30 ネモフィラ2◆ユミル視点
エイドリアン様のお墓は、シンプソン公爵家が有する街の北部にありました。
シンプソン公爵家は代々、お屋敷からほど近い場所に埋葬されていたようなのですが、エイドリアン様に限っては本人の強い希望でその場所を選択されたと聞いています。
小高い丘の上にあるため空気は澄んでいて、春には青いネモフィラが咲き乱れる美しい場所でした。
(………随分と早く着いてしまったわ)
晴れていて天候も良かったので、私は奥様からのご厚意で少し長めの休憩とお弁当まで持たされていました。丘の上にはエイドリアン様のお墓の他にもシンプソン公爵家が管理する別荘があるため、そちらの場所を借りても良いとのことです。
お恥ずかしい話ですが、妹を四人抱える身としてはあまり贅沢も出来ませんから、このような形で食事をいただけるのは有難いのです。料理長からはデザートまであると聞いているので、山を登るバスの中からすでにお腹は控えめな鳴き声を上げていました。
無事にお墓に花を供えて、別荘のある方向へ足を踏み出そうとした時、視界に何かが映り込みました。
空をひらひらと舞うそれは真っ白な大判の布切れで、ところどころに花の模様が入っています。私は慌てて手を伸ばし、柔らかな布を掴みました。
「あぁ、ごめんなさい……!お嬢さん!」
間も無くして後ろからゼェゼェと息を荒げた老婦人が姿を現し、私は彼女の手元の杖を見てハッとして駆け付けました。
「あの、大丈夫ですか?」
「ええ、ええ!ごめんなさいね、風でどこまでも飛んで行くものだから私ったらもう必死で……」
肩を大きく揺らしながら女は額の汗を拭います。
まだしばらく落ち着くまでに時間が掛かるだろうと踏んだので、私は「良ければ一緒に休憩しませんか?」と提案しました。このまま老いた彼女をこの場に置き去りにするのも気が引けましたし、見たところ足の悪い老婦人が一人で丘を下るのも少し心配だったのです。
婦人は快く承諾し、こうして私たち二人は墓地のある場所から公爵家の別荘へと移動しました。
「まぁ、それではおばあさんもお墓参りで?」
差し出した紅茶を一口飲むと老婆はこくりと頷きました。
「ええ、はい。妹が隣の共同墓地に埋葬されているものですから、毎年この季節には挨拶に来るようにしているの。寒くて身体には堪えるんだけどねぇ」
ふふっと笑うと目尻に皺が寄って、さらに優しい顔になります。聞けば彼女は若い頃に乳母として働いていたそうなので、私は同じ使用人として妙に親近感を覚えてしまいました。
「きっと妹さんも喜ばれるはずです。ご存知でしょうけど、この場所は春には絶景に恵まれますから」
「そうねぇ。あの子の人生が少しでも報われると、残された家族としても嬉しいんだけど……」
気落ちした様子でそんなことを言うので、私は思わず首を傾げてしまい、老婆はそんな私を見てポツリポツリと彼女の妹の話を語ってくれました。
老婆は街外れの鍛冶屋の娘として育ったそうです。亡くなった妹というのは、貴族に嫁いだものの身勝手な理由で離縁されたらしく、その悲痛な思いを聞いて私は目頭が熱くなりました。
「それで、おばあさんは……」
「マーサで良いわ」
「え?」
私は目元に当てていたハンカチを取って、何度か瞬きを繰り返しました。老婆は白い息を吐いて再び紅茶を啜ります。
「マーサ・ガレットと言うの。大切なスカーフを取ってくれた恩人に名乗らないのも失礼でしょう?」
「あの………」
なんと言えば良いか分からない私の前で、老いた女は皿の上に切り分けたテリーヌを見ていました。それは料理長が持たせてくれたデザートで、濃厚なチョコレートテリーヌは使用人たちの間でも評判でした。
「妹もね、よくテリーヌを焼いていたの。門外不出の秘伝のレシピだって勿体ぶってね」
「………妹さんは、」
「妹の名前はオリアナよ。ガレットはうちの夫の姓だから妹は旧姓のレコルテのまま。オリアナ・ディゴール・レコルテ、珍しい姓だってよく言われたわ」
私は嬉しそうに笑う老婦人を見て言葉を失いました。
運命というものは信じませんが、これは神様の導きか何かなのでしょうか。そうでなければ、亡くなったエイドリアン様が私たちを引き合わせてくれたのでしょうか。




