四十一話 水神四大神官④
マリアスの周囲に、異形の悪魔が大量に展開される。
正にその様は魑魅魍魎であった。
前列を先ほどの精霊獣で埋め尽くし、マリアスの右には大きな鏡に口がついた悪魔が、左には大量の目玉がついた上半身の石像のような悪魔が召喚されていた。
そしてマリアス自身は、首から先が無数の蛇になっている、真っ赤な大牛の身体を持つ悪魔に跨っている。
他にも蜘蛛型やら人型やら、ハーメルンに似た悪魔やら、多種多様の悪魔がずらりと控えている。
御丁寧に、人質は牢型の悪魔に捕らえられている。
傷付けないための配慮なのかもしれないが。
マリアスの左側にいる目玉だらけの石像の悪魔は、マーレン族の集落にあった本で、似た姿の悪魔の挿絵を見かけたことがあった。
サタンという大悪魔の配下であるサタン十三柱の内の一体、ラピデスタトアに似ている。
サタン十三柱の中で最も知性が薄いが、最も頑丈で破壊力を持つ悪魔だと言い伝えられている。
本物だとすれば、厄介なんてものではない。
ナルガルンが可愛く見える化け物だ。
因みにサタン本体は、クゥドルが全盛期のときに巨大な山を創って埋め立て、無事に封印したとされている。
「হন」
俺は杖を振って十の魔法陣を展開し、同数のオーテムを自分の周囲へ呼び寄せた。
精霊獣はともかく、後列の悪魔は情報がなさ過ぎる。
不意打ちに対応できるよう、自分のガードを用意しておく必要があった。
「またその木偶人形ですか、芸がありませんね」
マリアスはそう言ってから、顎に手を当てて戦場を見回す。
「ふむ……図らずとも、リルス盤のような光景になりましたね。いいことを教えてあげましょう。私、リルス盤は、ルールを覚えてから、たったの一度も負けたことがないんですよ」
マリアスは薄く笑い、得意気に言った。
リルス盤は、マリアスがファージ領に持ち込んだボードゲームだ。
口振りから察するに、元々リーヴァラス国の物だったらしい。
ラルク相手にいつも負けていたようだったが、あれは機嫌を取るための接待プレイであって、敗北と数えていない、ということだろう。
確かにファージ領へのあの粘着質なまでの徹底した攻撃を思い返すに、ただの保険というよりは、彼女のプライドが垣間見える。
「来なさい木偶の打ち手、先手は譲ってあげますよ」
木偶の打ち手は、駒遊びにおけるド素人の暗喩である。
俺がオーテムばかり使うことと掛けてからかったつもりなのだろう。
よほどリルス盤が好きなのか、口調からやや興奮が見られる。
先手を譲ってくれるのは嬉しいが、攻めようにも攻めようがない。
前列の精霊獣の実力は割れているのでただの賑やかしだが、奥の本陣が固すぎる。
恐らく左の魔像の悪魔、ラピデスタトアは近接攻撃警戒である。
力技であれを無力化するのは不可能だ。
そして右の大鏡の悪魔は、遠距離魔術に対して何らかの対応策としての力を持つのだろう。
オーテムでの打撃で突破したいところだが、そうすればラピデスタトアに阻まれる。
無情報に近づいても、こっちが削られるばかりだろう。
マリアスは口にする言葉こそ尊大だが、その実、かなり堅実な受け身の陣を敷いて俺を迎え討とうとしているようだ。
乗り物として召喚されているあの蛇牛も、マリアス本体の機動力を補うためのものだと推測できる。
俺がどのようなパターンで攻撃しても、最悪の事態を逃れられる形になっている。
今回ばかりは、早まったか……。
俺の戦いを見た後に呼び出したのだから、向こうに勝算がないはずがなかった。
しかし、来てしまったものは仕方がない。
逃げるにしても戦うにしても、下手な手を打つことは許されない。
情報を探るためにも、序盤戦は破損させられることを承知の上で、様子見用のオーテムを送るべきだ。
が、ただのオーテムでは、本当に無駄打ちにしかならない。
欲を言えば、向こうが譲ると言っているこの最初の一手で、マリアス本体を守る三体の悪魔の実力を確認しておきたい。
ならばこちらも相応のオーテムを使わねばならない。
「পুতুল দখল」
俺は杖先をアシュラ5000へと向け、呪文を唱えた。
先兵はアシュラ5000に決めた。アシュラ5000の突破力ならば、相手の動きを引き出すのに最も向いているはずだ。
それにアシュラ5000がどこまで戦えるかで、攻めに入るべきか、守りに入るべきか、はたまた退くべきかの判断を行うこともできる。
アシュラ5000は六つ腕を振り回しながら右側へと回り込み、マリアスの陣へと殴り込んでいく。
左側のラピデスタトアは厄介だ。
それに引き換え、右側の大鏡が本当に遠距離魔術対策だとすれば、アシュラ5000には対応しきれない可能性もある。
大鏡を叩き壊せば、俺も魔術での直接攻撃を撃ちやすくなる。
アシュラ5000が腕を振り乱し、前列の精霊獣を力任せにぶん殴る。
殴られた精霊獣は顔面が拉げ、後列の悪魔を巻き込んで後方へと飛んでいった。
アシュラ5000を取り囲むように四体の精霊獣が飛び掛かるが、アシュラ5000は身体を高速回転させて弾き飛ばした。
飛び掛かった精霊獣は短い悲鳴を上げて身体が捻れて脚が引き千切れ、すぐに光の集まりへと姿を変えて四散した。
前列の精霊獣は問題ないが、気になるのは後列に控えている悪魔共だ。
蜘蛛型の悪魔の前で、アシュラ5000の動きが停止した。
アシュラ5000が止まってから、精霊獣の残骸やアシュラ5000の間がきらりと光り、魔力の糸が見え始めてきた。
「早速罠に掛かってくれたようですね」
「……精霊獣に、魔力糸を仕込ませていたのか」
精霊獣自体に最初から魔力糸を絡ませ、飛び込んできた相手を絡め取る算段だったようだ。
普通にやっても精霊獣では話にならないと踏んで、最初から捨て駒として使うことを決めていたのだろう。
ただの糸ではない。
魔力が巡らされており、アシュラ5000の力を受け流しているようだ。
馬鹿力のアシュラ5000とは最悪の相性である。
無論、偶然ではないだろう。
俺が大鏡を打撃系統で破壊に出ることを見越して、大鏡の周囲を剛を柔で制せる悪魔を配置していたようだ。
「あれじゃあ、アシュラ5000では突破できないか……」
物理攻撃は蜘蛛型悪魔に潰される。
しかし魔術攻撃を出そうにも、あからさまな大鏡の悪魔が気にかかる。
「まずは一駒、いただきましょうか。確かに魔術の腕は目を見張るところがありましたが、それだけですね。平和ボケしたディンラート王国では、貴方が苦戦を強いられるようなこともなかったのでしょう。頭も回らないわけではなさそうですが、圧倒的に真っ当な戦闘の経験が少ない……」
そのとき、蜘蛛型悪魔の身体がふわりと浮いた。
よく見れば、糸が引っ張られている。
「あ、どうにかなりそう」
「え」
アシュラ5000が、糸を振り切って身体を回転させた。
糸が小さな爆発を起こし、切れ切れになっていく。
蜘蛛型悪魔が一歩退いたところへ、アシュラ5000が三歩分接近した。
「ひ、退きなさいグニフィラスカ!」
マリアスが叫ぶと同時に、跳ねたアシュラ5000が蜘蛛型悪魔を押し潰した。
蜘蛛型悪魔はベチャッとなり、バラバラになった手足が光の粒子へと姿を変えていく。
人語を介するタイプの悪魔には見えなかったので精霊語で命令を出さなければ意味がないと思うのだが、マリアスは気が動転してそこまで頭が回らなかったらしい。
「এটাথামুন!」
マリアスが吠えるように叫ぶ。
悪魔や精霊獣が、一斉にアシュラ5000へと飛び掛かった。
アシュラ5000は、集まってきた悪魔を次々に六つ腕で叩き潰していく。
すぐさま光の粒子となり、精霊がふわりふわりと空気に混じって消えていく。
辺りには穴ぼこだけが残された。
「様子見の斥候のつもりだったんだけどな……」
これならば、例のサタンの元配下の魔像にさえ気を付けておけばどうとでもなりそうだ。
残りのオーテムも、もう全部出陣してしまってもいいかもしれない。
あっという間に、大鏡の悪魔をアシュラ5000が叩き割った。
鏡面が辺りに弾け飛ぶ。女の悲鳴のような断末魔が響き、大鏡が光の集まりへと姿を変える。
「こ、こんなの、戦略も何も関係ないっ!」
マリアスの乗っている蛇牛の悪魔が、魔像の悪魔ラピデスタトアの背後へと回り込んだ。
ラピデスタトアが、大きな石の両腕を振り下ろす。
アシュラ5000も、二本の腕を上げて応戦した。
腕が噛み合うと力が拮抗しているようで、アシュラ5000の木の表面と、ラピデスタトアの石面が削り合った。
「……あれ、あんなものなのか?」
ラピデスタトアはかなりの高名の悪魔だ。
確かにアシュラ5000は自信作だが、こんなにあっさりと受け止められるのはおかしい。
紛い物だったのだろうか。それとも、元々話ほど大した悪魔ではなかったのだろうか。
伝承では、ラピデスタトアの両腕の一撃は、万物を抉ったという話だったはずだが……。
マリアスはラピデスタトアの陰で、目を血走らせてアシュラ5000とラピデスタトアの腕がかち合うのを見つめている。
手の平の、リーヴァイの召喚紋らしきものに縋るように、指で必死に擦っている。
ラピデスタトアがアシュラ5000を押し潰すのを願っているようだ。
力は見ている限り、ほぼ互角である。
どちらの方が上かは、傍から見ていて判別がつかない。
「リ、リーヴァイ様……」
「まぁ、アシュラ5000は六つ腕なんだけども」
残り四つの腕が、ラピデスタトアの腹部に連続ブローを叩き込んだ。
ラピデスタトアが崩れてその破片が飛び散った。身体中に張り付いている目玉がクルクルと回り、その場に倒れた。
陰に隠れていたマリアスの姿が露になる。
「う、嘘っ! ラ、ラピデスタトアが……」
マリアスの口から、ラピデスタトアの名前が出た。
やっぱり本物……いや、でも、なぁ……。
「な、なんで、どうして……最悪を何重にも想定して、ここまで動いてたのに……なんで、なんでこんな……リ、リーヴァイ様……」
そのとき、アシュラ5000と蛇牛の目が合った。
蛇牛がぶるりと身体を震わせる。
「に、逃げ……」
マリアスが蛇牛を方向転換させようと身体を捩ったとき、蛇牛は前に出て姿勢を低くした。
マリアスは蛇牛の背の上から放り出され、地の上を転がった。
蛇牛はガタガタと震えたまま、アシュラ5000に向けて頭を垂れた姿勢で固まった。
本能的に逃げられないと察したのだろう。
投げ出されたマリアスは、土で身体を汚しながらも膝をつき、身体を起こそうとした。
顔を上げたところで、アシュラ5000の腕の一本が頭に迫っているのを見て、目を見開いた。
「ど、どうしてこんな、こんな……私の戦術に、間違いは……あ、あんなに予防線張って、次善策用意して、一番確実な道を……だ、だって私、リルス盤だって、誰にも負けたこと……」
マリアスはぶつぶつと小声で繰り返す。
「まぁ、チェスと違って使ってる駒とかも違うしな」
他の悪魔の姿が霞み、消えていく。
勝ち目がないと知って逃げたようだ。
蛇牛も消えそうになったので、アシュラ5000に頭を手で押さえつけさせて牽制した。
マリアスの身体に浮かんでいた召喚紋も、悪魔や精霊が消えると同時にどんどん消滅していく。
やがて瀕死のラピデスタトアと、縮こまって小さくなった蛇牛と、顔面蒼白で土塗れになって震えているマリアスだけが残された。
マリアスの手の平に浮かんでいた、リーヴァイの召喚紋もすぅーっと、容赦なく消えていく。
「リ、リーヴァイ様……あ、ああ……」
マリアスはそれを呆然とした目で見届け、がっくりと首を項垂れさせて動かなくなった。
「あ、逃がすかっ!」
がっしりとマリアスの手首を掴み、魔力を流して召喚紋を解析する。
魔法陣を展開し、リーヴァイの召喚紋をマリアスの手の平に固定する。
何せ、五千年以上前にクゥドルが滅ぼしたはずのリーヴァイの召喚紋である。
これが本物ならば、ディンラート王国の歴史がひっくり返る大ニュースである。
それに本当にリーヴァイがいるのならば、ぜひ見てみたい。会ってみたい。
できれば俺にも魔力を貸してほしい。そして高位悪魔を何柱かちょいちょいと紹介してほしい。
マリアスはしばらく口を開けて唖然としていたが、すぐに状況を察したらしく、憎悪の表情で懐から小刀を取り出し、自分の手の平を抉った。
俺が慌てて魔術を止めたところで、小刀を俺に向けた。
しかしアシュラ5000の腕が伸び、俺との間を遮った。
「……リ、リーヴァイ様、万歳」
マリアスは小刀を翻し、自分の腹部を突き刺した。
「お、おい止めっ……」
血に混じり、小刀に薄い灰色の液体が滴っていた。
恐らく毒物の類だ。もう、助からないだろう。
マリアスの身体がふらりと揺れ、仰向けに倒れた。
「ラルクさんには悪いけど……これでよかったのかもな」
俺はマリアスの身体の肩を軽く撫で、溜め息を吐いた。
逃げたリングスも、すぐに見つかるだろう。さすがにもう言い逃れはできまい。
少し後味の悪い幕引きではあるが……これで、今度こそファージ領の事件は終了した。
――五分後、マリアスが目を覚ました。
身体を起こし、何が起こったのかわからないというふうに首を傾げながら自分の身体の腹部の傷へと手を回し、息を漏らしていた。
「悪夢……縁起の悪い……」
そう言いながら、俺の方を振り返った。
俺はラピデスタトアがただの精霊に戻るのを食い止めようと作業していた手を止める。
悪魔には二つの形態がある。
精霊体が身体を象っているものと、精霊体が依代に憑依しているものだ。
ラピデスタトアは後者であり、石像を依代としていたようだった。
だから俺は地面に魔法陣を浮かべ、ラピデスタトアの精霊体が像から剥がれて分散したものから魔力が削ぎ落ちないように保護した上で誘導し、空き瓶の中へと吸い寄せているのだ。
なかなか神経を使う作業である。
顔を上げて、マリアスと目を合わせた。
「あ……おはようございます」
戦闘がひと段落ついて気が緩んだせいで、つい癖で敬語が出てしまった。
どうにか応急手当での処置に成功したのだ。
とはいえ解毒には少々材料が足りなかったので現状では延命の段階であり、また再度解毒薬を投与する必要がある。
マリアスは表情を失ってわなわなと両腕を震えさせた後、泡を吹きながらその場に倒れ込んだ。
「終わったようですね。さすが、大神官様でございます。あの魔力の塊の、化け物男をあっさりと沈めてしまうとは……」
声が聞こえてきたので振り返ると、木々の奥からリングスの声が聞こえてくる。
静かになって時間が経ったので、マリアスが勝ったのだと判断して様子を見に戻って来たようだ。
近づいたところで異変を察したらしく足を速め、俺に姿を見せたところで止めた。
「গো」
俺が左腕を揚げて命令を出すと、傍らにいた蛇牛がリングスへと飛び掛かった。
俺の左腕には、蛇牛の召喚紋がついている。
マリアスが寝ている間に、蛇牛が召喚紋をくれたのだ。
リングスが逃げようと見せた背に、蛇牛の顔から生えている無数の蛇が、リングスに絡みついて自由を奪い、そのまま土の上に引き倒す。
リングスの悲鳴が森の中に響き渡った。




