26 白雪の日
降り積もる雪が公爵家の庭を覆い尽くすある寒い日のこと。レミリアは分厚いコートを着込んで街角に立っていた。かじかむ両手に息を吹き掛けて寒さを凌いでいると、待ち合わせの相手が人混みの間から手を振って見せる。
「マーサ!」
逸る気持ちを抑えて、足を踏み出した。
片手で杖を突きながら姿を現したのは、半年ぶりに見る老婆。マーサ・ガレットという名の彼女は、レミリアがこの世に生を受けてから約十年余りの間を共にした乳母だった。母親の介護を理由にワーレム邸を去ったマーサとはその後も文通が続いており、結婚して街の中心部に越して来たレミリアが久方ぶりに手紙を送ったところマーサもまた近くに住んでいたことから、年に数回お茶をする仲になった。
三人姉妹の真ん中で育ったレミリアにとって、マーサは母親よりも母親で、唯一の独り占め出来る大人だった。両親が忙しいときでも、この乳母だけはいつもレミリアのそばで絵本を読んで聞かせてくれたのを憶えている。
「ごめんなさい、寒くなって来たから外で会うのはどうかと思ったんだけど……」
「良いんですよ、お嬢様!相変わらず綺麗なお顔をしてらっしゃる。だけども、疲れているようですねぇ。何か変化でも?」
心配そうに覗き込む二つの目を見て、レミリアは思わず言葉に詰まった。
「ここで話すのもなんだし、お店に入りましょうか。美味しいスープはいかが?」
「それは良いわ!あたたかいものは心も身体もほかほかにしてくれますから」
ニコニコと笑顔をこぼすマーサの背中に手を回して、レミリアは歩行を手伝う。ゆっくりと一歩ずつ踏み出す足元はやや不安定で、大好きな乳母が年齢を経て弱った姿に悲しくなった。
なんとかマーサをソファまで案内して、レミリアは店員に注文を伝える。すっかり白くなった景色を眺めながら、何から話せば良いかと迷っていると、老婆のかたわらに置かれた鞄から飛び出す小さな花束が目に入った。
「お花?」
レミリアの視線を追ってマーサが口を開く。
「……ええっとですね、実はこのあとで妹の墓参りに行こうと思っていたのです。生憎の天気なので、今日は難しそうなのですが」
「あぁ……随分若くに亡くなったと聞いたわ」
記憶を辿りながら話すレミリアに、老婆はしんみりとした表情で大きく頷いた。
「妹は貴族の男と駆け落ち同然で結婚して、相手方の勝手な都合で追い出されました。昔の話ですから、うちのような平民の出は爵位のある家柄にそぐわないと強い反対があったのでしょう」
「酷い話ね。どうして偏見や差別が無くならないのかしら。偏った考えばかりが根深く残って、腐っていくみたいに感じる」
「仕方がないのです…… 私はワーレム伯爵家で乳母として雇っていただいていましたから詳しい事情は聞いていませんが、妹は最期まで男の名を明かしませんでした。血気の盛んな姉が報復に行くことを恐れたのかもしれませんね」
そこで少し笑って、マーサは袖をまくって腕を折って見せた。昔は頼もしかったその仕草も、今では腕の細さも相まって心配になってしまう。
レミリアの心境を察したのか、マーサは元通りに服装を正すと「一つ残念なのは」と言った。
「親不孝者の息子のことです」
「え?」
「妹のオリアナには息子が居たのですが、私が親元に戻ってすぐの頃に家出をしてそれっきり。何処へ行ったのやら、行方知らずなのです」
「まぁ……それはいただけないわね」
独り身になった傷心の母親を置いて家を出るとはなんとも身勝手な話だ。生みの母であるマーサの妹も、さぞかし心を痛めたことだろう。
「生きていたら、お嬢様と同じくらいの年齢かと思うのですが………」
会ったこともない故人の気持ちを思いながらレミリアが俯く前で、マーサは落ち込んだ声で独り言のようにそう付け加えた。




