32 その日◆ユミル視点
そしてついに、その日がやってきました。
アントン様が奥様を相手取って起こした申し立てによる、裁判の日がきたのです。最後に届いたアントン様からの手紙によると、弟であるヘイズ様とダフ男爵家のご令嬢は証人として出廷するとのことでした。
「あ、あの、奥様……!」
「どうしたの?」
「えっと………」
勇気を振り絞って声をかけたものの、続く言葉が出てきません。奥様は少しこちらを見たあと、プッと吹き出して笑いました。
「貴女が緊張してどうするの。べつに取って食べられるわけでもないし、悪いことだってしていないわ。堂々としていないとね」
「しかし、奥様、」
「こんな馬鹿げた裁判はさっさと終わりにして帰ってお茶でもしましょう。デミルカからもらったちょっと良い茶葉を開けてみたりして、料理長にも美味しいものを用意するように頼んでおいて!」
笑顔を貼り付けたままで奥様は姿勢を正すと部屋を出て行ってしまいました。私はその背中を見送りながら、モヤモヤとする胸に手を当てます。
レコルテ先生に会うことは出来ませんでした。
何度か事務所を訪ねたのですが生憎いらっしゃらず、伝言や置き手紙などを試みましたが、とうとう今日までお返事をいただくことは叶いませんでした。
先生は奥様を見捨てられたのでしょうか?
それとも、何か別の事情があるのでしょうか。
「だーいじょうぶよ、ユミル!」
バシッと肩を叩かれて私は前へつんのめります。
振り返ると、同僚のドリーが同じように前方の奥様を見つめたままでそこに立っていました。視線は動かさずにドリーは腕をしっかりと組み直します。
「私たちの奥様なのよ」
「え……?」
「レミリア・シンプソン公爵がこの程度のことで参るわけがないわ。あの憎ったらしい青髭男に赤っ恥掻かせて帰って来てくれるに決まってる」
「青髭って、」
それが元当主であるアントン様のことを指すと分かるや否や、私はヒヤヒヤとして周りを見回します。ここはもう奥様のお屋敷なので関係のないことなのですが、身に染み付いた習性がつい出てしまったのです。
しっかりしなさいよ、と再度背中を叩かれてようやく私は我に返りました。当事者以上に怯えているのは私自身です。
「奥様は負けないわ」
「だけど、弁護士は……」
奥様は、弁護士を見つけ出すことが出来ませんでした。最後の最後まで電話を掛け、手紙を書き続けていましたが、ついに協力者を得ることは出来なかったのです。
「私たちが信じなくて誰が信じるの」
「………っ、」
「帰って来た奥様にお疲れ様でしたって言って、温かい紅茶を差し出すのよ。そのために私たちはここに居る。絶対に戻って来るわ。いつもの顔で楽勝だったわよって笑いながら、きっと」
「………ええ、そうね」
私はただ何度も何度も頷きました。
私の知るレミリア・シンプソンというお方は、強くて、聡明で、ご自分の意志を貫く女性でした。他人の意見に惑わされず、いつだって信じた正義のために行動されていました。だから、そんな奥様だったから、私たちはこの屋敷で働き続けることを選択したのです。
「絶対に……絶対に戻って来るわよね」
目元を拭う私の肩をドリーが抱き寄せ、私たちは奥様の姿が見えなくなってもしばらくその場に立ち尽くしました。
こうして裁判の朝は、幕を開けたのです。




