逃亡
ジェラルドは数名の騎士を連れて、セルジオ王国に向かう街道を徹夜で駆けていた。
半日、ジェラルドがレイラから後れを取った時間だ。
軍馬で駆けるジェラルド達が、馬車のレイラに追いつけないはずがない。
「くそっ、このルートではなかったか」
途中で追いつかなかったのではなく、途中で拉致されて姿を見失っていたとしたら、と思うと不安が押し寄せてくる。
馬の踵を返したジェラルドの目に、商店のリンゴが目に入った。
トーバだ。
二人で暮らしたトーバの街。レイラが初めて焼いたアップルパイ、どんな御馳走より美味しかった。
任務の為とはいえ、あそこの暮らしは二人が近かった。
きっと、レイラはあそこにいる。
「港に行くぞ」
大きく方向を変えるジェラルドに、騎士達も続く。
船旅は久しぶりだった。
船旅どころか、王宮の外に出るのがいつ以来になるか覚えていない。
妊娠が分かった頃から、ジェラルドの拘束は増した。
シーリア帝妃が王宮から出ないのを見ているから、違和感を感じなかったけど、公務のない帝妃、皇太子妃というのは異常だと思う。
レイラは、船室の窓から海を見ながら物思いに更けていた。
これから時間だけは十分ある。
シーリア妃は、レイラに皇太子妃付きだった侍女と、護衛に精鋭の騎士を付けた。
王宮からここまで、大きなトラブルもなく来れたのは護衛のおかげだろう。
悔しい。
涙が、ポトリと落ちた。
あれから怒涛のように忙しい時間で、やっと心に余裕が出来たのかもしれない。
ジェラルドの気持ちは、離れてしまったのだろうか。
自分の気持ちは、離れたと思う。
それでも、悔しいと思う事は、まだ気持ちが残っているのか。
自分の気持ちが、よくわからない。
帝国の王宮で、少しずつ気持ちは離れていったのかもしれない。
ジェラルドは、レイラが他の男性と会うのを嫌がった。もとより、公務は与えられていなかった。
行動は制限され、贅沢な品々に囲まれた生活。
それでも、それほど愛されていると嬉しかった。
結果が、浮気がバレないと思われていたのなら、そんな生活いらない。
少しでも自分の力で生きたい。
いつの間にか止まった涙に、レイラは微笑む。
それは、レイラを見慣れている侍女も騎士も見惚れる微笑みだ。
「レイラ様?」
侍女もつられて微笑んでいる。
「ふふふ、綺麗な海だから」
レイラは、声を立てて笑った。
もう、振り返りはしない。
子供が来れるような生活をしたい。
今は、離れて暮らしても、生きていればまた会える。
シーリアがレイラを隠匿したことで、ジェラルドにはレイラの足取りも、どうやって出たのかさえも知る事が出来なかった。
シーリアの意を受けて、リヒトールが指示したのは間違いなく、レイラの安全を最優先したとは思っていても心配であった。
トーバに向かう船の出る港町で、銀髪の令嬢の目撃を得ることができた。レイラが一人ではなく、護衛と侍女を連れていることも確認ができ少しの安心と、帝国から遠くに逃げている事への焦燥がつのる。
もしかして、王都に隠れて迎えを待っているのでは、と考えたこともあったが、その考えは打ちのめされた。
久しぶりに訪れたトーバの街は、大きく変わっていた。
以前住んでいた住宅は取り壊されていてすでになく、滞在していそうなホテルを探そうとした時に、同行の騎士が情報を持って来た。
「昨日、町はずれの一軒家を借りた一行がいたそうです。
その中に銀髪の女性がいたと」
大きな街でも、レイラの容姿は目立つだろう。ましてや護衛と侍女を連れている。
急いでその家に向かうが、家の様子がおかしい。
家の外には、たくさんの男達と馬。中からは物が壊れる音がしている。
皇太子妃と知らなければ、護衛を連れた訳ありそうな金を持っている美しい女。
襲いたくなる人間は少なくない。
ジェラルドの恐れていたことが、起こっている。
護衛はマクレンジー帝国の精鋭達だろうが、賊の人数が多すぎる。ましてや、レイラと侍女を守りながらなのだ。
ジェラルドも騎士達も、剣を抜くと家の外にいる男達に駆け出した。




