37 公爵家の当主3
自分の目を疑った。
シンプソン公爵家に入って以降ずっとレミリアが管理してきた当主印が、アントンの手元にもある。信じて疑わなかった確かな証拠が、どうしてか目の前に二つ存在している。
「そんな……!それは偽物でしょう!?当主印が外に持ち出されているはずがないわ。お義父様から預かったものは邸で保管しているこちらだけよ」
「なるほどもっともらしい言い分だ!そのあたりの理由付けはしっかり考えて来たんだな。しかし、君の目で見てみれば良い。確かに本物だ」
アントンはそう言ってクツクツと笑った。
レミリアは隣に立つラッセルを見上げてみる。頼れる弁護士は少し困った顔で眉を下げ、頷いた。どうやら「確認してみよう」という意味らしい。
裁判長も椅子から立ち上がってこちらへ向かって来る。レミリアも高まる胸を押さえつつ、反対側に位置するアントンたちの机へと近寄った。
(二つ存在するはずがないわ……)
そんな話は聞いたことがない。
今まで一度だって、シンプソン公爵家の当主印は屋敷から持ち出さたことはない。したがって、印を複製することなど不可能。
「………嘘でしょう……、」
机の上に載った人差し指ほどの大きさの当主印を見て、レミリアは我が目を疑った。金色に輝くボディは鳥の形に掘られ、印面は確かに公爵家の家紋を表している。小さな鳥は双翼を優雅に広げていた。
「待って、翼の形が少し違うわ……!」
「はぁ?」
「当主印は片翼の鳥を模しているの。貴方が見せているものはほら、翼が二枚広がってる!」
「っふ、はははは!聞いたか、みんな?翼の形が違うだって?この薄汚い偽物の当主印はさぞかし雑な仕事で作られたんだろうなぁ!」
「なんですって?」
「落として割ったんじゃないか?見てみろ、ほら、君の印は不自然に片方の翼が欠損しているじゃないか!」
「これはもともと……」
言い返そうとしたレミリアはハッとして視線を手元に落とす。アントンが指摘した通り、当主印の片側は翼が存在せずに平面になっている。今まで意識して考えたことはなかったけれど、確かに歪と言われればその通りだ。
今まで何度もこの印が押されてきた。
だけど、翼の形にまで留意したことはない。
さまざまな可能性が頭の中に溢れる。
アントンがこっそりと本物と差し替えたのかもしれない。もしくは、レミリアの持つこれこそが本物で、彼はレプリカを作成したのかも。だけれど、同じ印面を持つ二つを、どうやって識別したら良いのか。
「裁判長、証人を追加しても?」
ゆったりとした声に顔を上げると、それまで黙っていた第二弁護士の男が挙手していた。細い顔にギラついた目をした背の高い男。彼が、アントンの言っていた「詐欺に関わる犯罪の専門家」なのだろう。
「ええ、どうぞ。事前に書類に記名いただいている方でしたら構いませんよ」
裁判長の返答に男は満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。では、グスタフ町役場に勤めているガネール・アリ氏に登壇していただきます」
第二弁護士の紹介を受けて、若い男が前へと進み出た。オドオドと周囲を窺う素振りを見せながら、心配そうに手を組んでいる。
自信に溢れたアントンの顔を盗み見て、レミリアは嫌な予感を覚えた。
「アリ氏は役所の市民課で働いているそうです。なんでも彼は、シンプソン公爵家の夫婦が提出した前当主の死亡届を受理したこともあるとか?」
「………!」
驚くレミリアの前で若い男は頭を垂れて肯定を示した。
「えっと……はい。当日は届出の数が少なかったのでよく覚えています。あの日は当主印を持参していただいて、役所で捺印いただいたんです」
「当主印の形はどうでしたか?」
「とても特徴的な……双翼を広げた鷲でした」
ホールの中をザワザワと声が反響する。
レミリアは言葉を失って、口元に手を当てた。
やられた、そんな後悔が胸の内に渦巻く。証人をこんな形で利用されると、あとで何を言っても証明にはならない。複雑な気持ちで見つめる先で、第二弁護士は若い男の肩を叩いた。
「ありがとう、ガネールくん。お母さんは元気かな?伯爵家の使用人に対して車の事故を起こしたと聞いたときはヒヤッとしたが、なんとか力になれて良かったよ」
「はい、先生……!あの時は本当に助かりました。もうどうにもならないとばかり、」
朗らかに話す男たちを眺めて理解したのは「そういうことなのだ」ということ。アントンが言っていた第二弁護士の説明は至極真っ当な真実で、確かに彼はレミリアの罪を証明するために周到な用意をしていた。
それこそ、白を黒に変えるぐらいの。
「すみません。こちらも証人の登録をしてあります」
失意のレミリアの上から、のんびりとした声が降って来た。隣を見れば、リーマン・ラッセルが裁判長の方を向いている。
証人など初耳。彼が声を掛けていたのだろうか?
屋敷の使用人たちの顔を思い浮かべてみる。
メイドのユミルには離縁するときの心境を吐露した覚えがある。料理長ともいくらか会話のやり取りはした。だけど、二人が証人で登壇するなんて話は聞いていない。
思案しながら俯いていると、視界の隅を何かが横切った。少しくたびれた紺色のスーツには、既視感がある。レミリアはその色をよく知っていた。
ゆっくりと顔を上げる。
「ご紹介いただいたホークス・レコルテです。前公爵が逝去された際には弁護士として書類の作成に立ち会いました」
「………なんで、」
「今日は弁護士ではなく、レミリア・シンプソンの友人としてここに来た」
随分と久しぶりに見るホークスの顔に、レミリアは視界が滲むのが分かった。




