56 ◆◆◆
グスタフでも一、二を争う素晴らしい家具職人バーナビー・ブルックリンが手掛けた世界に二つとして同じものがない美しい鏡、それが私です。
私をお買い求めくださったのはシンプソン公爵家の十二代目の当主だったと記憶しています。その後は倉庫の奥で眠ったりする時期もありましたが、現在の当主であられるエイドリアン様のご意向によって、私は再び姿見として日の目を見るに至ったのです。
「………困ったわ。お義姉様ったらまたエイドリアンを誘って出て行ってしまうんだもの。明日は貴方のお誕生日だっていうのに」
鏡の前で溜め息を吐くこの女性はオリアナ様。エイドリアン様の奥様であり、ご結婚を経てシンプソン公爵家にいらっしゃいました。
彼女の胸の中で抱かれているのは、もうすぐ一歳になるホークス坊ちゃんです。オリアナ様とエイドリアン様の第一子であられるこの小さな赤ん坊は、きっと自分がいかに幸せな人間かまだ理解していないのでしょう。なんていったって、彼は広大なシンプソンの領地と一生を掛けても使い切れないほどの資産を自由に出来るのですから。
「それにしても…… お義姉様はどうしたら私を好きになってくれるのかしら。いまだに目を見て話してくれないし、やっぱり家柄のことを気にされているのかも……」
奥様の白い頬に涙の筋が走ります。
しかしすぐに、奥様は袖口でそれを拭ってぐずる赤子の方に顔を寄せました。
「なんて、考え過ぎも良くないわよね。エイドリアンは身分なんて関係ないって言ってたわ。美しい心を持っていれば、それが人となりになるって」
私はごもっともです、と拍手を送りたくなりました。
使用人たちの会話を盗み聞きしたのですが、どうやらオリアナ様は平民の出らしいのです。旦那様と出会ったのはグスタフの街角で、オリアナ様の壊れた靴の踵をエイドリアン様が直して差し上げたとか。
異なる身分の二人が出会い、結婚まで辿り着いたことを、屋敷の他の人間たちは「真実の愛」と語り合っていました。家具の私には分かりませんが、お二人が互いを慈しみ合っていることは明らかでした。
◇◇◇
しかし、そんな幸せな時間は長く続きませんでした。
シンプソン公爵家には、お話しした通り、莫大な資産がありました。それは人を狂わせ、惑わせるには十分なほどの。
「待って!話だけでも受けてみるってどういうこと……!?」
「仕方がないだろう!姉さんが世話になったアカデミーの先生の紹介なんだ。遠方に居る親戚が、早死にした夫のせいで幼い子供を抱えていると」
「貴方には関係ないことでしょう!?私たちにはホークスが居るの、これからの生活があるから……!」
「オリアナ、何度も言うけれど話を聞くだけだ。これは縁談じゃない。姉さんだって何も本気では言ってないさ。僕の口から断って来る」
「だけど、エイドリアン!」
「困っている人を見捨てられない。何か力になれるなら、僕に出来ることをするだけだ」
夫婦の寝室で交わされたこの会話が、二人の最後の会話になりました。オリアナ様は翌日の早朝、息子であるホークス様を連れて屋敷を出て行ってしまったのです。
感謝と謝罪を伝える短い置き手紙に、彼らの行き先は記されておらず、旦那様は三日三晩泣き続けました。失意の底に沈んだ旦那様の元には、姉であるヴァレリー様が用意した新しい奥様が充てがわれました。新しい奥様は前妻の姿を映していた私のことを嫌い、私は再び倉庫へと収納されることになりました。
何年の月日が流れたのか分かりません。
倉庫の中は暗く、静かで、物悲しい空気に満ちていました。私は何度も浅い眠りに落ち、今まで出会った方たちのことを思い返しました。
グスタフの街で生み落とされてからというもの、たくさんの人々の生死を見届けてきました。悲しみにも、喜びにも、もう慣れたつもりでいました。
だけれど、どうしても私の頭の隅には、屋敷を去って行くオリアナ様の背中と、泣き崩れるエイドリアン様の姿が焼き付いて離れないのです。
私はただの家具です。
言葉を持たない木製の鏡です。
しかし、願うことをお許しください。
どうか、どうか。
別れてしまった二人の心が、またどこかで再び出会うことが出来ますように。
どうか。
旦那様が、あの真実の愛と幸せに結ばれますように。
倉庫に吹き込んだ風の噂によると、シンプソン公爵家には、また新たな奥様がいらっしゃるようです。エイドリアン様の義理の息子のどちらかがご結婚なさるそうなのです。
彼らもまた、真実の愛で引き合わされたのでしょうか。家具の私には、分かりません。ただ、そうであれば良いと願っています。次に私が日の目を見るならその際は、幸せな誰かの姿を映したいのです。
End.




