ifストーリー 南帆ルート②
南帆との生活が始まって一年が経ち、二度目の夏休みがやってきた。
今日も暑い。部屋の中をクーラーから送られてくる冷気で満たしていながらも、背中はやや暑かった。それというのも、背中に南帆がまたくっついているからだ。
「南帆、さすがに夏場はやめてくれよ……」
「……やだ」
今日も俺がゲームをしているとあーだこーだ言ってくる。いや、まあそれは別にかまわない。南帆のおかげでスムーズに進んでいるところもあるし。だが、この密着具合はなんとかならんものか。
今日の南帆も例によってやたらとラフな格好をしているが為にこっちは理性を抑えるのに余念がない。
「つーか南帆、新しいゲーム買ってきたんだろ、自分の部屋でそれやれよ」
「……いっしょにやろ」
「なんで」
「……あれ、二人プレイ対応だから」
「お前がいいなら別にいいけど……」
というわけで、俺は今現在プレイしていたゲームをそのまま中断。その後は南帆と一緒に新作ゲームに没頭した。没頭した、というのは、相変わらず南帆は俺の背中にべったりと抱きつきながらゲームをしていたので、ゲームに没頭しなければ理性的にアレだったというわけである。
流川学園生にとっての夏休みとは、準備期間でもある。
夏休み明けには文化祭があり、そのための準備に追われる。去年も、一週間も続く大規模な文化祭だ。そのための準備も多い。
俺もクラスの準備に参加しなければならない。去年は俺を怖がっているやつらばかりだったので参加しない方がむしろクラスの為だったのだが、南帆の番犬(笑)をやってしまったせいでクラス内の評判がやや優しくなってきた。よって、去年のようにサボれば夏休み明けにクラスメイトたちからの視線が痛いことになる。
打ち解けてしまったことの代償がこれだ。
めんどくさい。
特にあの国沼とかいう生徒会役員。あいつだけは絶対に許さん。あいつのせいで俺のクラス内での立場がだんだんと緩くなってきたのだ。
「おーう、どうした海斗」
正人が背後からやってきた。その時ついでに右腕を俺の首に絡ませて肩を組むような状態になる。俺たちの更に背後で委員長の渚美紗さんがキャーキャー言っているのは気にしないでおこう。
「なに、どした。眠そうだけど」
「……昨日、南帆が寝かしてくれなかったんだ」
「お前ちょっと表でろや」
「は? なんで一緒にゲームやってるだけでんなこと言われなきゃならねぇんだよ。つーかお前がきても返り討ちにするぞ」
「なんだよ。そうならそうと先に言えよ」
正人と一緒にゴミ袋を運ぶ。俺たちのクラスは喫茶店をするらしいのでそのための準備に忙しい。ゴミの管理に関しては生徒会から言われているので、こうして正人もゴミ運びに参加する。
テレビにも報道されるような大規模な文化祭なので、こうしたゴミの管理はなによりも重要なのだ。これが終わればいったん、昼休憩になる。他のクラスの連中はもうそれぞれの作業の手をいったん止めているはずだ。
「そういえば、南帆はどこだ?」
南帆の姿を少し前から見ていない。どこにいるんだろう。あいつはどこかぽけーっとしたところがあるから心配だ。……いかん。これではもうすっかり保護者ではないか。
「んあ、お前みてなかったのか?」
「何を」
「南帆ちゃん、さっき他のクラスの男子に呼ばれてどっか行ってたぞ」
「……そうか」
なんだ、そんなことか。別に気にするような事でもない。気にするような事でも、ないじゃないか。本当に。うん。そうだ。気にするな。さあ、はやくおしごとおしごと。
「もしかしたら告白でもされてるかなぁ」
「…………あっそ」
「なに、お前気にならんのか」
「………………別に、気になんかならねぇよ。南帆が誰と付き合おうが、南帆の勝手だろう」
「付き合うって決まったわけじゃないんだけどなー。ちょっと気が早すぎじゃありませんかね番犬さん。いや、この場合はお父さん?」
「お前マジでぶんなぐるぞ」
いやいやいや。落ち着けよ俺。別にかまわないじゃないか。南帆が誰に告白を受けようが。気にすることではない。そうだ、あいつが誰かと付き合ったらもう家にもぞもぞと侵入されなくて済むじゃないか。
背後からむぎゅむぎゅ抱きつかれたりすることもない。
俺は一人でひっそりと、幼女アニメを堪能することが出来る。
正人と俺は淡々とゴミ出し場へといき、ゴミをそこへ置くと、その足で昼食をとるために教室へと急ぐ。いや、急ごうとしたところを正人に肩をつかまれた。
「んだよ」
「まあ、待て。ちょっと面白いもんが見れそうだぜ」
「あ?」
正人に連れられてよったのは中庭だ。その片隅に、男女の二人組がいたのだ。南帆と……誰だろう。分からね。
「あいつだよ、あいつ。南帆ちゃんを呼び出したのは」
「お前な……悪趣味だぞ。盗み聞きなんて」
「お褒めの言葉、光栄だね」
とはいえ、離れようにも離れられない。なんだかんだで会話の内容が聞こえてきそうなぐらいまでの距離は近づいているために、ここで下手に動けば気付かれてしまう。
仕方がない。ここは共犯者になるしか、選択肢はなさそうだ。俺は改めて木々の後ろに身を隠す。
「そうこなくちゃ」
うるさい黙れ。
「……それで、何の用?」
南帆は相変わらず無表情のまま、クールビューティを崩さず、呟くようにに言葉をもらす。どうやら、二人がここにたどり着いてからそんなに時間が経っていないらしい。
相手の男子は優しそうな、穏やかそうなやつだった。顔も悪くない。俺から見ても十分にかっこいい。
「え、えっと、その前に……僕のこと、覚えてる?」
「…………ごめんなさい」
思い出そうとしたものの、どうやら覚えていなかった南帆は素直に謝罪した。
「いや、いいんだ。気にしないで。覚えてなくても無理はないから」
南帆の謝罪に嫌な顔一つせず答える。うーむ。なかなかのイケメソだ。
俺は隣の正人に小声でたずねる。
「正人、あいつは?」
「ああ、隣のクラスの委員長をやってるやつだよ。成績も常にTOP10には入るし、男子や女子はもちろん、先生からの信頼もお墨付きだ。簡単に言えば、国沼をもっと優男にしたようなやつだよ」
「なるほど。だいたいわかった」
某世界の破壊者のような返事をしながら、俺はぼんやりと南帆とその男子生徒を眺めていた。
傍から見てもお似合いの二人だ。
あいつは普通に……いや、かなりかっこいいし、南帆もそいつとお似合いになるぐらいに可愛い。
俺なんかといるよりもよっぽど自然だ。
「この前、委員会で楠木さんにお世話になったんだ」
「……あの時の」
そういえば、南帆は一度、委員会会議の手伝いをしてたな。忘れてた。あの時の俺って何してたっけ。ああ、そうだ。その日は家に帰って寝てたんだ。
もう、二人の会話の内容が頭の中に入ってこなかった。いや、俺が二人の会話をただききたくなかっただけなのかもしれない。ただ……ただひたすら、俺は俺の存在が惨めで惨めで仕方がなかった。
「……正人」
「ありゃ告白の前座の小話だな。っと、どうした?」
「俺、そろそろ戻るわ」
「は? 何言ってんだよ。ここからだろうが」
「お前もほどほどにしろよ。じゃあな」
「あ、おいっ」
俺は、見つかるかもしれないとか、そんなことは何も考えずにただその場から立ち去った。
危惧していた割に、気づかれずにアッサリと抜け出せた。
なんとなく、簡単に抜け出せたらそれはそれで、気に食わなかった。
教室に戻ってから、俺は一人で黙々と弁当を食べた。姉ちゃんの手作り愛情たっぷり弁当だ。いつもは世界一といっても過言ではないぐらいに美味しいその弁当も、今日は何となく味が違う気がした。
南帆が戻ってきて、話しかけてきても何となくそっけなくなってしまった。正人はどうやら俺が抜けたあと、すぐに同じように抜けてきたようで、結局、あのあとどうなったのかは分からない。
けど、仮に告白されたとして、南帆に断る理由はないだろう。
これからは、いつも通りにはいかない。
夜。
俺はゲームをせずに、ただひたすらに、黙々と勉強に励んでいた。特に理由はない。何となくだ。
窓が開く気配がした。……しまった。つい癖で開けっ放しにしていた。
だがもう遅い。
全開にした窓から、南帆が入ってきた。相変わらずラフな格好だ。とてとてと部屋の中に入って、周囲を見渡す。
「……?」
なぜ、ゲームが起動していないのか疑問に思ったのか、ちょこんと可愛らしく首をかしげる。
「……海斗、今日はゲームしないの?」
「夏休みだからって遊んでばかりいられないだろ」
「……私は、海斗と一緒に宿題はすぐに終わらせたよ?」
「宿題だけが勉強じゃないだろ」
南帆に視線を合わせられない。視線はテキストへと向かったままだ。
「……急にどうしたの?」
「急にもなにも、期末テストの結果が悪かったからな」
「……学年九位だったのに?」
「前より落ちただろ」
ちなみに前回は七位だ。南帆は六位。
「……今日の海斗、おかしい」
「そうか。そりゃ悪かったな」
「……お昼からなんだかいじわるになった」
心臓が跳ねた。ような、気がした。
「そん、な、こと、ないだろ」
テキストを見てもまともに問題文が読めない。というか集中できない。冷や汗をかいて、視界がぐらぐらする。いやいやいや。なんで俺、こんなにも動揺しているんだよ。
気が付けば南帆は、俺の服の袖をきゅっ、と小さく掴み、心配そうな顔ををして覗き込んでくる。
「……だいじょうぶ? 具合、悪いの?」
心配そうにしてくれる南帆がだんだんと近づいてくる。やっぱりお風呂あがりのせいなのか、シャンプーの香りが漂ってくる。この香りは危険だ。濡れた髪や薄桜色の頬。首筋に滴るほのかな汗。
「ああ、そうだな。具合が悪いかもしれない。だから俺はもう寝る。お前はもう、帰れ」
「……うん」
こくりと頷いた南帆はそのまま、自分の部屋へと戻っていった。
俺はそれを見送ると、キリのいい場所まで勉強を進めると、明日に備えて眠りについた。
次の日。
文化祭の準備をしていると、廊下で昨日、南帆を呼び出していたやつとすれ違った。たまたま廊下で作業していた俺はそのままそいつの様子を眺めていた。
正人の情報は間違っていなかったらしく、男子からも女子からも、そして先生からも信頼されていて、まさにみんなと一丸になって作業していた。
見ているだけで、そいつがどういうやつかが嫌でも分かってしまう。
俺とはまるで正反対みたいなやつで。
こういうやつこそ、南帆の隣にいてやるべきなんじゃないのだろうかと、再認識した。
そんな光景を目にしたからだろうか。
何となく、南帆と一緒にいづらくなった。出来るだけ南帆と距離を置くようにした。その方がいい。南帆からは離れるようにしよう。
一緒にいると、なんだか胸が痛くなってくる。それに、あいつにも悪い。俺がいれば近づきにくいだろう。
「……どうして避けるの?」
それは放課後のことだ。
正人に呼ばれて、中庭にきたと思ったらそこに南帆がいた。
あいつめ、余計なことを……。
「別に、避けてねぇよ」
「……うそつき」
じっ、と南帆が俺を見つめてくる。一年間、こいつと一緒に過ごしてきたからこそ分かるが、この視線は俺のウソを見抜いているときの眼だ。いや、今の俺は自分でも分かるぐらいに嘘をつくのが下手になっている。
「……私、海斗になにか悪いことしたのかな」
「いや……」
そうじゃない。お前はなにも悪くない。ただ、俺が悪いだけなんだよ。
だから。
「……ごめんなさい」
だから。
「……私、がんばってなおすから、どこが悪いのか、言って?」
だから。
そんな……そんな、悲しそうな表情をするなよ。
「……私、海斗と一緒にいたい」
「違うんだよ。ちがう。ちがう……別にお前は、無理に俺と一緒にいなくてもいいんだ」
そうだ。俺がいいたいのはこれだ。
「……無理、に?」
「そうだ。何でお前がこの一年間、俺と一緒にいてくれたのは知らない。大方、俺に同情してくれただけなんだろ? でも、さ。俺もクラスに割と馴染めてきたし、もう無理に一緒にいなくてもいいんだよ。お前も、そろそろ好きな人と一緒にいたらどうだ」
「……なにを……言ってるの?」
「そのままの意味だよ」
ほら、もう俺と一緒にいる理由を壊してやったぞ。
さっさと好きなやつのところにでも行ってくれよ。
届かないものと一緒にいても……そいつの隣に相応しくもないのに、そこに相応しいやつがいるのに、俺がお前の隣にいても、辛いだけだ。
「……わ、わたし、わたし……同情なんかで海斗の隣にいたわけじゃ……ないもん」
気が付けば。
南帆がいつもの無表情を崩して、ただ、ぽろぽろと瞳なら涙を流していた。泣いている。あの南帆が。泣いている。
「だったら、どうして……」
「……海斗は……覚えて、ないの?」
「覚えて? 何を?」
「……幼稚園のとき、約束した……」
約束――――、
――――ほら、かいちゃんって幼稚園ぐらいの時に一緒の組だったじゃない。南帆ちゃんと。
……ああ、そうだ。そうだった。そんなことも、あったな。
「忘れた。そんな約束」
「……っ」
ああ、嫌だなぁ。今こいつ、明らかに傷ついた顔をした。
本当に、嫌だ。嫌気がさしてくる。もっとうまくできなかったのだろうか。でも、俺は不器用にこうすることしかできない。
「第一その約束って、幼稚園の頃のだろ? そんな昔の約束を未だに気にしてるとか……バカだろ、お前」
決定的だな。さて、頬の一つでも殴られるだろうか。
「……うん……そうだよね……」
けど、その反応は俺の予想していたものとは違った。てっきり頬でも殴られるとか、バカだのなんだの言われるとか、そんな反応を予想していた。
だけど南帆は。
無理に笑おうとして、それでもうまくできなくて涙をぽろぽろと流していて。
「……そんな昔の約束、覚えてるわけないよね……私が、ただ……ばかな……だけで……」
俺はどうすることもできずに、ただそこに立ち尽くしていた。
もう、何がしたかったのか、何をしようとしたのかも分からなくなってきた。
ただ分かっていたのは、この方が、南帆にとって幸せだということだ。
俺はその場から逃げ出した。涙を流す南帆に背を向けて、走り出した。
もうどこまで走ったのかは分からない。ただ、この展開を見越したような正人が先回りして、校門前にいただけだ。
「……お前、マジでやってくれたな」
「そりゃこっちのセリフだバカ」
正人はぜぇぜぇと息があがっている。カッコつけて校門前にいたが、大方ダッシュで先回りしたんだろう。マジでアホじゃねーのかこいつ。
「全部見てたぞ。最近、南帆ちゃんを妙に避けてるなと思ったらそういうことか」
「ほっとけ」
俺は正人を横切って、そのまま帰宅しようと歩き出した。正人は特に止めることもなく、ただ隣を歩く。
「お前ってアレだな。愛よりも金の方をとるタイプだな」
「よく分かったな」
「さっきのやり取り見たらわかる。それと、一発殴らせろ」
「なんで」
「美少女を泣かせる奴は一発ぶん殴らないと気が済まん」
……そうだな。それもいいかもな。気分も晴れるかもしれないし。
「頼むわ」
「え、なに。お前ってドMなの?」
「ちげーよ。いいからさっさと殴れ」
「じゃあ、遠慮なく」
そういうと、正人は間髪入れずに拳を俺の鳩尾に叩き込んできた。痛い。おかしいな。姉ちゃんの拳の方がはるかに威力は上なのに、なぜかこの拳は今までで一番、痛かった。つーかこいつ、姉ちゃんほどじゃないけど割と力あるなぁおい。
「ってぇ……」
「ん。俺はこれで許す」
「何様だよ……つーか、てっきり顔殴られるかと思ったわ」
「アホか。顔にやったら南帆ちゃんに謝るときに南帆ちゃんが心配するだろ。だから証拠を隠蔽しやすい鳩尾にした」
「……もう、あいつに謝るような機会も顔もねぇよ」
あれだけ突き放した。あれだけ傷つけた。もう、あいつの隣にいることはないだろう。あいつの隣には、もっと相応しい男がそこにいるじゃないか。
「かーっ! お前って、とことんせっかちだな。まだ南帆ちゃんとあいつが付き合うとか決まったわけじゃねーだろ。それに、告白されてないかもしれない」
「そうだっけか。でも、仮に告白を断ってたとしても、南帆にはこれで断る理由も消え失せただろ。告白されてなくても、これで南帆を縛るものはなくなった」
「はぁ……。とことん、南帆ちゃんがかわいそうだ。んで、お前はバカだ」
なんどバカだバカだと言ってくるんだこいつは。
そんなこと、分かってるんだよ。分かりきっているんだよ。
「大方、南帆ちゃん呼び出したあいつがあまりにも完璧すぎて、嫉妬してるだけだろ。そんで、お前はただ僻んでるだけだ。だからあんな良い子を傷つけることをしたってバカ過ぎるじゃねーかよ。しかも、土壇場で思い出した記憶を使ってわざわざ一番、傷つきやすいことを言った」
「……正人」
「なんだよ」
「お前、凄いな」
「お褒めに預かり光栄だな」
あらためて、自分じゃなくて他の人に言われると、自分がどれだけバカで惨めなやつなのかが分かる。分かってしまう。
「お前は、南帆ちゃんの隣にはイケメンで人柄もいい、将来有望なやつがいてやればそれで南帆ちゃんが幸せになるって考えてるんだろうけどな。それは違うぞ。たとえお前がどれだけバカで、アホで、まぬけで、ロリコンだったとしても、南帆ちゃんはお前の隣にいればそれだけで幸せだったんだよ」
正人がさっき俺に言っていた、愛よりも金をとるタイプだな、というのはそういう意味だ。
俺は南帆が思う南帆の幸せよりも、俺が思う南帆の幸せをとった。
ただ、それだけだ。
「よく考えろよ。俺たちまだ高校生だぜ。これからの将来、まだまだ先があるじゃん。まだまだこれから、どうなるか分からねーじゃん。でもさ、南帆ちゃんがお前に対して抱く気持ちはずっと変わらないと思うぜ」
これもまあ、現実の知らない高校生の戯言だけどな、と正人は言う。
「そう、かもな」
正人の言葉を噛みしめながら、俺は家に帰った。
その日、南帆は部屋に来なかった。




