83話:革命児サキュバス
十六日目。
『メッシュ陛下ー。いつまでその世界にいるんですかー?』
我の頭の中に、ゴシックドレス姿の鑑定係の声が響いた。
魔界の召喚斡旋所からテレパシーで話し掛けてきたのだ。
「さあな。だが、まだこれと言った願いを叶えていない。このまま帰る訳にもいかぬだろう」
我がそう答えると、鑑定係は「えええー」と不満そうな声を上げた。
『願いってー。魔力分けて病気治してあげたりー、勉強手伝ってあげたりー、ボディーガードしてあげたりー、いっぱいやってたじゃないですかー』
「魔力を分け与えたのはサービスだ。勉強もボディーガードも役立っていない。はっきり言って我はこの世界に来て大した仕事をやっていないのだ。このまま帰ったのでは中途半端で気持ち悪い」
それに現魔王のマートも、サキュバス少女アルノの持病である『魔導無昇華病』に興味を持っていた。
あの賢い弟(妹)が気になっている奇病。そうなると我もなんとなく気になってくる。
ただの好奇心であるが、もう少し様子を見ておきたいというのが正直な所である。
「しかし随分と我の行動について詳しいではないか。また我を監視していたのか?」
『うぁっ……ま、またじゃないですー。自意識過剰ですねー。死んでくださーい。危険人物な陛下の様子を時々見てただけですからー』
鑑定係は、どこか慌てたように言った。
我はまだ危険人物扱いなのか。
もう言われ慣れた気もするが、しかし繊細な心の持ち主である我は、やはり少しだけ傷ついてしまうのだ。
『サキュバスの少女にずっと構ってるしー、ロリコンかもしれないしー』
「ロリコンではない」
非常に心外である。
『そういえばー。メッシュ陛下が魔界で住んでるホテルですけどー』
鑑定係が急に話題を変えた。
『陛下が借りてるお部屋からー、異臭騒ぎがしてまーす。って、わざわざ召喚斡旋所までホテルの人からの苦情が来てましたー』
「異臭だと! 何故だ。我は常に部屋を清潔にして……る程でもないが、別に臭いものは無かったはず」
『仕方ないから私が見に行ったらー、牛乳がテーブルの上に常温放置されてチーズみたいになってましたー。あと窓が割れて小鳥が入ってましたー』
「牛乳……? 窓……? 小鳥……?」
そうか。思い出した。
あれは我がこの夢魔世界へ召喚された日。出勤前の早朝。
………………
ホテルの部屋にて、さてそろそろ出勤しようと考えていたら、
「お兄様! お兄様お兄様お兄様! お兄様ーっ! お菓子くださいませ! とおーーっ、ジャスティス・クラッシュ!」
と、イトコの娘であるフォルが窓をぶち破り、部屋へ押し入って来たのだ。
仕方ないので、森永チョコフレークと牛乳の黄金コンビを与えた。
「甘くて美味しいですの。もぐもぐばりぼり」
「ところでフォルよ。破った窓の代金はサディートとお前の母親に言って」
「ああああああ! 用事を思い出しましたので、わたくしはこれにて失礼いたしますの。うふっ」
「待て」
速攻で窓から外へ逃げ出すフォル。
我は追おうとしたが、チョコフレークを食べている途中だったので初動が遅れた。
時すでに遅し。大人顔負けの素早さを持つフォルは、あっという間に姿を消した。
しばらく街中を探索したが見つからず、仕方ないのでそのまま出社したのだ。
………………
「……忘れていた。牛乳を出しっぱなしであったな」
『おっちょこちょいですねー。いちおー私が掃除してあげときましたー』
「そうか、気が利くな。ありがたい」
『お礼にまた遊びに連れてってくださいねー。ふふー』
鑑定係は楽しそうに笑っている。
我も二週間ぶりの同僚との会話に、どこか安心したような心持ちになった。
職場でのコミュニケーションが上手く行っている証拠であるな。流石は我だ。
『とにかく陛下ー。さっさと帰ってきてくださいねー』
「うむ……む? 何故だ? 別に二十日そこら異界へ滞在するのは、レンタル召喚獣として特別珍しくはないだろう」
『えぅ!? えっと、その……ち、違いますよー』
何が違うのだろうか。
『あ、アレですー。陛下がいないと特(S)級以上の案件が上手く回らないしー。収益改善がなんとかーってー、パパ……こほん、所長が青ざめてますからー』
斡旋所所長が困っているのか。彼は鑑定係の父親でもある。
これ以上あの薄い頭髪を犠牲にしてしまうのは、少しばかり忍びないな。
『ただそれだけ。それだけでーす。ウザいから勘違いしないでくださーい』
「別に何かを勘違いした覚えは無いが、承知した。出来るだけ早く片付けるとしよう」
◇
と、鑑定係へ言ったものの。
まだしばらく帰れそうには無いかもしれぬ。
昨日サキュバス及びインキュバスの労働環境改善提案書を書き上げ、更に発表用の別資料まで作ったアルノ。
さっそく今日、夢魔国のお偉いさん達の元へ赴き説明してきた。
急なアポイントメントであったが、アルノが貴族の子女という事であっさりと会議開催出来た。
どうもアルノの父親は貴族の中でも特別な存在……というか単純に金持ちであるため、お偉いさん方も存在を無視することは出来なかったようだ。
とは云え、アルノの提案を快く呑むかどうかは別の話。
提案書を読みながら「ふむ」だの「おお」だの感心している様子だったが、
「……なるほど。全てきみの言う通りなんだろうが……しかし、この提案書に書かれている通りの対応が出来るかどうかは、あまり期待しないで欲しい。とくにこの『貴族の娯楽のための精吸いを禁止』ってのや、『貴族の異界精吸い権の独占禁止』ってのは……その……ねえ?」
と、難色を示した。
その後も数時間に渡り議論を交わすが、平行線。
しかしアルノはめげなかった。
夕方になり、さすがにそろそろ会議は終了しようという空気になった時、
「そうですか! 今日の所は分かりました。じゃあまた新しい資料を持って来ますので、よろしくお願いします!」
「え、ええ……また来るの?」
「はい来ます! 性感染症や捕食被害や戦争への巻き込まれ被害とか、今日の資料では纏め切れていない項目もあるので! では三日後お願いしますね!」
「あ。はい……」
と、ちゃっかり次の会議設定を取り付けた。
そして帰宅後。
アルノは机に噛り付き、新たな資料を作成している。
「皆を納得させるには……そうだわ、もっと段階的に……そうね……」
なんとも凄まじい情熱と根気だ。
これほどのバイタリティ、羨ましくもある。
◇
十七日目。
アルノの部屋へ、一人の男が尋ねてきた。
「やあアルノさん、始めまして」
男は新聞記者。
今朝突然アルノへ「精吸い事業改革の提案書について話を聞きたい」と連絡がきて、さっそく昼に会っている。
昨日の今日で、既に提案書の件が噂になっているのだ。
「初めまして、私がアルノです。今日は宜しくね。こちらは家庭教師のメッシュさん、色々と協力してくれているの」
紹介され、我も新聞記者へ会釈した。
今日から我は、アルノが個人的に雇っている教師ということになった。
いつまでも本棚の上や天井裏に隠れるのも辛いのでな。
一連の挨拶が終わった所で、新聞記者は、
「では本題です。今朝の新聞、もう読まれたかもしれませんけど……」
と言って新聞を机の上に置く。
その新聞の一面には大きく、
『精吸いでの死者、年間二万人!』
『少女の願い、政府から一蹴される!』
と見出しが書かれている。
アルノの提案書についての記事だ。
他にも、
『改善を望むも、汚職利権を守るために完全無視』
『もはや夢魔に明日はない。貴族から搾取される未来、確定!?』
などと、多少大袈裟な文章が大きめの文字で書かれている。
「今朝出したばかりなんですが、いやあ凄い反響ですよ」
男は満足げに言った。
我もアルノも、朝のうちにこの新聞は一度読んでいる。
煽情的な見出しとは裏腹に、記事の中ではアルノの主張や改善案が詳しく真面目に書かれていた。
昨日の提案書は、昨晩の内に意見陳述記録として公開されているらしい。
それを見つけた記者が、すぐに記事へ落とし込んだのだという。
「記者の人に注目して貰えたのはラッキーだったわ。実は私もこの提案を世間に知って貰いたいと考えていたの。ちょっと過激な見出しだけど、これくらいのインパクトは必要なのかもね」
「そうでしょうそうでしょう。これは云わば労働法の革命です。己の保身が第一である役人へ意見したところで革命は無理ですよ。まずは人民の心を掴まないとね。いやぁ、良いですね! 革命少女!」
新聞記者は早口でそう言って、
「ではアルノさん。市民の前で演説しましょう! 私が全てセッティング致しますから!」
と、唐突な提案をした。
本当に急な話だが、アルノは、
「そうよね。私もそう思ってたわ。ありがとう、日取りはいつ?」
すんなり受け入れた。
行動力の塊だな。
「日取りは明日です!」
「へえそうなんだ。明日ね。うん……よし、今から原稿を書くわ!」
スピーディーすぎるぞ。
◇
十八日目。
演説の日。
たった一日しか宣伝していないのにも関わらず、アルノの話を聞くため、夢魔市民会館に約三千人の労働者が集まった。
この大入りには、さすがのアルノも面食らう。
「どどど、どうしようメッシュさん。こんな大勢の前で……緊張するよー」
控え室にて、アルノは手足を震わせている。
学者並の知能へ成長したとはいえ、演説などは初めての経験。
威勢よく引き受け準備も万端とはいえ、三千人を見た途端に恐ろしくなってしまったらしい。
そういえば我も魔王時代、数万の民の前で演説したことが何度かある。
最初は緊張したものだ。が、まあこんなものは慣れだろう。
「落ち着けアルノ」
我はアルノの手を取り、頭の中で言葉を紡ぐ。
『聞こえるか。今テレパシーで、お前の心と繋がっている』
『……えっ!? た、確かに頭の中に声が……こんなこと出来たのメッシュさん!?』
『出来たのだ』
超能力で、アルノとのテレパシー相互会話を開通したのである。
『何かあったらこのテレパシーで我に伝えろ。助け舟を出してやる……と言いたいところだが、おそらく何も出来ないが……まあ気休めにはなるだろう』
『うん。ありがとメッシュさん! メッシュさんは私に何でもくれる、魔法使いさんだね!』
アルノがそう考え、微笑んだ。
『いや、我はまだこの世界に来て何もしていない。何もな……全てお前の功績だ』
『謙遜しちゃって。でもそんなことないよ。メッシュさんは私を見つけて、救ってくれた。たくさんある異界の中から、私が偶然書いた魔方陣を見つけて……きっと、私は……』
そこまで考え、アルノは首を横に振る。
『ここから先はテレパシーじゃなくて……いつか、きちんと言葉で伝えるね』
そしてアルノは、演説の舞台へと上がっていった。
「まずはこのグラフを見てください。これは夢魔族の精吸い事業における年間死亡者数で──」
本番になれば緊張は吹っ飛んでしまったようで、アルノはマイクとスライドを使い、堂々と己の提案を説明していった。
「私が問題だと定義したいのは、この──」
スライドを指しつつ、たまに手元の発表用原稿へ目を通しつつ、すらすらと言葉を出している。
まるで手慣れた講師のようだ。
つい二週間ほど前に文字や言葉を覚えたばかりだとは、とうてい思えないな。
労働者達もたまに感嘆の声を上げながら、真面目に聞き入っている。
……しかし、演説の折り返し地点へと差し掛かった頃、
「そこでこの感染Aは…………Aは………………?」
急に演説が止まった。
十秒ほど沈黙が流れる。
アルノは口を開けたまま、手元の発表用原稿を凝視し固まっていた。
様子がおかしい。
『どうしたのだ』
我はテレパシーで尋ねる。
『どうしたん……だろう。ねえメッシュさんどうしよう! どうしたら良いの!? なんで、突然……ええっ? なんで?』
アルノは何やら慌てている。
額から汗が噴き出している。ただごとではないらしい。
そしてアルノは、我へ状況を伝えてきた。
『文字が、読めない……読めなくなったの。急に……ねえ、これ、なんて読むの?』




