29 ネモフィラ1◆ユミル視点
「え?私がエイドリアン様のお墓参りを……?」
予想もしなかった仕事が舞い込んだので、私は大きな声で聞き返してしまいました。奥様は椅子に座ったままでゆったりと一つ頷きます。
珍しく晴れた水曜日でした。
いつものように早めの朝食を済ませて新聞に一通り目を通した後、奥様は自室に戻って私を呼びました。奥様は朝食後に自室でカモミールの紅茶を飲んで休憩されるのが日課ですから、私はお茶の準備をしてすぐに伺ったのです。
しかし、申し付けられたのは想定外の内容でした。前当主エイドリアン・シンプソン様のお墓に花を供えてほしい、それが奥様の依頼でした。
「もうすぐ命日なの。だけど裁判が始まったらゆっくりと出向く機会もなくなるかもしれないでしょう」
「あの、奥様が直接行かれた方が……」
私の知る限りでは、奥様は毎年エイドリアン様の命日にご自身の手で花を手向に行っていました。お花の手配から受け取りまですべてお一人で計画されて。
そんな特別な行事を私に任せるなんて、という驚きがあったので、私はついつい出しゃばって自分の意見を述べてしまったのです。しかし、奥様はただ目を伏せて首を振りました。
「今、屋敷を留守にするわけにはいかないから」
「見張の件をご心配なさっているのですか?あんな風に毎日監視を続けるのはおかしなことです!警察の方に相談して、帰っていただきましょう……!」
「………信じてくれなかったら?」
「へ?」
間抜けな顔を向ける私の目を真正面から見据えて、奥様は口を開きました。
「警察が、私の話を信じてくれなかったらどうすれば良い?お前は嘘吐きだと罵って……請け合ってくれなかったら」
「奥様………?」
凛とした顔を引き立てていた赤い髪の下で、二つの目が少しだけ揺れていることに気付きました。いつだって自分を信じて、前を向いていた強い人が、初めて不安のような感情を見せていることも分かりました。
だけれど私には、なんの根拠もなく「大丈夫ですよ」と言うだけの力がありませんでした。出来ることといえば、持っていたハンカチを差し出して、項垂れる手を握り込むぐらい。
だから、せめてもの気持ちで、私は奥様の申し出を受けることにしたのです。
エイドリアン・シンプソン様の墓前で、これから始まるであろうアントン様とレミリア様の対決が、どうか平和に終結することを願うために。
荒れ狂う海のような奥様の胸中が、一刻も早く穏やかなものに戻ることを祈って。




