第一七五話「帝都からの転移」
――ガヒネアさんの容態が急に悪化したとの報せがシオリさんから伝書精霊で届きました。わたくしは少しでも早くイェンキャストに戻る手段として転移装置の使用許可を求めてバフェッジさんに皇帝陛下との取次をお願いするようメイドのベルエイルに親書を持たせました。
ですが、その許可が下りるかどうかは分かりません。いえ、許可されない可能性の方が高いです。
「駄目なら船で行くしかありませんが……」
その時は、帝都へ戻ってくる時に手配して頂いた高速艇を――バフェッジさんに次の手段として相談してみましょう。
(落ち着いて、冷静に……冷静に……)
自分にそう何度も言い聞かせます。更に約一時間後、わたくしが準備を終えた所にベルエイルがバフェッジさんを伴って馬車で戻りました。
「バフェッジさん?! わざわざご足労を……」
バフェッジさん――グルマイレン侯爵は略式とはいえ正装さてれいました。
「そんな事はいい、早く乗りなさい。転移装置使用については陛下に取り次いでいる、皇宮へ急ごう」
ベルエイルに留守を頼み、わたくしはグルマイレン侯爵家の馬車で皇宮のへと向います。
「ガヒネアの事だから、向こうについたらケロッとしているかもしれんが……」
「そうですね、ガヒネアさんはいつでもそうです。何しに来たと怒られるかもしれません……」
馬車の中ではバフェッジさんが若い頃のガヒネアさんのお話をして下さいました。書物大祭の立ち上げに大きく貢献してくれたので大々的に名を出そうとしたら、「とんでもない、よしておくれ」とすごい剣幕で怒られた話はガヒネアさんらしいと思いました。
――皇宮に着くと、その裏手にある転移装置の部屋に繋がる回廊に回されました。そして守衛の白狼騎士の先導で転移装置の部屋に入ります。そこにはすでに皇帝陛下と宰相閣下、そして面当て付きの騎士甲冑で武装した白狼騎士が十数名程立っていました。
白狼騎士が甲冑の上に纏う羽織には銀糸で白い狼の紋章が刺繍され、その横に金糸の数字が刺繍されている方が何名か居ました。白狼騎士の指揮官級である「数字付き」です。
陛下の真横に控えている白狼騎士には「1」の数字があります。以前、転移装置から獅子蟻が沸き出した件の時にお会いした白狼騎士団長のハインツェル様でしょう。
(その隣の「7」はマーシウさんの旧知のランツ様ですね)
他にも「3」「5」の数字の方は甲冑ではなく長衣を纏い、フードを目深に被り仮面を着けていて表情は伺えません。物々しいその様子にわたくしはたじろぎました。
「公認鑑定士殿、こちらへ」
宰相閣下が声を発せられると、白狼騎士の方々は皇帝陛下と宰相閣下のもとへの道を作る様に左右に分かれます。わたくしはバフェッジさん――グルマイレン侯爵に促されて一人で陛下のもとへと歩いて行きました。
「陛下……これは……」
「非公式ながら、歴史的瞬間に立ち合おうとしたんだが……宰相が大事にしてしまってな」
「皇帝陛下御身に何かがあれば帝国の一大事です、いい加減御自覚下さい。火急の要件故、緊急招集出来た白狼騎士のみで極少数ですが、万が一魔獣でも現れた場合には対応できるかと――」
宰相閣下の諫言を陛下は咳払いで遮りました。
「まあ細かい事は良い、事情は聞いている。ロズヘッジ公認鑑定士、早速準備を――」
「本当に……宜しいのでしょうか?」
わたくしは陛下に恐る恐る確認します。
「転移装置について、貴公の帝国への貢献は貴公が思う以上のものなのだ、構わんよ」
陛下はそう仰ると頷かれます。
「……時が無いのであろう? 遠慮せず急ぎたまえ」
「はい、承知致しました」
陛下の指示で皆さん転移装置部屋の壁際まで下がられました。わたくしは深呼吸をしてから転移装置の台座の前に立つと操作を始めます。
『転移可能な装置を地図と共に表して下さい』
わたくしの言葉で台座に据え付けられた金属板から楽器の音色の様な音が鳴り、中央大陸と思われる簡易的な地図が浮かび上がりました。
地図にはいくつかの光点があり、それぞれ古代文字が添えられています。わたくしはイェンキャスト付近の光点に触れました。すると、また違った楽器の音色のようなものが聞こえます。
『ここに転移させてください』
わたくしの声掛けに対して金属板には「転移まで」という古代文字が浮かび、その隣には数が減って行く数字も表示されていました。
同時に、直径二〇メートル程のこの部屋の中央、床に直径一〇メートル程の紋様が光って浮かび上がります。そして紋様を囲む様に円形に配置された十二本の石柱も青白く発光しました。
それは転移装置の通常の動作です。皇帝陛下や宰相閣下は部屋の隅に移動されます。
「これが……転移装置の起動か」
陛下と宰相閣下は目を丸くしています。白狼騎士はお二人を庇うように立ち塞がりましたが、陛下はその隙間から覗いていました。
陛下は転移追放刑には立ち合ったことが無いと仰っていましたので、本当に初めてご覧になられたのでしょう。
「陛下、何度も申し訳ございません。本当に宜しいのでしょうか?」
わたくしは重ね重ね陛下にお聞きします。
「どのみち、転移装置を今後利用するならば、誰かが試さねばならん、それが今だということであるな」
わたくしは陛下のお言葉に貴族礼で応えます。しかし、陛下は何かを仰りたいような複雑な表情をされました。
「陛下?」
「ああ、うむ……正直な所、これは貴公の申し出を利用して体よく人で転送の実験をする事にならんか、とな」
「陛下は誰かが試さねばならないと仰いました。自分で見つけたものを誰かに試させるなど出来ません。それにこれは私事ですのでそちらの方が心苦しいです」
「では、これは利害の一致という事だな。負い目を感じる事は無い、行きたまえ」
「では行って参ります、陛下」
両膝をつき両手を胸の前で組み合わせ首を垂れる貴族の最敬礼をします。
――こうして、わたくしは転移装置を起動させ、青白い光の渦に呑み込まれました。




