第三章 懐中時計と伯爵と操り人形 その四
部屋の主が帰還すると、一人の男が礼を持って出迎えた。
「お帰りなさいませ。」
完璧な角度の礼で主を出迎えたのは、深緑よりも暗い鉄色の髪を持った壮年の執事だった。
髪と同色の瞳を向けた視線の先には主であるグレイシス王国国王ソルイエ、そして腕に抱えられている泣き疲れた第七王子ハーシェリクだった。
「今戻った。悪いが寝室を整えてくれるか? あとメリアにも連絡を。今頃慌てているだろう。」
「御意。」
短い返事の後、執事はすぐさまベッドを整える。とはいっても本来使用すべきソルイエは昨日から一睡もしていなかった為、本当に整えるだけだった。
執事が寝室から退室したのを確認し、ソルイエはそっと息子をベッドに寝かせる。布団をかけると指で息子の頬についた涙の跡を拭い、頭を撫でた。その一挙一動に愛情が込められていた。
そして音を立てぬよう寝室を出て扉を閉めたところで、ソルイエが深いため息を漏らす。
(……話をするには、早すぎたかもしれない。)
いつかは、真実を話さねばならない時が来る。それはソルイエも覚悟していた。覚悟をしていたつもりだった。だが、こんなにも早く話す日がこようとは思っていなかった。
「……ソルイエ、全て話したのか?」
深いため息を漏らす主に、控えていた執事が友を案ずるように声をかけた。否、事実執事は王の身を案じていた。彼は王の唯一の腹心であり、幼馴染であり、ソルイエの数少ない信頼できる者だった。
「周囲の警戒はしたか?」
鋭い視線を向けてくる腹心にソルイエは首を縦に振る。
「ああ、話す前に念の為、周囲の探索と結界を張ったから、問題はないはずだ……それに、三歳児相手に重要な話をするとは思わないだろう、普通。」
「だよな。だけどまさか、最初に切り出してきたのが末の王子とは、予想外だな。」
執事である彼も、いつか王子や王女達がこの国の有様に気が付き、父王に問いただしに来ることは予想していた。だが、まさか一番手が末の王子だったとは、両者とも予想さえしていなかった。
彼らの予想では、数年内に第一王子が最初に来ると思っていたからだ。
ソルイエは彼らから問われれば、全てありのままの真実を話すことを決めていた。それが王であり父である彼の義務だからだ。その後の判断は彼らの自由だ。王族のままでいるか、それとも王族を返上し自由に生きるか……もしくは貴族側につくか。
(そういえば、ハーシェは他の王子達とどこかちがっていたな。)
一歳位までは、他の子供達と同様な成長だった。だが一歳を過ぎた頃から、まず泣くことがほとんどなくなった。
その代わり人の機微をよく観察するかのように目で追い、しっかり立てるようになったと思ったら着替えも食事も一人でするようになった。
幼児特有の我が儘も言うが、基本は聞き分けがいい子供だった。感情を爆発させて怒ったりもしない、大人のように感情をコントロールしていた。思い返すと子供特有の我が儘も、わざとらしく振舞えっているように感じるほど、ハーシェリクは早熟だった。
それに、自分と会う時のハーシェリクは、どこか遠慮というか恥ずかしがっているように見えた。もしかしたら嫌われているかもとも思ったが、メリアに確認すると自分に対してもそうだということだった。
遠慮というよりは、甘え慣れていないとでもいうのか……そんなハーシェリクが今日の早朝、初めてと言っても過言ではないくらい感情を露わにして現れ、ルゼリア伯爵を助けてほしいと懇願してきたのだ。
「だが王子はまだ三歳だろう? うまくごまかそうとは思わなかったのか?」
むしろ誤魔化すべきだった。そう執事の目は告げていた。それほど末の王子は幼すぎた。
「無理だよ、あんな目で見られたら。」
ソルイエも一瞬、どう誤魔化そうかと考えだ。末の王子である彼はまだ幼すぎる。うまく真実を言わずに丸め込め、話を先延ばしにしようと思ったのだ。
だが彼の涙を溜めた真っ直ぐな瞳を見たら、下手な誤魔化しは通じないと悟った。それに操り人形の王と化している自分では、伯爵を助けることはできないという残酷な事実を話さねば、彼は諦めきれなかっただろう。
「今日の予定は?」
「……朝食後、バルバッセ大臣との面会。伯爵のことについてだ。」
「わかった。」
再度ソルイエは深いため息を漏らす。この王城を支配しているあの男は、手を打つのが早い。こちらに時間を与えず全てを終わらせようとするつもりなのだろう。
否、こうなるように既に仕組まれていたのだ。ヤツはそういう男なのだ。
(どうにもできなかったか……)
王になってから何度も感じた無力感に、ソルイエは襲われる。夜通し考えても、伯爵を逃がす案は思い浮かばなかった。
それほどまでにバルバッセは、ルゼリア伯爵を嵌める為に周到な準備をしていた。大臣を本気にさせるほど、ルゼリア伯爵は彼の致命的なことを掴んでしまったのかもしれない。
確実にルゼリア伯爵を始末するつもりだ。そしてその片棒を王である自分に担がせるつもりなのだ。
「ソルイエ、おまえが望むなら俺が伯爵を……」
「だめだ。」
幼馴染の言葉を王が遮った。それは王には珍しく厳しい口調だった。
「だが……」
「それをしたら、今度は君があいつの餌食になる。この業を背負うのは私だけでいい。」
さらに言いつのろうとする幼馴染の言葉を、王は首を横に振って押しとどめる。
きっとこの幼馴染なら伯爵を逃がすことは可能だろう。伯爵を牢屋から脱走させ、王都から遠く離れた彼の実家に匿うこともできる。だがそれをすれば、次は彼や彼の家族が次の標的となる。
すでに彼の実家である侯爵家は、バルバッセの力により王都から追われた。だがまだ命があるだけマシなのだ。バルバッセに反感を買った一部の有力貴族は、事故死や変死という不自然な死、事業の傾きにより身分の維持が難しくなるということもあった。
どれも表向きは、バルバッセが関与した形跡ない。どうみても不自然なのに、誰も異議を唱えない。それほどこの国は大臣に支配されている。
王である彼にできるのは、そんな大臣や大臣一派が調子に乗りすぎないよう手綱を握るだけだ。だがそれも半分以上は成していない。
ソルイエは、自分の無力な手に視線を落とす。すでに己の手は、直接手を下さずとも血塗れなのだ。
娘を失い、大臣と対面した時悟った。悟らざるをえなかった。この獣から家族を守れるのは、王である自分しかいないと。
「……軽蔑してくれていいよ、ルーク。」
ソルイエは、久々に幼馴染の名前を呼んだ。彼とは赤ん坊の頃からの付き合いだ。彼らは同じ乳母の元、同じように育てられたのだ。
弱々しく呼ばれた幼馴染は、苦笑を漏らす。
「地の底に落ちる時はお供するよ、ソルイエ。」
その答えは、彼が王の筆頭執事だからではない。ソルイエの友だからだ。
懐かしい風景が広がっていた。
ハーシェリク……否、早川涼子はこれが夢だとわかった。
重力がないみたいに体がふわふわしていて、見る景色は昔のテレビのように白黒で色がない。夢は本来人間が記憶を整理するために見るもので色はついてないものだ、とあるコラムで読んだ覚えがある。色がついているのは思い込みなのだ。
懐かしい風景は、実家だった。
築二十五年のこの家は、自分が小学生の時に引っ越してきた。三姉妹の末の妹が生まれて間もない頃、母親の代わりに真ん中の妹の面倒を見て、引越しの準備を父親の頑張ったものだ。
あの頃はピカピカの新築だった綺麗な実家は、二十五年もたつと古ぼったく見えたが自分にとっては大切な家だった。
薄暗くなった空の下、玄関には通夜の玄関飾りと『早川家』と書かれた立て看板があり、黒い喪服を着た人たちが入れ替わり立ち代り出入りしていた。
(お葬式……通夜?)
涼子は、惹きつけられるようにふらふらと実家に入る。途中喪服を着た顔だけはなんとなく覚えている親戚とすれ違ったが、誰も自分の姿を見えていないのか引きとめられることはなかった。
玄関から入ってすぐのリビングでは、姪がソファに座っていた。目元が真っ赤に腫れていて、ハンカチを握りしめている。その隣では、真ん中の妹の旦那が娘を心配そうに見守っていた。反抗期の真只中の姪が、大人しく父親の傍にいるのは珍しいと涼子は思う。
リビングをすぎたところの奥は日本間になっていて、昔は祖母の部屋だった。一等日当たりのいい部屋は、祖母が痴呆で手におえなくなるまで寝起きしていた場所だ。喪服を着た人々はその部屋から行き来しているようだった。
日本間を覗くと涼子は納得した。
(ああ、そういうことだったのか。)
その部屋は線香の香りがたちこめ、喪服をきた家族と会社の上司達、多く花や供え物、自分の写真がはまった遺影、そして布団の上で微動しない自分がいた。
(私の、通夜だったのか。)
夢にしてはとてもリアルだった。というか夢は記憶の整理だというのに、これは妄想なのか。
それに死んでいる自分を見下ろすのは、とても変な気分になった。
とりあえず交通事故にあったというのに、スプラッタになってなくて涼子はほっとする。
事故で死んだ遺体で損傷が激しいものは、包帯でミイラのように巻かれるかすでに棺にいれられると聞いたことがあった。噂程度のことなので本当かどうかは知らないが。
「この度はお悔みを申し上げます。」
「いえ、こちらこそお時間を頂きありがとうございました。」
直属の上司の言葉に、母親が対応をした。父親は無表情で、ぼうと遺影を眺めているだけだった。妹達も動けない父親に代わり、親族や来訪してくださった方に挨拶をしている。
「娘は写真を撮るのが嫌いで……最近撮った写真がなくて困りましたが、社員旅行の写真を頂いて大変助かりました。」
(だって嫌なんだよ、写真。)
昔から自分の顔が嫌いではなかったが、あまり好きでもなかった。小学校からブスと言われていじめられていたし、並んで撮ると自分の顔が他の女子より大きく見えるのだ。だからプリクラがブームになった時も、自分は誘われようが奢ると言われようが断固断ったものだ。
(最近は顎をひくと二重顎だったしなぁ……)
社員旅行の写真は、集合写真を強制的に撮られたのだ。だからだろう、遺影の涼子はちょっと不機嫌そうに見える。
「早川さんには、我が社も大変助けられました。我が社が一番苦しい時も、彼女の一生懸命さと笑顔とはつらつとした声に助けられました。」
「ええ、困った時は本社の早川さんへ相談する、というのが支店間でのお約束でしたよ。」
そう答えたのは、今売り上げが群を抜いている地域のエリア長だった。忙しい身であろう彼が、本社勤務とはいえ事務員の自分の葬式に来てくれるとは思わなかった。
「早川さんは優秀で面倒見もよく、それでいて厳しいところもありましたが、決して困った人間を見捨てたりはしませんでした。今日もお通夜に参加したいと希望者が大勢いましたが、私が代表してお邪魔させて頂きました。」
(だから毎日のように私宛の電話がきたのか……)
思い出される前世の職場。通常業務とは別に、自分宛に名指しでよく電話がかかってきていた。
「どう考えても私と全く関係ないじゃん!」とツッコミを入れたくなるような、関係のない別部署の事まで、支店員どころか支店長やエリア長クラスが聞きにかけてくるのだ。
「やあ、涼ちゃん元気してるー? ところで聞きたいことがあるんだけどー……」
とりあえず涼ちゃん呼びやめろ、とはさすがに役職がある人には言えなかった。今思えばセクハラであるが、当時はもうそんなことを考えるのさえどうでもよくなるほど忙しかったのだ。
それに聞かれると自分でも気になってしまい、他部署の事でもなんでも調べて報告や助言をしていた。おかげで全然関係ない部署の仕事まである程度覚えてしまい、さらに当てにされ社内電話が鳴りやまないという連鎖に陥っていたりもした。
(まあ、頼られることは嫌じゃなかったしいいけどさ。)
本社だと自分が時々どんな仕事をしているか、実感が持てず解らなくなる時がある。支店のようにお客様と触れ合うこともなく、また売上が伸びるとか目に見えての実感がない。
だがそんな時、頼られてお礼を言われると「ああ、自分が役に立っている」という充実感に満たされる。
わからない事は知りたい、誰かに必要とされたい。上司やエリア長は好意的にとってくれているが、今思えば自己満足でしかない。
(自分がちっちゃいヤツだし、上司達は過大評価だし、すっごく恥ずかしいんだけど……)
誰にも見えないのをいいことにその場で頭を抱える涼子だったが、母はその言葉に嬉しそうに瞳を細める。
「そうですか……」
そう答える母は大分疲れているようで、頬がこけているような気がした。十年分くらい一気に年取ったように見え、小さく見える。
「涼子は、仕事に関して家ではなにも喋りませんでしたから……みなさんのお役に立てていたようで安心しました。」
母はそう言うと涼子の遺影を眺める。
「あの子は長女で、私もなにかと頼っていました。そのせいで婚期が遅れたのかもと思っていましたが、皆さんのお話を聞くと、とても充実した毎日を送っていたようですね。」
涼子は思い出す。
前世で働いた日々は決して楽ではなかった。嫌なこともあったし、辞めてやると退職届を書こうとしたこともあった。それでも仕事を続けられたのは、きっと家族のおかげであり、会社の上司や同僚たちのおかげであったにちがいない。
上司や母親の言葉が、涼子の人生の答えだった。
一生懸命働き、大好きな趣味に没頭し、大切な家族とともに過ごした時間。それは事故で一瞬でなくなってしまったけど、平凡な毎日をがんばって生きたのだと、そう思うことが出来た。
他人から見たら、決して素晴らしい人生だとは言えないだろう。だけど涼子には最高の人生だった。
目が覚めると見慣れない天井があった。
夢のせいで記憶が混乱したが、父との話の後どうやら寝てしまったらしいとハーシェリクは結論に達する。
ここは父の部屋だろうベッドは最上級のもので、分厚いカーテンは日の光を遮っていた。
「間違っている……」
ハーシェリクは呟き起き上がる。そして前世より大分小さくなってしまった両手を見て、握り力を込める。
都合のいい夢かもしれない。だが涼子の人生は、努力が報われた平凡だが最高のものだった。
だがこの世界はどうだ。
正しい事をしようとした者が報われず、欺瞞に長けた人間が一方的に弱い人間たちを嘲ける。
「こんな世界、絶対だめだ。」
この世界に転生して無為に過ごした二年で、一体どれくらいの人間が涙を流したのだろう。命を落としたのだろう。
自分がすごく腹立たしく、また無力で泣きたくなった。




