番外編 転生王子の影牙の執事
書籍版『ハーシェリク 転生王子と憂いの大国』ように書いた番外編。
クロさんの裏話ほか伏線いろいろ
大陸の北方に位置する大国グレイシス王国。周辺諸国からは忍びやかに『憂いの大国』と呼ばれる大国の頂点である王の住まう城、その廊下を一人の青年が音もなく移動していた。
時は深夜を回っていたが、巡回する騎士や兵士の数は、普段と比べ多い。
それは王国の第七王子ハーシェリクが誘拐され、そして無事帰還したことが一因だった。
一国の王子、それも王の寵愛を一身に受ける王子が誘拐された。
王子捜索のため、王都にいる騎士と兵士、さらには警邏がすべて動員された。しかし誘拐されたはずの当の王子は、そんな騒ぎをお構いなしに侍女とともに帰還したのだった。
捜索に駆り出されていた者は、王子の捜索から犯人確保と王城の警備強化へと移された。
そのため平時の倍の人員が警備に割り当てられた王城。だがその青年……ハーシェリクにはクロと呼ばれている青年には、警備の有無など関係なかったが。
クロは警備の眼を掻い潜り、王城の廊下を進む。頭に思い浮かべているは、先ほどまで会っていた幼き王子だ。
『……クロが筆頭執事になってくれればいいのに』
そうハーシェリクは呟いた。その光景を思い出す度に、己の口角が持ち上がることを、クロは自覚をしていない。
だがその表情はすぐ陰りを見せる。
かの王子がこれから行おうとしていることは、クロから見れば無謀でしかなかった。
あの王子は危険を顧みず、そして己を守る術も持たず、敵地へと乗り込む気だ。行かなければ苦しむ人がいると知り、助けたいと願って。
己が指摘しなくてもそれが無謀なことだと、ハーシェリクには自覚があるのだとクロは推測する。だがそれでも、ハーシェリクは敵地へ向かうことを選んだ。己の身の安全よりも、民の命をとった。
そのことにクロはまるで己のことのように喜びを覚えつつも、己の状態を歯がゆく思った。
ハーシェリクにクロは意見することも、止めることも、また助け守ることもできる立場ではない。そのことにクロは強く拳を握る。
ふと廊下の前方に明かりが見えた。それが巡回の兵士だろうとわかったクロは、すぐ傍の扉の中へと身体を滑り込ませる。もちろん中には誰もいないことを確認して。
その部屋は誰か高官の個人の執務室なのだろう。一室の中央には幅の広い机が鎮座し、背後には大きな窓、そして部屋を囲うように本棚が配置されている。案の定室内には人一人おらず、クロは本棚の陰に隠れ息を殺した。
(まさか俺が、私情に走るとは……)
兵士が通り過ぎるのを待ちながら、クロは思い耽る。
何事にも冷静に冷徹に、そして感情を消し去り任務を全うすることができる、とクロは自負していた。だがどうしても、あの幼い王子のこととなると、その自負が崩れた。
ふとすぐ傍で気配を感じる。
「……誰だ?」
クロは室内へと視線を巡らし、そして部屋の闇の色濃い場所一点へと止まる。
「さすがは『影の牙』……と言いたいところだが、こんな簡単に接近を許すとは、力を見誤ったか?」
闇から声が響き、その声とともに闇が人の形を作る。クロはその人物を認識したとき、息を飲んだ。
「おまえは……」
「その様子だと、俺のことは知っているようだな」
その人物が苦笑を漏らした気配を感じ取り、クロは訝しむ。現れた人物は、本来ならこの場にいるのはおかしい存在だった。
相対する人物が窓から差し込む月光に照らされ、その姿を露わにする。
黒に近い濃い緑色……鉄色の髪に、不敵さを窺わせる同色の瞳、目つきの鋭い執事服を着た壮年の男だった。
(ルーク・フェーヴル……国王の側近がなぜ?)
クロはすぐにその人物に思い至る。
グレイシス王国の侯爵であるフェーヴル侯爵家の次男。第二十三代国王ソルイエの乳兄弟であり、幼馴染であり、そして腹心である筆頭執事。
フェーヴル侯爵家は代々有能な役人や官吏を輩出し、歴代の国王から重用されていた。しかし先王亡きあと、幼くして即位したソルイエの後見となり大臣となったバルバッセによって、地方へと追いやられた。
今はルークのみ、国王の側近として王都に残っていた。彼は一族同様類に漏れず有能であり、国王の片腕として長年主を支えてきた人物で、噂では裏の世界にも通じているかのように情報通だと聞いたことがあったが、事実は定かではない。
そんなルークは、身構えるクロに話しかける。
「俺もおまえのことはそれなりに調べさせてもらった。『影の牙』と呼ばれ裏ギルドに所属、性別は男、本名不明、年齢不明、家族不明、出身地不明……調べてもまったく出てこないことに、驚いたよ」
驚いたと言いつつ、ルークの表情に驚きはなかった。だが興味深そうにクロを見据える。
「情報収集、窃盗、暗殺……難易度の高い依頼も完璧にこなすが、主は持たない、一人を好む群れない日雇いの密偵、で合っているか?」
「……何を言いたい」
回りくどい言葉にクロは苛立ちを覚える。今は目の前の男の会話に付き合っていられる時間はないのだ。だがそんなクロの苛立ちを見透かしたかのように、ルークはにやりと笑うと、口を開く。
「おまえは、元飼い犬だろう?」
問いかけつつ、だが確信を持っているルークの言葉に、クロは一瞬息が止まった。それがルークの言葉を肯定したのも同義だった。しかしそれを否定するために、クロは言葉を紡ごうとする。
「何、を……」
「動揺するか。まだ若いな」
クロの擦れた言葉を、ルークは苦笑をもって受け止め、そして肩を竦めつつ、言葉を続けた。
「お前の持つ実力や能力。才能や経験という言葉だけで片づけられると思ったか?」
ルークはクロの実力や能力が、自力で身に着けただけものではない、と見抜いていた。
密偵とはどのような能力が必要なのか。それはいかにして、不審感を持たれずに周りに溶け込むかということだ。もちろん隠密能力や戦闘能力も必要だが、まず優先されるべきは、情報収集能力である。
それは才能も経験も必要だろう。だが、クロの持つ能力は、独自で手に入れたというには洗練されすぎていた。
「同じ匂いの人間には俺も鼻が利く。それに……」
ルークが不敵に笑う。窓から零れる月光が、ルークの横顔を照らし、怪しく見せた。
「おまえは人に仕え尽くすことに、喜びを見出す……そう躾けられた人間だろう?」
その言葉にクロは思考が停止する。ルークの言う通り、自分がそう躾けられた自覚があったためだ……否、あの頃は、躾けられているという自覚さえなかった、とクロは己を顧みる。
人形のように固まったクロに、ルークは言葉を続ける。
「だが、同時に主の器を見る人間だ。だから、ハーシェリク殿下に惹かれ、魅入られた」
クロの肩が揺れ、ルークはその反応を見逃さなかった。
「今も、どうやって彼の傍にいようか、考えているのだろう?」
「……黙れ」
「なぜ?」
ルークはからかうような声音で言葉を続けた。
「図星を指されて動揺するなんて、まだまだ半人前だな。ハーシェリク殿下が知ったらどう思うか……」
ハーシェリクの名が出た瞬間、クロは我を忘れた。
彼にだけは、己の過去を知られたくなかった。彼に失望の眼差しを向けられると考えただけで、耐えることはできなかった。
クロは一瞬でルークとの間合いを詰める。いつの間にか右手に握られたナイフを、ルークの顔面に向かって突き出したが、ルークはその突きを余裕で躱した。余裕とはいっても我を失ったクロの冷静さの欠ける一撃だったため、予測できたから躱せたに過ぎない。平時のクロは、ルークよりも戦闘能力は高い。
攻撃を躱されたクロは流れるように重心を低くし、蹴りをルークの胴に向かって放つ。しかしそれも読んでいたルークは、片手でクロの足を受け止めた。
ギリ、と音が聞こえそうなほどクロは奥歯を噛みしめ、ルークを見上げた。クロの鋭い視線を受けたルークは息一つ乱さず、クロの視線を冷静に受け止めた。
「おい、乱れているぞ。その程度で動揺するなんて、見込み違いだったか?」
「……見込み、違い?」
ルークの言葉にクロの身体から力が抜ける。今更ながら、自分が試されていたのだと理解し、冷静さを取り戻した。受け止めたクロの足を解放しつつ、ルークは主題に入る。
「『影の牙』、ハーシェリク殿下の筆頭執事にならないか」
クロは息を飲む。それはまさしく、己が今求めていたものだった。
だがそれを手に入れるには、問題がいくつもあった。
「……だが、俺は……」
その先を言葉にすることができず、クロは首を微かに横に振り、視線を伏せる。
王族に仕えるには、身元がしっかりしていなければならない。最低でも貴族や裕福な商家の子息である必要がある。だがクロは裏ギルドに所属する密偵であり、故郷を捨て、王国に居ついた根無し草。さらにいえば、仕事だったとはいえ、数多の罪を犯してきた人間だ。
そんな人間が、ハーシェリクの傍にいてもいいのかと、その地位を望みつつも、己に疑問を持っていた。
「地位は俺が用意する。前科も気にする必要はない。なんなら試用期間を設けてもいい」
口を噤み自問自答するクロに、ルークが言う。
ルークはクロがハーシェリクと接触してから、すぐに彼を調べあげていた。彼自身の情報はもちろん、彼が請け負った仕事も、独自の情報網でできるかぎり調べた。
クロは情報を得るとき、相手が情報を漏らしたことさえ気づかせない。また情報提供者が危険に陥ることもない。暗殺の依頼を受けても、己が納得する依頼でなければ受けないし、標的以外の無意味な殺生はしない。子どもの暗殺依頼は、いくら金を積まれようと絶対に引き受けようとはせず、その依頼はなぜか数日経つと取り下げられた。
ルークはクロのありとあらゆる情報を総括したうえで、彼しかハーシェリクの筆頭執事になりえないと確信した。
折を見てソルイエに進言する予定だったが、今回のことでその予定が早まったに過ぎない。
「なにが、望みだ?」
クロが問う。
ルークがハーシェリクを出汁に、己を利用するのではと考えたからだ。
しかしルークから出た言葉は、クロの考えを一蹴する。
「求めることはただ一つ。ハーシェリク殿下の傍にいることだ」
クロは顔を上げる。ルークの鉄色の瞳が、真っ直ぐとクロを射貫いていた。
「殿下の傍に控え、助け、守り、支える。それ以外は好きにすればいい」
「……俺が、ハーシェに害するとは考えないのか」
クロは睨み返すように言う。そんな彼にルークは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「愛称で呼び合うほど気を許し認めている相手を、お前は害せるのか?」
その言葉にクロは反論できなかった。
「それで、答えは?」
ルークの問いにクロは一度瞳を閉じる。瞼の裏に映るのは、ソファに座り暖炉の炎を静かに見つめる王子の姿だった。
答えを迷う必要もない。
「言うまでもない」
クロの言葉に、ルークは満足そうに頷くと彼に背中を向ける。
「なら、すぐに準備に入る。まずは裏ギルドを抜けてこい。話はそれからだ。すべてを片付けてから俺の屋敷に来い。場所はわかるな」
クロはルークの言葉に頷くと闇夜に溶け、王城から姿を消した。
とある優良商店の裏口。その影は音もなくその店の裏口から侵入すると、人一人いない静まり返る店内を移動し、『従業員専用』と書かれたプレートのついた扉を潜る。その先の壁には中央にはシンプルなデザインのテーブルと二脚の椅子、そして壁には本棚があるだけの質素な部屋だった。
影は本棚の前に立つと本を手に取る、ではなく、いくつかの本の背表紙を押す。するとすぐ横の床が動き、地下への階段が現れた。
影はその階段を降る。その階段の終着点にも扉があり、その扉を開くと一人の女性が、影を出迎えた。
「あら『影の牙』、こんな時間にご用?」
仄かなランプの揺らめく明かりが、机に頬杖をついた女性を照らす。少年のように短く切りそろえられた暗い色の髪、耳だけでなく口にもピアスがつけられ、顎に添えられた手の指すべてには指輪が嵌められている。それらは単なる装飾品ではなく魔法具であり、裏ギルドの受付をする彼女は高位の魔法士でもあった。
「ギルドを抜ける」
首を傾げる彼女に、影……クロは簡潔に要件を伝える。
クロの短い答えに、彼女は目を丸くする。
「…………あら、本当に?」
つい問い返してしまった彼女だったが、クロの強い意志を秘めた赤い瞳を見て、それが事実だと納得すると、ゆっくりと重い腰を上げる。
「わかったわ。ちょっと待ってなさいな」
そう言って彼女は奥の扉へと消えていった。クロは待つ間、周りを見回した。
ここはグレイシス王国裏ギルドの本拠であり、ギルドの長がいる隠れ家だった。普段、仕事を請け負う場所は別の支所だが、そちらには滅多に長は現れない。
裏ギルドを抜けるには手順を踏む必要があったが、それでは時間がかかってしまうため、クロは直接この場に訪れたのだった。
ここに訪れた回数は少ない。裏ギルドに入る際に連れられてきたときと、他重要な依頼を直接長から伝えられたときのみで、その回数は両手の指で事足りる。当然長に会ったのも同数だった。そのとき、クロが長について感じたことは得体の知れないということだけだった。
「ボスがお呼びよ」
女に呼ばれ、クロは長の部屋に踏み入れる。
案内された部屋で、一人の男がクロを出迎えた。
これといって特徴のない、平凡な顔つきの男だった。室内に灯された明かりが男を照らし出す。グレイシス王国でよく見かける薄茶色の髪、同色の瞳、穏やかな微笑を湛えた男は意識しなければ翌日には記憶から消えてしまいそうな、希薄な印象を与える。
彼の目の前の机には、書類がところせましと置かれ、インク壺には蓋はされず、万年筆が縁に置かれている。あまりにも自然な仕事の部屋の風景だった。
だが裏世界に身を置いたクロにとって、あえて相手の記憶に残ることを忌避し、穏やかな印象を与える彼は、違和感の塊でしかない。
そんな彼……裏ギルドの長が口を開いた。
「やあ、『影の牙』君……いや、『拾参番』君と呼んだほうがいいかい?」
その言葉にクロは眉を顰めそうになるのを堪える。長が呼んだ『名』は、かつて故郷で呼ばれていた呼称だった。ギルドに初めて訪れたとき、名を問われうっかりこぼしてしまった。
だが後にも先にもそのたった一度きりのことだ。
だから誰も覚えていないと思ったのだが、目の前の男は穏やかな微笑みを浮かべたまま、クロをかつての呼称で呼んだ。
クロは不愉快に感じたがあえて反応せず、長を真っ直ぐと見据える。
その様子に、長は肩を竦めてみせるだけだった。
「愛想がないね、君」
まだここに来たばかりの頃はそれなりに可愛かった、と言う彼にクロは要件を切り出す。彼の意味のないお喋りに付き合う気はクロにはまったくなかった。
「ギルドを抜ける。いくらだ?」
「愛想がないうえせっかちとか……そんなんじゃ新しい主に嫌われるよ」
呆れた物言いとその内容に、クロは堪えきれず苦虫を噛みつぶしたように眉を顰める。
その様子に長は珍しいものを見たと感心した。
クロはいつも他人に無関心だからだ。決して群れず、一人で淡々と仕事をこなす。自分の周りに見えない壁を作り、他人を拒絶していた。
そんな彼が反応を隠せずにいるほどの者に出会えたということに、そしてその人物に興味を持つ。
だがそんな視線を受けて、クロは再度用件を切り出した。
「いくらだ」
有無さえ言わさないクロの鋭い眼光が長を貫く。その眼光を受け、長は小さくため息を漏らすと、金額を提示することにした。
「金貨十枚だ」
「……その程度、か?」
予想より安価な金額を提示され、クロは疑いを向ける。金貨十枚といえば、一般家庭の約三年分の収入だ。だがクロほどの裏ギルドでの実力者となれば、それなりの危険な依頼を一回こなせばおつりがくる。
グレイシス王国の裏ギルドは、実力と金がすべてのギルドだ。表にある傭兵ギルドのような義理や人情など一切なく、すべてが実力と金で割り切られる。ある意味、どの機関よりも秩序と統制がとられている。とはいってもそうなったのは、クロの目の前の男が長になってからで、それまでの裏ギルドは、無法地帯であったそうだが。
そんな金ですべてを解決する裏ギルドを抜けるための足抜け費用は、個人の能力や裏ギルドへの貢献によって金額が変わる。しかし、それにしても安すぎだとクロは感じた。
「いや、本来なら最低十倍は必要だよ」
「ならなぜだ?」
「それを知る意味はあるのかい?」
穏やかな微笑みのまま、訝しんだクロに長は逆に問い返す。視線が交差し、重い沈黙が支配した。
そんな二人の様子を、受付の女が部屋の入口の扉に背を預け、欠伸を噛み殺しながら眺めている。この人を食ったような物言いは、長の悪い癖だと女は常日頃思っていた。温和な表情で隠されてはいるが、さすが裏ギルドを取りまとめる長だけあって、性格は一癖も二癖どころか、十癖もある。
「まあ『影の牙』にはずいぶんと働いてもらったからね。いいさ、教えてあげよう」
さも恩着せがましく長は言葉を紡ぐ。
「まず、君はかなりギルドに貢献してもらった。それこそ君を紹介してもらいたいっていう顧客は、多少大目に仲介手数料を請求しても払ってくれたからね」
その言葉に女は内心同意する。
『影の牙』との仲介を依頼する者は多く、またそう言った者は裕福な人物が多い。その裕福さをどうやって得ているかは与り知らぬが。
また裏ギルドの役目は仲介だけであって、クロが依頼を断ったとしても、仲介手数料を返すことはない。クロは依頼を選ぶが依頼の成功は確実なため、仲介を取り次ぐ者が後を絶たない。彼に依頼すれば達成確実、という評判が裏世界で知れ渡っており、彼を指名したい顧客はごまんといる。つまり仲介手数料だけで、裏ギルドの財政は潤うのだ。
「次に君は、フェーヴル侯爵家の『あの』次男坊と知り合いだろう?」
「フェーヴル侯爵家?」
クロの脳裏に人の悪い笑みを浮かべたルークが映った。確かに国王の側近であるルークの名を、裏ギルドの長である彼が知っていることには納得できた。しかし『あの』とつくことに違和感を覚える。
「代々フェーヴル侯爵家は、表向き有能な臣下を輩出する古き名家だが、裏は王国の番犬だ。特に『あの』次男坊はそちらの方面では飛び切り優秀でね」
世間話をするかのような気軽さで、長はルークの噂を肯定する。つまりフェーヴル侯爵家は貴族でありながら、王国の裏の諜報機関ということだった。だとすれば、クロは己の前に現れたルークの存在について、『同じ匂い』と言ったことにも納得がいった。
そんなクロに長は言葉を続ける。
「現国王はフェーヴル侯爵家を遠ざけているらしいが、あの優秀な次男坊が国王の側にいるなら、フェーヴル家は国王を完全に見限っていないということだ。ギルドとしては君たった一人のことで、あの次男坊ともフェーヴル侯爵家とも事を構えたくない」
それほどまでにフェーヴル侯爵家の存在は裏の世界では影響力がある、と長は言外に言っていた。
しかしクロは別の懸念を浮かべる。
国内有数の侯爵家であり、裏の力を持つフェーヴル侯爵家を地方に追いやれるほど、あの王子の敵であるバルバッセ大臣の力はどれほどのものかと。
単なる権力を笠に着た奸臣ではない、彼自身も裏に精通しているということだ。
眉間に皺を作るクロ。その表情に長は自分が伝えたかったことが伝わったと思い、内心ほくそ笑む。しかし表情は穏やかなまま、言葉を続けた。
「つまり、君一人とギルドの今後を天秤にかけた結果、君を気持ちよく送り出すことのほうがギルドにとって有意義ということだよ。ま、もともとうちのギルドは何事も金で解決する。言い値通り払ってくれれば、ギルドは君が抜けることを止めはしない」
そして長はすっと目を細める。それだけで、室内の温度が何度か下がった錯覚をクロは覚えた。
「もちろん、君が約定を守っている限りは、だけどね?」
裏ギルドを抜ける際の約定。それは裏ギルドで知ったすべての情報を漏らさないことだ。隠された裏ギルドの所在はもちろん、顧客情報、仕事内容もだ。ただ仕事をして得た伝手に関しては、その限りではない。
もしその情報を漏らせば、裏ギルドの長直々に動くこととなる。そして情報を流出した人物は、殺してくれと懇願するほどの目に遭ったあと、この世から存在自体を抹消されるのだ。こればかりは、いくら金を積もうと、事情があろうと覆ることはない。
「わかっている」
クロは頷き、用意してあった金貨の麻袋を懐から取り出す。そしてその中から、金貨を十枚抜くと、机の上に置いた。
その枚数を確認した長は頷く。
「はい、確かに。これで君は自由だ。だけどいつでも戻ってきてくれていいからね?」
その言葉を無視しクロは身を翻す。受付の女が彼に行く手を譲り見送った。
二人しかいなくなった室内で、まず口を開いたのは女だった。
「ボス、まだ黙っていること、あるでしょ?」
女の言葉に長は口元をほころばせる。
「だけどあれは言わない契約だからね」
数年前、『影の牙』と呼ばれるようになる少年を裏ギルドに連れてきたとある人物がいた。
それは病気にかかった我が子を助けるために、裏ギルドに入った人物だった。
裏ギルドの依頼は密偵や暗殺業だけではない。表には出せないような危険な依頼も裏ギルドの管轄だった。落盤や有毒ガスの発生のため閉鎖された鉱山への希少鉱石の採取依頼や、国から保護対象になっている森奥に住む希少価値の高い動物の捕縛依頼、禁止薬物の他国への密輸など、リスクが高い分報酬も高額な依頼。
そんな依頼を我が子の命のためにと身を削っていた男。結局金が間に合わず息子は死に、男は使い道のなくなった金でギルドの脱退費用を支払い、表の世界へと帰っていった。
その男がギルドを抜けるとき、己の費用とは別に、金貨を三十枚置いていった。
「アレはこの世界に身を置いて終える程度の人間ではない。もし抜けるときが来たら、これを足しにしてくれ」
そう有無を言わさず金貨を押し付けた男。クロが死んだ我が子と年が近かったからだろう、とても同情的だった。
しかしその男の言葉とは裏腹に、クロは人とかかわらず、もちろん誰にも興味を覚えず、淡々と依頼だけをこなす毎日を送っていた。否、あらゆることを拒否していたというのが正しい。
だがそんなクロが、表情に出すほど変わった。きっと本人は無自覚だろう、と長は予想する。
「……彼を変えたのはいったいどんな人物だろう?」
ギルドを抜けた青年を動揺させるほどの人物に、滅多に他人に興味を持たないはずの長は興味を覚える。
そんな己の上司を眺めていた女は、肩を一度竦めると部屋を後にしたのだった。
裏ギルドを抜けたあと、クロは闇夜に紛れルークの屋敷……王都にあるフェーヴル侯爵家の別邸を訪れていた。
屋敷の中に使用人は誰もおらず、飾られた石像には埃が被っていることから、長い間手入れされていないということが安易に想像ついた。
音もなく屋敷に侵入したクロを、遅いと文句を言いつつもルークは出迎え、一室へと案内する。
途中人の気配を感じ視線を動かすが、その様子に気がついたルークが問題ないというように首を横に振ったため、クロは気にすることをやめる。フェーヴル侯爵家の者だろうと予想できたからだ。
まず案内された部屋で服の寸法を問われる。
「明日……いや今日だが、王城へ上がるんだ。服装はしっかりしてもらう」
クロが口頭で伝えると、扉の外で人の気配が消える。数時間後には、上等な布地であつらえた、寸法も着心地も申し分ない執事服が数着と、靴や装飾品一式も用意されていた。
さらにルークは机の上に様々な書類や書物を用意し、クロを着席するよう促す。
「まずは執事の業務を覚えてもらう。それから礼儀作法だが……」
「問題ない。この国の風習は、すでに会得している」
「そうか、次に王家や有力貴族の家系図、関係性、裏の繋がり……」
ルークの言葉に頷き、クロはすべてを脳に叩きこむ。密偵業に必要なのは腕だけではなく、記憶力も必要だ。すべての必要な情報を記憶することは必須事項である。
ルークの言葉、書類や書物の内容を、水を飲むがごとく吸収していく。すべてを終えたときは、窓の外は薄く明るくなっていた。
「さて最後だ」
「これは?」
ルークが差し出したものを見て、クロの眉間に皺が寄る。
絵本だったからだ。
表紙には王冠を被った人物、その脇に控える人物、剣をもった騎士風の人物、そして杖を持ったローブを着た魔法士風の人物だ。
「この国の子どもが読む絵本だ」
見たままのことをルークが言ったため、クロは顔を顰める。だがそんな彼の心情を無視し、言葉を続ける。
「しっかり読んでおくように。では俺はソルイエとハーシェリク殿下の朝食の準備に行く。殿下と会うのは午後からだ。それまでに準備しておけ」
そう言って部屋から出ていくルークを見送り、クロは閉められた扉と絵本を交互に見たあと、椅子に腰かけ絵本を開く。
内容は幼子が読む、ひどく単純なものだった。
王冠を被った王様が、執事や騎士、魔法士と共に悪党や魔物を成敗していくという物語。時には危険にさらされようとも、四人はいつも協力し助け合い、打ち勝っていく。
その中で、王様に三人は誓いの言葉を紡いでいた。
『我が身は御身の敵を切り裂く剣であり、御身を凶刃から守る盾であり、御身を支える杖』
頭を垂れる三人は、絵だというのにどこか誇らしげに見えた。
「主従の誓約、か……」
なぜかその言葉は、クロの胸に重石をつけたように沈み残った。だがクロは頭を横に振る。
「たかが言葉だ」
己に必要なのは、王子を守るために必要なのは、敵となる奴らの情報だ。
絵本を机の隅に置き、クロは一度目を通した書類を手に持つ。約束の午後までにはまだ時間がある。なら再度確認する時間も十分あった。
思い浮かべるはこれから主になる王子……ハーシェリクの顔。
きっと己が現れたことに驚きつつ喜んでもらえるだろうと確信し、クロは口角を持ち上げ微かな笑みを浮かべたが、やはり自覚はしていなかった。
のちに英雄と呼ばれるグレイシス王国の第七王子ハーシェリク。
その傍らには、いつも執事シュヴァルツ・ツヴァイクが控えていた。
彼の公式な記録では、ツヴァイク子爵家の子息となっているが、彼の生い立ちについて知る者は皆無。
彼はハーシェリクの懐刀として、その生涯を主に捧げた。
主の影のように存在し、時には主の敵に番犬のように牙を剝く彼を、人々は『影牙の執事』と呼んだ。
転生王子の影牙の執事 完
ということでクロさんの番外編でした。
この話が『転生王子と陽国の神子姫』に繋がってきます。
拾三番とか飼い犬とか、この時からいろいろ仕込んでましたとも!(ドヤァ
これを読んだあとに、陽国の神子姫を読むと、少し新鮮に再読できる!……かもしれません
これ以外にもハーシェがかかわる裏ギルドのネタとかもあるんですが、それはまたの機会に公開できたらなぁと思ってます。
ではでは!
2024/11/24 楠 のびる




