第二一七話「騒動の予感」
──ワタクシ達の天幕にも人が集まりはじめました。若い方から年配の方まで、さまざまな層の読者が本を手に取ってくださいます。
「テュシーさん、すごい人気ですね……」
「いえいえ、それほどでも。読者の中心は若い女性ですわ。それ以外の方々は、きっとご令嬢やご婦人に頼まれて来られているのでしょう」
「なるほど。立場のある方は、こういう場所には来難いですものね」
そんな話をしていると──。
「あの……こちら、テュシー・ロバイア先生の新作ですか?」
声をかけてきたのは、フードを目深に被った少女。隣には老婦人が付き添っています。
ワタクシは軽くフードを外し、柔らかく微笑みました。
「はい、ワタクシがテュシーです。こちらが新作になります」
「──っ!? お会いできるなんて……光栄です!」
少女は両手で口を覆い、瞳を潤ませています。
「だ、大丈夫ですか?」
心配しながら本を差し出すと、少女は「ありがとうございます!」と何度も頭を下げ、老婦人とともに去って行きました。
「あの方、どこかのご令嬢でしょうね。お忍びで来られる方も時々いらっしゃいます」
「そ、そうなのですね……」
「ええ。まあ、ワタクシ達も似たようなものですけれど」
「ふふっ、確かにそうですね」
セシィさんは穏やかに笑っていました。
──お昼を過ぎ、新作もすべて完売したので店をたたみ、会場を見て回ることにしました。
セシィさんは目を輝かせ、次々と天幕を巡っています。護衛のガーネミナが後ろに付き、買った本を"旅人の鞄"に収めていきます。
(セシィさん、気になる本を見かけるたびに購入されていますね……)
その様子を見ながら、ワタクシは初めて書物大祭に来た日の自分を思い出し、微笑ましく見守っておりました。
「もう完売したのかね、テュシー・ロバイア君」
「ほぁっ?」
不意に声をかけられ、変な声を出してしまいました。振り返ると──。
「グルマ……バフェッジ様!?」
そこにいたのは、書物大祭運営委員長のバフェッジ様ことグルマイレン侯爵でした。
「今回はセシィ・プラムヤード君も来ているのだね?」
「はい。参加経験が無いと仰っていたので、お誘いしました」
「ふむ、彼女はいい表情をしている。若いころ、夢中で本を追っていた自分を思い出すよ」
バフェッジ様は目を細め、遠くを懐かしむように微笑まれました。
「前回は初日に大変だったと伺いましたが──」
「ああ、魔法帝国時代の魔物辞典を誰かが起動させてしまってな。その件もあって、今回は警備だけでなく冒険者も増員している」
「なるほど……魔獣への対処は冒険者の方が慣れているでしょうしね」
「うむ。これだけ雑多なものが集まると、何が起きてもおかしくない。君らも気をつけたまえ」
「ええ……承知いたしました」
騒動が起きるのも書物大祭の風物詩のようなものですが──。
(せめてレティさんがいれば、少しは安心できるのですけれど……)
「では、失礼するよ。セシィ君にもよろしく伝えてくれたまえ」
そう言って立ち去りかけたバフェッジ様が、ふと振り返りました。
「ああ、そうだ。君の新作、読ませてもらった──実に楽しかったよ」
「ふぁっ!?」
思わず変な悲鳴を上げてしまいました。ちらりと隣を見ると、カノトの口元が微妙に緩んでいるように見えます。
「笑ってます?」
「──いえ、滅相もございません」
カノトは指で丸眼鏡をクイッと直し、表情を無に戻しました。
(絶対笑ってましたよね……)
カノトは父が数年前に付けてくださった側仕え兼護衛なのですが──いまいち謎が多い人物です。以前はこういう場に付き添う事は無かったのですが、以前レティさんの依頼で帝都の皇宮地下の転移装置の調査中に魔物に襲われた件があってからは、ワタクシが出かける度に付いてくる様になりました。
(まあ、当然でしょうけど──お父様にもお兄様にもえらく心配をお掛けしましたし)
「グルマイレン侯爵……バフェッジ様がおいでだったのですね?」
戻ってきたセシィさんは周囲を見回しましたが、もうお姿は見えません。
「ああ、ご挨拶できなかったのが残念です……」
「バフェッジ様は、セシィさんが楽しそうにされているのをご覧になって、きっと満足されたのだと思います。お優しい方ですから」
セシィさんは少し名残惜しそうに微笑みました。
──やがて日も傾き、書物大祭一日目の終了が告げられました。
会場全体に拍手が広がり、ワタクシもカノトも手を叩きました。セシィさんとガーネミナは少し戸惑いながらも、それにならって拍手を送ります。
「テュシーさん、この拍手は……?」
「ああ、これは書物大祭の慣わしです。強制ではありませんが、いつの間にか定着したようですね」
「なるほど……ですが、とても温かい雰囲気ですね」
搬出の準備で会場は混雑しはじめました。ワタクシ達は事前に家人に頼んで運び出して貰ったので、他の人の邪魔にならぬように帰るタイミングを計っていました。
すると近くで、荷車がひっくり返ったようで騒ぎになっていました。
「あちゃあ……やっちまった!」
荷車の主が頭を抱えています。木箱が割れ、乳白色の欠片のようなものが地面に散らばっていました。セシィさんはすぐさま駆け寄り、拾い始めます。ガーネミナも後に続きました。
「少しでもお手伝いできれば早く片づきますものね」
その気遣いに感心しつつ、ワタクシも一緒に拾い始めました。
「……んん?」
指先ほどの乳白色の欠片。それは獣の牙のような形をしています。
「竜舎利?」
セシィさんが小声で呟きました。古の竜の遺骸から採れる骨片──古代魔法帝国では魔道具や装飾品の素材として重宝されたものです。
「言われてみれば、確かに……」
鑑定士のセシィさんは、素材を一目で見抜いたようです。
「これ、竜牙兵の触媒ですね」
魔術師が竜舎利を使って骸骨兵を作るという魔法の話は、知識としては知っていましたが──これがそうでしたか。
「こんなものまで売っているんですね……」
セシィさんは感心したように拾いながら言いました。
「書物大祭も、どんどん“何でもあり”になってきています。そのうち、規制が強化されるかもしれませんね」
ワタクシが苦笑して言ったその瞬間──服の裾をぐいと引かれ、思わず尻もちをつきました。
「なぎゃっ!? いったた……」
カノトが素早く前に出て、ワタクシを庇うように立ちました。
「な、なんですか?」
彼の視線の先──何かがモコモコと盛り上がり、鎧を纏った骸骨兵が次々と姿を現します。
「へ……えええっ?!」
セシィさんの方では、護衛のガーネミナが庇うように構えていました。
「──竜牙兵。まさか、誰かがここで起動させたのか?」
カノトが低く呟きました。
(まさか……こんな場所で、こんな時に──)
次々と竜牙兵が立ち上がっていきます。
(ど、どうしましょう──)




