第六三話「辺境への旅路」
――ガヒネアさんに事の経緯と"辺境探訪諸記"を見て頂きました。そして溜め息をつくと口を開きます。
「レティ、まさかこの本を鵜呑みにして辺境まで行くというのかい?」
ガヒネアさんは眉間に皺を寄せながらわたくしに問いかけました。
「まさか、いくら世間知らずのわたくしでもそんなに迂闊ではありません。あくまでこれは切っ掛けです」
ガヒネアさんは片眉を吊り上げて「と、言うと?」と問いかけます。
「元々秘薬・霊薬の類の情報は全く無いに等しかった所にこの本の情報がもたらされました。それにこれに書かれている地下迷宮はわたくしが知っている場所であると、地下迷宮でわたくしが出会った冒険者仲間たちも同じ見解です。ということはこの本はある程度信ぴょう性があると判断しました」
ガヒネアさんは反論も無く「ふむ」と言って聞いていますのでわたくしは言葉を続けます。
「それと同じように、わたくしは"万病の霊薬イリクシア"の情報が間違っている、或いは嘘である可能性も十分に承知しています。そういう意味で切っ掛けと言いました。ですから、辺境で長期に渡り調査する可能性が高いのですけど……」
ガヒネアさんは「フン」と鼻で笑いました。そしてニヤリと口角を上げます。
「行っといで。アンタにゃ千載一遇の機会だろうさ……ただ、辺境は広いよ。ただ冒険しようって目的で旅をするには広すぎるんだ……あそこはね。だから目的を見つけたならいい機会さ、冒険者としてはさ」
ガヒネアさんは店内をウロウロして何かを探しながら言葉を続けます。
「まあ、あんたは幸か不幸か真っ先に辺境を味わって未経験てわけじゃないから、これも何かの縁かね……」
「ガヒネアさんも辺境に行かれた事あるのですか?」
「まあね、冒険者を長く続けたら一度は挑むのが辺境さ。あそこは帝国内の遺跡や迷宮とは勝手が違うからね、人によっちゃ二度と御免だと思う奴もいるのさ」
ガヒネアさんは籠に何かを入れながら店内を歩いています。
「ガヒネアさんは、行けたらまた辺境に行きたいと思いますか?」
わたくしの言葉をガヒネアさんは「フフン」と鼻で笑いました。
「二度と御免だよ。あそこにゃ悪い想い出が多いんでね……」
ガヒネアさんは一瞬何とも言いようのない憂鬱な表情をされました。しかしわたくしと目が合うといつもの表情に戻っていました。そして何かを入れた籠をわたくしに渡しました。
「持って行きな、アタシが見繕っといたよ」
「え……これは?」
籠の中には幾つかの道具や本が入っていました。
「たとえ地下迷宮でも太陽の位置が分かる"陽位水晶"という球や灯かりの魔法を受けると光る照明石のランタンなどアタシが辺境で役に立ったものだ、他にも幾つかあるから後で使い方教えてあげるよ」
「ありがとうございます!」
わたくしは思わず声を上ずらせて籠を持つガヒネアさんの手を上から握りました。
「ば、馬鹿だね! これは商品なんだから貸しといてやるだけだ、ちゃんと返して貰うからね、壊すんじゃないよ!」
ガヒネアさんは少し照れたように眼を逸らしました。
「はい、必ず!」
わたくしはガヒネアさんの気遣いが嬉しくて受け取った籠を抱きしめていました。
「そんな籠に入れていく気かい? これも貸したげるからちゃんと持って帰っておいでよ?」
ガヒネアさんは薔薇の垣根の備品である旅人の鞄を渡してくれました。そして道具の説明を受けながら一つひとつを旅人の鞄に収納していきます。
「ま、気楽に行っといで。夢中になって視野を狭くするんじゃないよ?」
そう言ってガヒネアさんは送り出してくれました。わたくしは辺境に霊薬を探しに行くことを親友セシィの護衛騎士であるガーネミナさんへ伝える為に伝書精霊を出しました。
(機会があればその都度経過報告しましょう……)
――そして翌朝、わたくし達はイェンキャストを出発しました。朝一番の船便に乗り込みました。そこで辺境までのルートの説明を受けます。それは前に仲間の皆さんが辺境に行った時と同じルートということです。
運河を遡上する船に便乗して西へ向かい、帝都の手前にある運河の終点、交易都市ウォミルを経由して陸路を北上し、辺境との境界の街ファッゾ=ファグを経て辺境に入るというものでした。
「まあ要は以前は辺境からイェンキャストへは中央大陸の海岸線をぐるっと回ったけど、今回はまっすぐ縦断するって感じだな」
マーシウさんは中央大陸の簡単な地図を広げて簡潔に教えてくれました。
「馬車で帝都へは二〇日ほどでしたが、ファッゾ=ファグまではどれくらいかかるでしょうか?」
「そうだな、手段にもよるけど俺たちは大体四〇日くらいかかったかな?」
それを聞いて少し唖然としてしまいましたが、帝国が殆どの面積を占める中央大陸を斜めに縦断するのですから当然です。
「ま、辺境に入ってからが本番だからそれまでは気楽に行こうよ」
アンさんは荷物を枕にごろんと横になりました。
(確かに、長い旅路ですが辺境に入るまではただの助走にすぎませんものね……)
わたくしは皆さんと共に景色を楽しんだり、今までの冒険の話をしたりしながら道中を楽しんでいました。そんなこんなで旅は進み、運河の終点である交易都市ウォミルを通過して荷馬車を乗り継ぎ、辺境に向かって大陸を北上していました。
――何日か過ぎた日の午後、わたくし達が便乗している荷馬車が急に止まりました。
「おおっと、なんだい危ないねえ?」
「もう、アン姐ってばそんな恰好で寝てるから……」
「シオリぃ……いざって時に体力を温存してんのあたしは」
シオリさんはアンさんの言葉に苦笑いをしながら肩をすくめます。
荷物にもたれていた寝そべっていたアンさんがバランスを崩して横に転がりました。マーシウさんが「ちょっと御者に聞いてくる」と前に行かれます。「ファナもついてく!」と言ってファナさんはマーシウさんに付いて行きました。
マーシウさんと御者が話している間にわたくし達も荷馬車の幌から顔を出して外の様子を見回します。
「なんだこりゃ……酷いな」
先に外を見たアンさんが呟きます。その言葉にわたくし達も慌てて顔を出しました。ここは森の中の街道で馬車が対面通行できるくらいの幅があります。その街道には馬車と思われる残骸が散乱していました。そして地面や残骸には所々に血糊がべっとりと付いていました。何かに襲われた様に見受けられます。
アンさんは馬車から降りて残骸を調べ始めます。ディロンさんも馬車から降りて儀式用短剣をかざして精霊魔術の精霊探知を唱えました。
「こいつはただの荷馬車とかじゃなくて身分の高い人間が乗る馬車っぽいよ」
アンさんは馬車の残骸を手に取ってこちらへ向けました。わたくしはそれを受け取って検分します。
「確かに、木製の板に塗料が何重にも重ねて塗られています。荷馬車などにはこんな手の込んだ塗装はしません。持ち主は貴族か大商人といったところでしょうか?」
アンさんは「ヒュウ」と短く口笛を吹きました。
「流石レティ、あたしもそう思うよ」
「それはそうとして、この馬車に乗っていた人たちは一体……」
シオリさんが心配そうに周囲を見回します。すると精霊探知を使っていたディロンさんが「人の悲鳴が聞こえると風の精が言っている」と言いました。
「マーシウ、ディロンが悲鳴が聞こえるってさ! 助けに行くかい?」
アンさんは御者と話しているマーシウさんに問いかけます。一緒にいたファナさんはそれを聞いて「よっし!」と自分の荷物を取りに荷台へ戻ります。御者のお二人は早く逃げたいと言っています。
「それはわかるが、周囲に何が居るか分からないから先に進むのも危ないぞ?」
マーシウさんは御者たちにそう言いますが怖がっています。
「俺とファナ、シオリは馬車を護衛、アンとディロンとレティで悲鳴の主を探してくれ」
マーシウさんの指示で皆さん各自荷台の中の荷物から武器を取って馬車の外に出ました。
「レティ、俺達冒険者がすんなりと荷馬車に便乗させて貰えるのはこういう時に護衛をするからなんだ、だから馬車は優先的に護らなくてはならない……覚えておいてくれ」
(なるほど、そういう暗黙のルールがあるのですね)
そしてわたくしはディロンさんとアンさんに付いて悲鳴の聞こえた方向である森へと入って行きました。




