44 火曜日
裁判を終えて戻ってきたもの。
十分な睡眠時間、使用人たちの心の平穏、そしておそらくレミリアの健康。もちろん、これは腕の良い料理長の支えがあってのこと。
「おはよう、今日もよく眠れたわ!」
「それはそれは良かったです。ちょっと前まではブラックコーヒーを溢したみたいなクマが出来てましたから、これでこちらも安心です」
「ふふっ。おかげさまでね」
席に着きながら笑みを返すと、初老の料理長はテーブルの上にコーヒーを並べて「ご一緒しても?」と尋ねた。驚きつつ、了承を示す。というのも、朝は一日の仕込みに忙しい彼がこんなことを申し出るのは初めてのことなので。
「色々と他の使用人たちから聞きました。正直言いますと、アントン様がこれで引き下がるとは思えない……」
「というと?」
「何か嫌がらせをしたり…… 屋敷に火をつけたりしないでしょうか?あの方のことだ、酷くプライドに傷が付いているはず」
「それはそうでしょうねぇ。偽の当主印なんてどうやって作ったのか分からないけど、弁護士のラッセルさんが言うのは当主印が押された書面から起こして作らせたんじゃないかって」
料理長は神妙な顔で「手段は選ばないでしょうね」と頷く。
「もう恨みは買いたくないわ。お金で解決するなら資産の半分を返せば良いのかしら?」
「分かりません……ラッセル先生やレコルテ先生に相談してみては。個人的には少し分け与えたところで、彼らのような人間はそれが枯渇した場合に再度要求してくると思います。なんてったって、」
「裁判費用の支払いがある上にアントンには進んで引き受けた負債がありますものね」
その言葉が何を意味するのか分かったようで、料理長は苦々しい顔をした。アントンはまだ恋人のエロイーズ・バフと一緒に居るらしく、親切な友人の何人かは二人を目撃したとレミリアに連絡をくれた。
別に良いと思う。
それが二人の真実の愛なのだから。
「………ラッセル先生は、明後日に約束をしているの。前に食事会の準備を頼んだでしょう?夕食を一緒に食べるように誘っていて、」
「あぁ、お相手がラッセル先生なのですね。私はてっきりレコルテ先生がいらっしゃるのかと……」
「え、どうして?」
「あー……だって奥様は、」
そこで料理長は言葉を詰まらせて、困ったように鼻の頭を掻いた。レミリアはその様子を見て「もう良いわよ」と吹き出す。
「どうしてみんなこうも勘が鋭いのかしらね。メイドたちも何か噂しているようだし、私はそんなに顔に出るタイプ?もう恋する乙女なんて歳でもないのよ」
「恋……?」
「ええ。ホークスのことは好きだけど、あくまでも頼れる友人よ。こんな訳ありの女が想いを寄せて良い相手じゃないの」
なんてことのない素振りで言い切ったつもりだったけれど、料理長は豆鉄砲にでも打たれたような顔で固まった。
「はい………? 私がお伝えしたかったのは、奥様がレコルテ先生を右腕のように信頼されていたというお話です。とはいえ私見に過ぎないので、黙っておこうと思ったのですが……」
今度はレミリアが言葉に詰まる番だった。
熱くなる顔を隠すように新聞を抱えて、挨拶もそこそこに足早に自室へと戻る。どうか、先ほどの失言を料理長が明日には忘れていれば良いけど。




