第67話 夜道
夜にもなると、もう結構真っ暗だ。だが、この辺りは割とコンビニだのファミレスだのがあるのでそこまで真っ暗ってわけじゃない。割と光っているほうだろう。何もない道に比べれば。
そんな夜道を、俺は美羽と一緒に歩いていた。さっきからお互い、無言が続く。
別に俺は気まずいわけじゃないけど……こいつには悪いことしちゃったかな。一人で歩きたかったはずだろうし、むしろ俺は邪魔なのかもしれない。だけど、さすがに夜道を女の子一人で歩かせるわけにもいかない。
隣を歩く美羽は、水色のワンピースに黒色のショートパンツに、ブラウンのブーツという格好だった。
さすがに夜の道をパジャマで歩くわけにはいかないから着替えたのだろう。
時折、美羽は俺の方をチラっと見てはぷいっと視線をそらす。やっぱ嫌われてるのかな。まあ、無理やりついてきてしまったのだから仕方がないか。
夜道を歩いていると、やはり辺りは基本的には静かだ。車も少ない。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、不意に、美羽がくいくいっと俺の服の袖を小さく引っ張ってきた。
「ん。どうした」
「あの……その……お願い、があるのですけど」
夜風がふき、美羽の綺麗な黒髪がなびく。
そのおかげか、さっきよりもまだハッキリと美羽の表情をとらえることが出来た。
上目遣いで、お風呂上がりのせいか知らないけど(あれ。でもお風呂からあがってそこそこ立つな)頬がほんのりと桜色に染まっている。
「お願い?」
「はい。手を……繋いでくれませんか?」
「ん。わかった」
ぎゅっ、と美羽の小さな手を握る。手を握ってみて気づいたことだが、ほんの少しだけ小さく手が震えていた。……ああ、なんだ。そういうことか。なんで急に外に出ようとしていたのかと思ったら、
「怖いのか」
「ち、違いますっ!」
「あーはいはい。無理すんな無理すんな。大方、自分の怖がりを直そうとして夜道を歩こうとしてたんだろ。夜にベランダに出て風に当たるのもその一環か」
「うぅ~……!」
図星だったのか、美羽がぷるぷると震えている。
「そういえば知ってるか」
「な、何を、ですか?」
「ここの近くの駅で昔、事故があってな」
「…………じこ?」
「ああ。一人の女性が電車にはねられて、バラバラの肉片になって飛び散ったらしいんだ。そんで、夜になると毎晩毎晩、回収されたはずの肉片がひとりでに現れてもぞもぞと動きだし、骨も内臓もむき出しの女の人が、足りない肉を集めるために夜道を歩く女性を手当たりしだい襲ってるという話でな……」
「い、いやっ! やだよぉ……っ」
「まあ、嘘なんだけどな」
適当に即席で、でっち上げたお話である。んなもんあるわけがない。
「ほ、ほんとう?」
さっきの即席嘘話があまりにも怖かったのか、普段は割と凛としている美羽が子供のような声できいてくる。普段とのギャップがすげぇな。
「本当だよ」
「じゃあ、なでなでして……?」
「はいはい」
怖がりの美羽に対して嘘とはいえそれっぽい話をしてしまった罪悪感から、言われた通りに美羽の頭をなでる。美羽は嬉しそうにしながら「えへへ」とまたしても子供のような声を出していたが、すぐに正気に戻ったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
そこで、開き直ったのか美羽は手を握るだけでは飽き足らず、何故か腕にしがみついてきた。
もう慣れたといっても過言ではない、むにゅむにゅと柔らかい駄肉の感触が腕から伝わってくる。こいつ、美紗よりは小さいけどそれでもまだちょっとは大きめな部類に入るんだよな。
「ひ、ひどいです……。怖いのに」
「いきなりこんな夜道に出るからだろ」
ていうか、一年前の合宿のような時のシチュエーションならまだしも、こんなただの普通の道路で怖がっているようじゃなぁ……。ていうかあの時、よくもまあ自販機のところまで一人で来れたもんだ。
「だって、だってぇ……」
半泣きである。
うん。まあ、そりゃ確かにもうそろそろ車が完全に走っていないし、周囲も静まり返っているし、こんなほぼ無音の状態だと怖くなる気持ちもわかるが……。ちょっといきなりハリきり過ぎなんじゃないですかね。
「じ、自分が怖がりだっことぐらいは自覚してます……でも、やっぱりそれを克服しなきゃって……」
「別にいいんじゃねーの。そんな無理して急いで怖がりを克服しなくても」
「で、でも……」
まあ、確かに自分の欠点を自覚して直そうとする美羽は頑張り屋さんだとは思うけど。
俺は小さくため息をつきながら、美羽の頭にぽんっ、と手を乗せた。
「克服なんて、ゆっくりでいいんだよ。それまでは俺が守ってやるから」
こんなコミュ障でよかったらな。
そう心の中で付け加える。
美羽は、ちょっと驚いたようなかおをしてから、また頬を赤らめていた。
「そんなこと言われたら……なおしたくなくなるじゃないですか……」
腕にしがみついた美羽が小声でぼそぼそ何か言っていたけど……よくきこえなかった。なんて言ってたんだろう?
でも、まあ今回は美羽も頑張ろうとしていることだし、今日のところは応援してやるか。
それから、俺たち二人は近所を適当に歩き回った。補導されるかと思ったけど、幸いにも誰にもすれ違わなかった。よく考えたらかなり危ないことしてるなこれ。
美羽は美羽でずっと「怖いよぅ……暗いよぅ……」とビクビクしていた。いきなり一人で夜道を出歩こうとするからだ。
そもそも、一年前の夏の時だってただの風の音にすらビビってたやつなのだから。お化け屋敷なんかに行ったら絶対にもたないだろうな。
俺は、家を出る前のようなノリで色々と会話を試みようとした。美羽もそれに少しずつだけどのってきて、マンションの下に来るころにはもう割と普通に会話が出来る程度には落ち着いていた。まだ一人になった瞬間は危なそうだけど。
「ありがとうございました……」
さすがにマンションのエレベーター前にまで来れば普通(いつもと同じ調子でという意味で)に会話が出来るみたいだ。
恥ずかしそうに顔を赤くした美羽の隣で、俺はエレベーターを待っている。
「なにが」
「あの、歩いている途中にずっとお話をしてくれて」
「話ぐらいやるだろ。普通」
コミュ障がどの口を叩いているんだろう。
「そうですけど……私が怖くないようにずっと話しかけててくれたじゃないですか」
「そうか? 俺はただ無言が気まずかったからだけど」
「……そういうことにしておきます」
エレベーターが一階にまで下りてきた。
そのまま二人で乗り込む。
「本当に、優しい人ですね。意外と」
「悪かったな。意外で。つーか別にそこまで優しいわけじゃねーよ」
これは本当のことだ。
俺は普通にむかつくやつはむかつくし、俺をいじめていた奴らに復讐した。
もし美羽には俺がそう見えていたとしたら、それはただ単にそう見えているだけだ。所詮俺は善人の皮をかぶった、ただの臆病者でしかない。
「それでもです。私は……そういうところも含めて、あなたは優しい人ですねと言っているんです」
そういうところ、という部分。
それをきいて俺は、もしかしたら美羽は俺の弱いところも含めて、俺のことを優しい人と称してくれているのだと思った。
「普段はなんだかんだ言っているくせに所々、私たちを『女の子』として見たうえで気遣いはでしてくれますし、本当に……あなたにはペースを狂わされっぱなしです」
「狂うどころかお前はいつだってブレてないように思えるが」
美紗ラブ女の子ラブだもんなこいつ。
「……だから、おかしいんじゃないですか。そんな私が、こんな……こんな気持ちに、なるなんて」
なんだこいつ人の心を読んだような気がしたぞ。
ていうかどうしたこの空気は。美羽の様子がちょっとおかしい。
じっと俺の方を見てくるし、何かに葛藤しているようだ。
やがて、美羽はきっ、と何かを決心したかのようなかおをして、俺にそっと語りかけてくる。
それはまるで何かをする前ふり、告知のように思えて。
「……こんな気持ちにさせたあなたが悪いんですよ?」
そんなことを言いながら、美羽は俺の頬に軽いキスをした。
ちゅっ、という擬音でも聞こえてくるかのように、美羽の唇が俺の頬に優しく触れる。
その瞬間、エレベーターのドアが開いた。美羽はそれと同時にエレベーターの外へと出ていき、さっきよりも顔を赤くしながら俺がドアから出るまで待っていた。
無言のまま、二人で廊下を歩く。
つーか、なんで今日の夜はBBA二人から頬にキスされなきゃならんのだ。もう血涙すら出てこない。 幼女からのほっぺにちゅーは俺の夢だ。
それが一気に粉々にされた後にゴミ袋に纏められてダストシュートへとスラムダンクされるなんて……。
やばい泣きそう。
ていうか眠いなぁ。はやく寝たい。
けっきょく無言のまま部屋に戻ると、美羽は一目散に寝室まで駆け出そうとしていた。が、何を思ったか美羽はくるりと俺の方を振り返る。
「あのっ……おやすみなさい……っ」
「ああ。おやすみ」
俺が返事をすると、美羽はかぁーっと顔を更に赤くして、そのまま寝室へと駆け込んだ。忙しい奴だなぁ。とりあえず俺ははやく寝よう。
そして幼女の夢を見てほっぺにちゅーをなかったことにするのだ。オールフィクションするのだ。螺子買ってこなきゃ。
☆
昨晩、色々とあったせいか睡眠時間が足りなくて寝不足でござる。
リビングに朝一でやってきた恵に起こされた。そしてそれに続く形でぞろぞろと一年生や恋歌先輩、南帆と美紗もやってきた。
「おはよー、かいくん」
「……ああ」
「先輩、どうしたんですか? なんだか眠そうですけど……」
「ん。昨日はちょっと睡眠時間があまりとれなくてな」
雨宮小春に言われて、俺は目をこすりながら返事をした。
別に昨晩のことは言っても俺的には全然、問題がないのだが、何故だか俺の生存本能が言わないほうが身のためと言っているような気がした。
「そういえば、天美さんと美羽さんも眠たそうにしていたな」
恋歌先輩の言葉に、楠木南央がそういえば、と続ける。
「二人とも、もう少しだけ寝かせてとか言っていましたね」
「……昨晩、二人と何かあったの?」
南帆がジトッとした目で俺を見てくる。……なぜかこの部屋の中で圧力が増したような気がした。
言わなきゃ殺される。
そう思った俺は、とりあえずありのままの事実を述べた。ここは簡潔に、スピーディに事を済ませよう。
「昨日、寝ていたら加奈に馬乗りされて、そのあと美羽と一緒に散歩に行った」
ビシッ、と部屋の中でそんなひび割れたような音が聞こえた気がした。
なんだ。何が起きるんだ!?
「………………かいくん」
「は、はい?」
「……話、いい?」
「はい……」
「答えはきいてないけどね?」
恵、南帆、そして美紗までもが怖い笑みを浮かべていた。
だ、だれかっ、たす、助けてくれっ!
そう思って俺は恋歌先輩と一年生三人の方を振り向いてみると、
「ふむ……わかっていたことだが……実際に近くで目の当たりにするとどうにも気分がむかむかするというか……」
「……先輩、昨晩はお楽しみだったみたいですね」
「ど、どうしたの小春ちゃん……なんか、怖いよ?」
…………ダメだッ! ここも殆ど敵しかいねぇ!
やはりこういう時に一番に頼りになるのは……正人だ!
「そ、そういえば、そろそろ正人たちを起こしにいかないとなぁ」
「逃げようたってそうはいかないよ?」
その後、俺はなぜか正座させられて説教を受けた。
理不尽だ。これだからBBAは。
☆
俺の部屋に入ってみる。するとそこには、やけにツヤツヤした顔の葉山と、逆にゲッソリとした正人がいた。昨晩、二人に何があったのか。
「二人とも、よく眠れたか?」
「うん。僕はバッチリだよ」
「俺は……葉山が寝かせてくれなくてな」
正人は近くに人がいるとよく眠れないタイプなのか?
まあいいや。どうせ、俺が一人で孤独に眠っている間にこいつらは二人で夜遅くまで熱心に何かを話し合って。男同士水入らずの熱い夜を過ごしたのだろう。羨ましい。
その後、リビングに集まった俺たちは朝食をとった。今日は女子陣の手料理を朝から食べられたとあってか、正人が感動していた「はぁ……南帆さんは料理がこんなにも上手いのにどうしてその姉は……」と何やらブツブツ言っていたけど気にしない。
今日は、それぞれ午後に何か予定が入っている人が多かったので、朝の間に解散となり、歓迎会は終わった。
加奈と美羽の二人の顔が赤いままだったのが気になったけど、どうしたんだろう?




