同じ教壇に立つことである。


 あとは卒業論文を何がなんでもパスする必要があった。卒業できなければ、いくら教員試験に受かったところで意味がない。

 教員免許の単位は充分に取れていた。


 同月に『卒業論文テーマ申告書』を卒論担当官に提出した。これが通ればあとは卒論を書くのみ……。


「やり直し」


 バサッと武川に申告書を突き返され紫陽は固まった。


 武川の研究室はきれいに整理整頓されていた。助教授専用のデスクには書類1枚なくてピカピカであった。美人秘書が常にいい匂いをさせて武川にはべっている。


「え? あの……すみません……何が悪かったのでしょうか?」


「誰もキミにこんなフツーの論文期待してないんだよ」


 申告書には『『みだれ髪』の名詞について』と書いてあった。


 机に一旦放置した申告書をもう一度拾うと、武川はバッサバッサと顔を仰いだ。


「みだれ髪に出てくる単語……例えば『紫』とか『星の子』とかを分析して、どういう意味か探りますってフッツーだね!」


 そうですよ! 私春から高校の先生になるんですっ! 手堅く、手堅く卒業しなきゃいけないんです!


「こんな全国の大学でタケノコのように湧いてくるテーマ扱ってどうするの? カブラギサン。君、新聞に載る気ある?」

「ありませんよ! 学生の論文新聞に載らないでしょっ」

「タカハシは載りましたー」


 くうううう。そんな超レアケースだされても!


「ろっ論文ていうか『日記の発見』ね! だっ。だいたい是也さんの発見は吉本先生の手柄になったんですよね!? 武川助教こそ私の発見横取りしよーとか思ってません!?」


「してますー」


 おっお前いけしゃあしゃあとよく言えるな!


 バサッ


 今度こそ武川は紫陽の『申告書』を放り出した。見もしなかった。武川の手を離れた紙がヒラヒラとデスクの下に落ちた。慌てて拾う。


「とにかくね。タカハシ監修の論文がこの程度とか笑わせないでくれる? こんなの出されちゃ俺の16年が浮かばれないんだよ。最初からやり直し」


 紫陽はボツになった申告書を抱えてフラフラした。与謝野晶子の歌がリフレインする。


=======================

紫の理想の雲はちぎれちぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ

=======================


 高橋先生と同じ国語教師になって、高橋先生と同じ教壇に立つんだ。


 高校3年間。大学3年間。思い続けた紫陽の理想。千切れてどこかに行ってしまいそうであった。







「紫陽! アンタだけらしいよ。武川に再提出食らったの!」

「ウソッ」


 紫陽はショックを受けた。


 例のカフェテリアで東畑梨々香がコーヒーを飲みながら言った。東畑はボディラインに気を遣っているので昼はチキンサラダとブラックコーヒーのみである。週に1度だけ甘いジュースを飲む。

 棚橋薫は一切気にしないのでドーナツを頬張っていた。


「天野のとこは9割食らったらしいけどねぇ」

「天野じゃねぇ」

「天野選ぶやつが悪いよねぇ」


 実は東畑梨々香の姉は武川の秘書であった。大学院に進む女学生のうち選りすぐりの美人しか選ばないことで有名である。顔が一番。成績選考外。

 実際武川の秘書は歴代美女揃いだ。


「ねーちゃんがさぁ。学生の『卒論テーマ申告書』を整理してて1人ハンコが抜けてることに気づいたんだって」

「うん」

「それで武川に『こちらの生徒さんどうなさいますか?』って申告書持ってったら『ハイハイ』って中身も見ないでハンコ押したらしいよ!」


 ぎえー! さすが武川。抜ける手は全部抜いてくる!!


「ねぇ。どうすんの? アンタ武川にタゲられてんじゃん!」

「タゲらてんじゃん武川に! どうすんのよ〜」


 棚橋。ドーナツのカスいっぱい口の周りにつけて。嬉しそうだなお前。


 ど……どうしよう……紫陽は涙目であった。







 図書館に行くと深刻な顔をした学生が10人ほど論文のページをめくっていた。


 その内数人に聞いたところ全員指導教官が天野である。


「もう5回『再提出』食らってて……いつになったら論文にかかれるの?」と涙ぐむ女学生すらいた。


 天野の場合、マジで卒論提出締切3日前でも気に食わなければ突っ返すらしい。まだ4ヶ月前なのに目にクマとか作ってる。気の毒。


 それで紫陽の教官が武川だと知るや「なんであなたがここに来てんの!」と取り囲まれてしまった。


 紫陽は渋々『武川にタゲられてる』ことを話した。


「うげぇ〜。個人的恨みじゃないの〜?」

「旦那さんでどんな人なのよ〜」

「そんな大学設立以来の秀才と同じこと期待されても〜」


 天野チルドレンはみんな紫陽に同情してくれた。


タゲられるー『ターゲットにされる』ということ。

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【次回作はこちら】『16万年前の隣人』
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[一言] 大学時代を思い出します( ˘ω˘ )
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