09 約束を交わす二人
屋敷におけるアントンとの生活に、終わりが近付いていた。
徐々に色が変わっていく窓の外の木々を眺めながら、レミリアはフッと口元を緩めた。シンプソン邸に来て最初の頃は、この景色を愉しむだけの心の余裕があったっけ。
二年前に逝去した義父のエイドリアン・シンプソンは、アントンとレミリアが結婚したときには既に肺の病気を患っていた。妻はとっくに他界しており、残された息子のアントンやヘイズとは血が繋がっていなかった。二人は連れ子だったのだ。
「奥様が作ったバラ園も、じきに華を咲かせますね。去年開催したお茶会はとても好評だったと記憶しております」
無邪気にそう言った若いメイドは、すぐに「しまった」といった様子で口に手を当てた。レミリアがじきに屋敷を去ることを思い出したのだろう。
「良いのよ、ユミル。私たち夫婦のゴタゴタに使用人のみんなを巻き込むつもりはないわ。貴方たちの生活は何も変わらないから、どうか心配しないで」
「しかし、奥様が邸を去れば………」
茶色い瞳を揺らしてメイドは言い淀む。
彼女の言わんとしていることは分かった。
使用人の中には、レミリアが好んで採用した者たちも少なくない。街で見かけた際に働きぶりが気に入った者、人伝に生活に困っていると聞いた者を、レミリアは積極的に屋敷に招き入れていた。
「大丈夫よ。貴女たちの生活が脅かされることはないから。今は詳しく言えないけれど、大切な使用人たちを路頭に迷わすような真似はしない」
「……離縁を考え直してくださるのですか?」
ズビッと鼻を啜りながら投げ掛けられた質問に、レミリアは目を丸くする。
「まさか!だって旦那様は真実の愛を見つけたのよ?」
「そんなのただの気の迷いです!奥様、この際なので意見させていただきますが、妻を持ちながら他の女性に恋をするなど、公爵家の当主にあるまじき恥です。しっかり叱責して旦那様を正気に戻してくださいませ……!」
「私がアントンを正気に?」
レミリアはとうとう我慢が利かなくなって、取り出したハンカチの下でクスクスと笑った。メイドの女は顔を赤くしてスカートの裾を握り締めている。憤る彼女を前に微笑むのは失礼だと考えて、レミリアはハンカチを膝に置いた。
「ユミル、それは難しい話よ」
「しかし……!」
「移ろいゆく季節を止められないように、他人の心変わりを私の手で止めることは出来ないわ。夫が他に愛する人を見つけてしまったのなら、妻として私に出来るのはその後援だけ」
「なぜ応援なさるのですか!? 私には理解出来ません!奥様は辺境伯から嫁がれた方で、家柄だってご立派です。こんな裏切りを受け入れて、さらに旦那様の恋を支援するなど、そんなの私からしたら、」
フシューッと湯気が上がりそうな憤怒の顔でメイドは拳を握り締める。若い彼女が、主人とはいえどレミリアのことでこんなに感情を露わにしてくれることは、素直に嬉しいことだった。
レミリアは立ち上がって窓ガラスに触れる。
ひんやりとした冷たい温度が指先から伝わった。
「約束したの、お義父様と」
「約束……?」
「シンプソン家の元当主であるお義父様は、早くにお義母様を亡くして、長い間この屋敷で血の繋がらない息子たちと暮らしてきた」
「………? えぇ、そうですが……?」
「私がこの屋敷に来たとき、すでにお義父様は余命を宣告されていたわ。だけどアントンやヘイズは気にする素振りも見せずに、彼らの日常を続けた」
目を閉じて思い返すのは、亡くなったエイドリアンの穏やかな笑顔。誰よりもこの屋敷を愛していた、老人の最期の言葉。
血の繋がらない父の死に目に、兄弟たちは居合わせなかった。アントンは友人たちとの集まりに顔を出し、ヘイズは当時の恋人と観劇に行っていたと聞いた。もう長くはないと、レミリアは何度も忠告したのに。
「屋敷を守りたい……お義父様はそう仰ったの。アントンやヘイズではすぐに草花を枯らしてしまうでしょうね。時間の問題だと思うわ」
「ではいったい、どうしたら!」
悲痛な顔で叫ぶメイドの方をレミリアは振り返る。
「私に案があるの。任せてちょうだい」




