第六四話「黒妖犬の襲撃」
――破壊された馬車の残骸から、ディロンさんの精霊探知で聞こえたという悲鳴の主を探してわたくしとアンさんはディロンさんの先導で森の中を進みます。
(念の為、"風の振鈴"を発動させておきましょう)
近付く者に反応して心の中に音を鳴らす魔道具です。以前刃爪蜘蛛に襲われた時に役立ちました。
「……この方向だ」
「獣の足跡? 一匹じゃないね……声がするよ!」
「誰か倒れています!」
森の中に武装した戦士……いえ、身なりから見て軽装の騎士でしょうか? 一人倒れていました。左腕と左脚の服が裂けて沢山の血が流れています。
「大丈夫ですか?!」
声をかけると「うう……」と呻き声が聞こえます。
「良かった、生きています!」
わたくしは傷を塞ぐ応急処置の生活魔法の手当てを唱えます。
「とりあえず出血を止めただけなのでちゃんと怪我を治療するには、シオリさんの治癒魔法"癒し"が必要ですね」
「どうする、一旦その人連れて馬車に戻る?」
「いや、悲鳴は彼のものではない様だ。そちらが手遅れになるやもしれん」
アンさんとディロンさんがそのやりとりをしていると「チリリン」とわたくしの心の中で風の振鈴が鳴ります。
「左です!」
突然横合いから唸り声を上げて何かが飛び掛かって来ました。わたくし達は咄嗟に怪我人を中心に武器を構えます。すると目の前に黒い影が飛び出してきました。それは狼よりもひと回り大きく、黒い犬の様なものでした。
牙を剥き出して木の実よりも赤い不気味な目でわたくし達を睨みます。
「黒妖犬?!」
ディロンさんが呟きます。黒妖犬は諸説ありますが埋葬されなかった死者や処刑された者の恨みに惹かれて集まると言われています。
(黒妖犬はこの辺りのような人通りのある整備された場所では見かけないとされていますが……)
「アン、彼奴らは妖精だ、通常の武器は効かん。"武器強化"を唱えるぞ。レティ嬢は……」
「わたくしのは魔剣ですので大丈夫です!」
腰の後ろに装着した"四〇人の盗賊"の本体、"首領の剣"を抜き放ちます。
(妖精は私たちの世界と精霊界を行き来する超自然の存在です。故に半実体半霊体の身体を持つと言われます。魔剣である四〇人の盗賊ならば通用するはずですが……)
「うう……奥様とお嬢様を……」
怪我をしていた騎士が立ち上がります。
「まだ傷を塞いだだけですから、あまり動かないで下さい」
「我が主に危機が……行かなくては……」
わたくしの言葉をよそに騎士は剣を杖代わりにして森の奥へ向かい始めました。その行く先を見ると血痕や枝の折れた跡があります。
「アンさん、わたくしは先行します。その黒妖犬をお願いします!」
「え?! いいけどレティ気を付けなよ?」
『……駆けよ風の如く』
魔道具"風の靴"を発動させて急ぎます。血痕や折れた枝葉を追って行くと女性の悲鳴と男性の声が聞こえます。
茂みが切れた先では血を流して倒れている騎士が三名と奥に女性騎士が一人、そしてその背後で身なりの良さそうな婦人と付き人らしき女性が怯えてうずくまっています。
それを三匹の黒妖犬が取り囲んでいます。
(――いけません!)
わたくしは四〇人の盗賊を目覚めさせる合い言葉を口にします。
『牢よ開け……四〇人の盗賊たち、我が敵を斬り裂け』
わたくしが首領の剣をかざすと宙に光る紋様が三つ現れ、それぞれから形状の異なった短剣が出現し、黒妖犬に向かって飛びました。
黒妖犬たちはそれぞれ魔剣を躱します。しかし魔剣は見えないものに操られるが如く宙を舞い黒妖犬を執拗に攻撃しています。わたくしはその隙に女性騎士と貴婦人の元に向かいます。
「大丈夫ですか?」
「誰だ?!」
女性騎士はわたくしを警戒しています。
「冒険者です、偶然近くを通り掛かって……お仲間の騎士様をお助けしました」
「なるほど、冒険者か……」
わたくしは黒妖犬の方へ振り返ります。魔剣たちはなんとか戦ってくれていますが黒妖犬を抑えるので精一杯のようです。
(更に召喚しなければ……余裕は無くなりますが、アンさん達が来てくれると信じます)
『出でよ四〇人の盗賊』
わたくしが右手の指輪に念じると宙に光る紋様が三つ浮かび、更にそこから一振りずつ異なった形状の短剣が出現し、それぞれ黒妖犬に向かって行きます。黒妖犬一匹に対して宙を舞う短剣が二本ずつになりました。
わたくしは右手の"首領の指輪"と"首領の剣"を構えて四〇人の盗賊の制御に集中します。
「それは……魔法なのか?!」
女性騎士は驚いていました。
「魔道具……魔法の武器です」
(いくらわたくしでも今は薀蓄を語る余裕はありません……)
宙を舞う短剣は黒妖犬を翻弄し、僅かずつではありますがその身体に傷を負わせて行きます。
(流石に六本を全力で制御するのは消耗します。早くなんとか……)
その時、黒妖犬の一匹を矢が貫きました。悲鳴を上げながらフラついた所にさらに矢がもう一本、二本と刺さり黒い霧となって霧散しました。
それとほぼ同じタイミングで矢と同じ方向から拳大の光の玉――鬼火が飛来し、もう一匹の黒妖犬に命中し「バン」と音を立てて破裂しました。
アンさんとディロンさんが追いついて来てくれたようです。わたくしが残りの一匹に向けて六本の四〇人の盗賊たちを集中させると、黒妖犬の身体に次々と剣が突き刺さり霧散しました。
「おーいレティ大丈夫?」
アンさんとが小走りでこちらに向かって来ました。その後ろにはディロンさんが先程の騎士に肩を貸しながら歩いてきます。
ふと振り返ると女性騎士が、目深にベールを被った貴族婦人に駆け寄り助け起こしていました。付き人の女性もゆっくり立ち上がります。付き人はその腕に赤子を抱いていました。婦人は赤子を心配して付き人と話をしています。
ディロンさんが肩を貸していた騎士は一人で片足を引きずりながらこちらにやってきて、女性騎士に「奥様はご無事で?」と話しかけていました。
アンさんとディロンさんは倒れている騎士たちを確認します。
「大丈夫、生きてるよ。ただ早く手当しないと……」
――そして、シオリさんを呼びに行き騎士の方々の治療を行いました。女性騎士に事情を聴くと、主であるご婦人とお子様を護衛して近郊にあるお屋敷へ行く途中に黒妖犬に襲われ、剣が通用せずもはやこれまでと思っていたそうでした。
そして、合流したマーシウさんと騎士の方々が話をしているのを見ていたわたくしでしたが――
「ネレスティ? もしかして、あなたはネレスティではありませんか?」
「?!」
赤子を抱いた婦人がわたくしの名――貴族の時の名前を呼びました。そしてそれはとても聞き覚えのある声でした。婦人はわたくしの傍までやってきてベールを取ります。赤みがかった金色の長い髪、殆どの人は男女問わず「美女」と評すであろう端正な顔立ちの、歳の頃は二〇代後半と思わしきこの婦人は――
「ナーラネイア……姉様?」




