行動開始
宿泊学習も依頼などを体験する期間の最終日がやってきた。
ここから食べ放題や海水浴などのお楽しみがあるが、それはまた明日以降の話。今日が終わってからのことだ。
だからこそ今日はしっかり頑張らなくてはならない。
警戒していた連中の動きも特になく、人間主義と思われるヤツらのよくわからない騒動も一旦は終息している。あとは相手がいつ行動を起こすのか。それが鍵だった。
いつ仕かけてくるのか予想はつけにくいが、ここまで来ると選択肢は今日と明日の二択になる。流石にこの街で散々仕かけてきておいて、帰りに襲いかかってくるということはないだろう。
今日襲いかかってくるとしたら、今日が終われば明日は一日中遊べるという生徒達の張り詰めた糸が切れるタイミングだからだろう。睡眠前なら身体も休まっていない。眠っている間に行動を起こす可能性も考えられる。
明日襲いかかってくるとしたら、生徒達が遊んで完全に気を緩ませているからだろう。
どちらも考えられるし、どちらかなんてわからない。
俺にできるのはいざという時のために心構えだけしておくことだ。
――そして。
懸念した騒動は起こった。
それは俺達生徒が活動する時間を終えて、宿屋に戻っていく途中。今日も依頼をこなした、明日は目いっぱい遊ぶぞと既に明日のことに思いを馳せている者も多くいた。
気を緩み始めるタイミングで、突如エヴァロンの街全体に音が響き渡る。
ブォーン、という空気を重く震わせる音色だ。物凄く大きいわけでもないのにやけに街全体へと響いていた。音の出所は多分空だ。それも遥か上空。
突然のことに俺の周りにいた人達も全員、おそらく角笛の類いと思われる音を聴いて夕暮れの空を見上げていた。
「……なんだ、あいつ」
俺は気の感知を上に広げて笛を鳴らしているヤツの気を探る。思わず声に出してしまうほどおかしな気だった。
気とは本来全身を流れるモノだ。だからあんな風に……細かな点が集まったようにはならない。
異様な気だ。だが俺はこういう気を、どこかで感じたことがある。
考え込み、すぐに答えは出た。
魔物の大群がライディールを襲撃した後のこと。俺がアイリアを連れ出してミャンシーを討伐しに行った時のことだ。あの時ミャンシーが仕かけたモノ、人を蟲の卵に作り変えるという醜悪極まりない行為。
あの時に感じた卵と同じだ。
つまり俺達の敵には、蟲が人を形作った何者かがいる。しかも相当に強い。そして同じ蟲ということは、ミャンシーの裏にいたヤツが今上空にいるヤツということにも等しい。
どう対処するか考え始める前に、街の一角で破壊音が聞こえてきた。慌ててそちらを見ると、暗い紫色の肌をした五メートルほどの巨人が建物を吹き飛ばして街の中に出現している。……あの場所、確か人間主義の連中を捕まえていた牢獄のあった場所じゃ。
あんな怪物は見たことないが、あいつらを生贄にして召喚されたナニカか? いや、違う。
「……あれが、元人間だってのか……?」
気を感知した俺は、気の質が牢獄にいたヤツらと同じだということがわかってしまった。つまりあの暗い紫色の肌をした、鎧のように甲殻を纏っている化け物が元人間だということだ。
「あり得ねぇだろ、どうなってやがる……!」
混乱する頭を他所に吐き捨てる。既に街は大混乱の最中にあり、巨人達が暴れ回っていることもあってあちこちから悲鳴が上がっていた。生徒達もいきなりのことで、冷静に状況を見極められている者は少ないだろう。
「それが、あり得るんだな。ルクス・ヴァールニア!」
聞き覚えのある声が俺を呼ぶ。癇に障る声だ。振り返れば俺の思い描いた人物、色黒の肌にターバンを巻き包帯を顔や腕に巻きつけた特徴的な野郎が立っていた。
「てめえは」
「いい表情じゃねぇか。欠陥品の恥知らずにしちゃ、な」
一々俺の神経を逆撫でする野郎だな。
俺とそいつは逃げ惑う人達の中で対峙する。
「てめえが牢獄から抜け出してるってことはやっぱり、あの巨人共は捕まった連中が変化したモノか」
「へぇ? そんなこともわかるのか。気ってのも捨てたもんじゃねぇなぁ。流石、魔力が使えないだけはある」
「一言余計なんだよ。ってかなんだてめえ、俺に恨みでもあんのか?」
「いや、全く。ただ両親には、そりゃもう恨みってモンが数え切れないほどあってなぁ。子供がいるって話を聞いた日にゃ心躍ったモンよ。どんな風に、両親の前で無惨に殺してやろうかってなぁ!! けど残念だが欠陥品だと来た! 俺ぁがっかりだったよ!!」
煩い野郎だ。
「それはそれは残念だ。同情するぜ」
俺は言いながら腰の木の棒に手をかける。
「二人はここにはいねぇし、てめえはここで欠陥品の息子にここで倒されるんだからな」
「生意気言うじゃねぇか……! いいぜ、ルクス・ヴァールニア!! そういうヤツを這い蹲らせて泣き叫んでるとこを見るのが、俺は好きなんだ!!!」
「変態野郎が」
笑みを深めた男が両腕の包帯を垂らし、腕を振るうと同時に伸ばしてきた。
「……前哨戦に全力を出す必要はねぇ、か」
小声で呟いて内功を使用する。棒を振るって二つの包帯を弾き返し、指で棒をなぞりながら刃を形成。一気に敵の懐に入った。
「うぉっ!?」
「余裕だな」
驚く男へ向けて全力で剣を振り下ろす。だが間一髪身体を反らすことで回避されてしまった。空気を裂くような音と共に包帯が後ろから迫ってきていたので追撃をやめるしかない。男から離れると包帯は伸びて俺の後を追ってきた。随分と自在に動く包帯だな。ただの包帯じゃなく、あいつの武器って考えた方がいいか。気は感じないので魔力か他の能力で動かしているのだろう。気で動いていれば、簡単に察知できるんだが。
「真術を行使する」
「は?」
聞き覚えのある詠唱が聞こえてきた。……そいつはまさか。
警戒を強める俺に対して、しかし男は動かなかった。その後に続く言葉もない。眉を顰める俺を見て、男は思い切り舌打ちをした。
「クソ、やっぱりお前には効かねぇか」
「てめえ、それは魔神にしか使えない術のはずじゃ……!」
「わかってんなら答えは簡単だろ?」
「……いや、わかるわけねぇだろ」
「あ?」
「てめえは魔神にしては弱すぎる」
「……言ってくれやがるぜ、欠陥品の分際で」
俺の言葉を男は否定しなかった。
リーフィスやその後のアリエス教師から聞いた話では、俺の中に宿っているという魔神アルサロスは若い個体とはいえ災害の化身とも呼ばれるカタストロフ・ドラゴンをいとも簡単に滅ぼしたという。
それを聞くと、今の俺でも勝てなさそうなカタストロフ・ドラゴンを倒せるほどこいつは強くないと思う。少なくとも黒気と内功の併用があれば勝てると踏んでいる相手だ。未だに力を隠していたとしても、そこまでの強さはないと思われる。
「あーあ、クソ。簡単にバレちまってるんなら意味ねぇか」
男は包帯を引き寄せて肩を竦めた。俺に向いていた敵意がやや弱まっている。
「正解だよ、ルクス・ヴァールニア。俺は魔神じゃねぇ。魔神の力を分けてもらっただけだ。今暴れてるあいつらもそう」
「なんだと?」
「俺が貰った力は別口だが、あいつらは同じ魔神から力を与えられてる。あの巨人もどきは、要するに魔神の力に適合しなかった成り損ないってとこだな。力を能力として留めておくことができず、身体にも影響が出ちまった結果だ」
「……なんで俺にそんなことを教える」
「なんでって、そりゃ決まってんだろ? お前は必ずここで死ぬからだよ」
「……っ!」
最初に見せていた狂気もなく、ただ純然たる事実であるかのようにヤツは告げてきた。
「なにを、言ってやがる」
「ここで俺が殺しても、俺が殺さなくても。お前はどの道生き残れない。なにせここに来てるヤツの中には――お前の中に宿ってるのと同じ、太古の魔神が来てるんだからな」
「まさか……! さっき上で笛を吹いてた……!!」
俺の言葉に、男は笑みを深める。……あいつが鳴らした笛で、あいつが与えた魔神の力が身体に影響を与え始めた。ということは、巨人達に魔神の力を与えたのは今ここに来てるあいつってことか。
「バカっぽいと思ってたが、案外頭が回るじゃねぇか。言っとくが、魔神は魔物の比じゃねぇぞ? アリエス共々殺されるのがオチだな。精々悪足掻きでもしとけよ、落ちこぼれ代表」
「逃がすと思ってんのか?」
「逃げられると踏んでるだけだ。俺の与えられた力、真術は他人からの認識を変えること。お前さえいなきゃ余裕だっての。で、お前はこれから別の場所に急ぐことになる。俺の口から出た情報を聞いてな」
「なに……?」
不敵に笑う男は、意味深なセリフを吐くと聞く耳を持ってしまっている俺に対して情報とやらを口にした。
「お前のクラスのお仲間、今頃どうしてるだろうな?」
「っ……!?」
嫌らしい笑みを浮かべて出てきた言葉に、ペイン達三人が頭を過ぎった。
「ははっ! いいこと教えてやるよ、ルクス・ヴァールニア!! あの三人は今頃魔神サマと邂逅中だ!! お前らを見返す強さが手に入るって触れ込みで、甘言に惑わされてほいほいついていっちまってるよぉ!!!」
「てめえ……!!」
「おっと? こんなところで油売ってていいのか? お仲間があんな化け物に……いやもっと酷い姿になっちまうかもなぁ!!」
狂気の滲んだ笑みを浮かべて、俺を嘲笑う。……クソ、悔しいがこいつの言う通りだ。今探ったらペイン達と蟲魔神が同じ場所にいる。今から行って間に合うかはわからないが、できる限り早く行って止めねぇと……!
「ってことで、じゃあなルクス・ヴァールニア。次会う時があったら今度こそ俺が殺してやるからさ! 真術を行使する、と」
男は余裕たっぷりに背を向けて歩き出す。俺が襲いかかることはないと見越しての余裕だ。ムカつくが、今はそれどころじゃない。あいつを見逃せば俺以外に対処できないため厄介極まりないが、ペイン達を止めるのも優先すべきことだ。
二つは取れない。取ろうとすれば男は全力で持久戦をして俺を弄ぶだろう。多分、俺の全力でも数分はかかってしまう。……クソ。
悔しさに歯を食いしばっている俺の耳に、別の声が聞こえてきた。
「――空間圧壊術式」
その後ぐしゃりという肉と骨が砕ける音がして、音のした方を見る。……さっきまで俺を嘲笑っていた男の両腕両脚が潰れ、血塗れで地面に倒れていた。
「……フィナ」
聞こえてきた名称から、誰がやったかは明白だ。術式を唱えた声の主のいる方を見れば、無表情な彼女が佇んでいる。
「……大丈夫、死んでない。ルクスは行って。行くところがある顔、してる」
フィナはそう言うと意識を失っているらしい男に簡単な治療を施した。殺さずに捕らえるためだろう。
「わかった」
俺はフィナの言葉に頷くことしかできなかった。
以前のフィナなら、こういう非情な判断を下せただろうか。
以前のフィナなら、容赦なく敵を戦闘不能に追いやっただろうか。
なぜフィナが、声を出してからしばらく歩いた男を攻撃できたのだろうか。
心の内から嫌な畏怖感情が芽生えてきてしまう。それを打ち消して、俺は他に言うべきことを口にする。
「ありがとな、フィナ。おかげで助かった」
「……ん。私の役目はルクスを守ることだから。だから、無茶しないで」
「ああ」
こうして話していると、以前となにも変わらないようにも見える。だが夏休みが明けてからのフィナはどこか、覚悟が決まった風にも思えていた。
魔神と魔人。響きが同じことはなにか関係しているのだろうか。……今は考えるべきことではないが、いつしか踏み込む日が来る予感がした。
そしてフィナがなんらかの覚悟を決めたのだとしたら、自意識過剰でなければきっかけは俺のためだ。だから俺がフィナの力を、恐れてはいけない。俺はいつか来るその日のために、覚悟を決める他なかった。
フィナに後のことを任せて、俺はペイン達のところへ走った。
魔神の力が与えられたという巨人達はクラスメイトや生徒達が総出で対処してくれている。頼りにしているアリエス教師は、どうやら外から来た強者を相手にしているようだ。加勢は望めないか。
それでも俺は、クラスメイトが道を過つのを見たくはなかった。
しかも、もしかしたらその理由が俺自身にあるかもしれないから。




