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三十一、つよがり


 高級宇治抹茶パフェの控えめな甘さに舌鼓を打っていたところ、


「うふふ。これ、ひげみたいになってますよ」


 私の頬についていたらしいクリームを、沖田さんは人差し指に乗せてみせた。突然のことに、思わず後ずさる。


「うん、こっちも甘い。なんだか僕たち……逢引きしているみたいじゃないですか?」

「勘弁してください」


 そんな馬鹿げたやり取りを繰り広げているうちに、嗅ぎ慣れた線香の匂いが鼻孔を掠めていった。

光縁寺――このお寺は。


「沖田さんのことだから、てっきり今から夜行バスに乗って六本木の専称寺にでも連れていかれるんじゃないかと思ってました。まあ、自分のお墓参りをしに行く人なんてさすがにいないでしょうけど」


「おやおやトラちゃん。思ってることが全部口に出ちゃってますよ?」


 ご冗談を、と沖田さんは羽織の袖口で口元を抑えた。そりゃそうか。私だってわざわざ自分の骨に会いに行こうとはこれっぽっちも思わない。頼むから散骨とかであってくれ。


「それにしても、僕のお墓がある場所なんてよくご存知ですねえ。実際に来てくれたこともあるんですか?」


「前に通ってた学校が近くにあった、から……ついでに」


「ついでに⁉︎ それはまたずいぶんと――」


 おっと、その先は言わせないぞ。


「沖田さんってキャラクターっぽいじゃないですか。ファンに墓石の一部を勝手に持ち帰られたり、推し活を称してバシャバシャ写真を撮られたり、‘‘夭折の美少年剣士‘‘って肩書きを背負うのもなかなかに大変だよなあと幼心に思ったのを今だに覚えてるんですよ」


……実を言うと筋金入りの新選組オタクの父に連れられて幾度となく専称寺に通いつめたことは、目の前の男に絶対に悟られてはならない。


 推し活というおそらく幕末には存在しないであろう価値観に、沖田さんは一瞬きょとんと首を傾げるも、「もう、トラちゃんもその方々もネツレツなんだから~♡」と体をくねらせるばかりだった。

……いやあの、一緒にしないでほしいんですけど。


 まあでも、沖田さんみたいな楽観主義者からしたら、自分のあずかり知らぬところで己の墓碑がどうなっていようが知ったこっちゃないのだろう。だって千の風が吹いても、そこに私たちはいないのだから。


「そういえば、アレ――‘‘沖田氏縁者‘‘のお墓って、実際のところどうなってるんですか?」


 あまり他所のお墓に指を向けるものではないが、周りが暗いので仕方がない。


 それに。私はちらりと彼を見やる。よりにもよって光縁寺に連れてこられたということは、‘‘そういうこと‘‘なのかもしれない。なんの因果か知らないけど、せっかく目の前に本人がいるんだし、沖田氏縁者の墓――長年の歴史ミステリーの真相を、今ここではっきりさせてやろうじゃないか。


 すると沖田さんは、かすかな月の光に目を細め、


「やっぱり、君も隅に置けませんねえ」


 すごく、困ったように笑った。


***


 ‘‘沖田氏縁者‘‘と彫られた小さな墓碑の前にふたり並んで腰を下ろすと、沖田さんは小さな子に向かって絵本の読み聞かせをするように、穏やかに囁いた。


「あれはまだ、ほのかに梅の香る頃のことでした」


 沖田さんは‘‘その日‘‘も、いつものように試衛館の面々と剣術稽古に励んでいたらしい。



 張り詰めた空気感のある道場に、踏み込みの足音がたった一度だけ響き渡る。在りし日の沖田さんはそのまま、目にもとまらぬ速さで容赦なく得意技の三段突きを繰り出した。


 勝負はすでについていた。彼よりも少し年若い相手の剣士――藤堂平助は、やってられるかと言わんばかりに、その場に仰向けに寝転がった。


『ちくしょー。総司お前、そりゃねえよ。反則だろ……』


『うはは、何をおっしゃる。平助君こそ、剣で斬ろうとしてるのがバレバレですよ。やるからには体で斬らなくちゃ、体で』


 あたりに湧き起こる歓声。すると、それまで物陰から静かに試合の行く末を見守っていた男性のひとりが、たまらず口を挟んだ。


『てめえは相変わらず人に教えるのが下手だな』


 肝が冷えちまって見てらんねえよ、とこめかみのあたりを押さえながら姿を現したのは、泣く子も黙る鬼の副長――土方歳三だ。『立てるか、平助』と彼が手にした紙袋を見た途端、目の色を変えて子供のようにはしゃぐ沖田さん。


『よっ、石田散薬ひとつ! もちろん効果はいまひとつってね♪』


『んだとこの野郎!』


 土方さんがグーで殴り掛かる寸前で、こらこら喧嘩はやめんか、と満を持して登場した近藤勇が彼をたしなめてくれたおかげで、沖田さんはなんとか事なきを得た。


『総司、平助。トシの機嫌が変わる前に玄関口を覗いてきてくれないか』


 近藤さんからのお願いに、二人は顔を見合わせる。




「……そのころ腕に覚えのある者たちの間で道場破りが流行っていましたから、今度はどんな強者と一戦を交えることができるだろうと、平助君と一緒に‘‘お客人‘‘を勇んで出迎えに行ったんですよ」


 沖田さんの話によると、剣客ぞろいの試衛館というのは、どうやらバトルジャンキーにとって格好の狩り場となっていたようで。


「ところがね、門の前に立っていたのはなんと――今のトラちゃんと同じくらいの、年頃のお嬢さんだったんです」


 なぜだか、反射的に顔が上がった。照れくさそうに笑う沖田さんの双眸には、口を半開きにした私がはっきりと映り込んでいた。

 

「知らない子だった。でも、その子から漂うただならぬ気配を、あえて無視するわけにもいきませんでした。ほら、僕は誰かさんみたいな鬼じゃないですから」


 在りし日へと繋がる記憶の糸を手繰り寄せるように、沖田さんはぽつりぽつりと語り出す。


「江戸へ奉公に出され、たまたま道場の前を通りかかった時、近藤さんに稽古をつけてもらっている僕を見てポッとなっちゃったんですって」


……ほらね、やっぱりそういう話じゃん。ていうかそもそも、思春期真っただ中の少女が沖田さんと話をするためだけに、むさくるしい男所帯にわざわざ一人で乗り込んでくる理由なんて、十中八九決まってるだろうに。


「自分と一緒になってほしいと、泣いてせがまれたんだっけなあ」


「…………沖田さんはその話をオーケ……受けたんですか」


 さっきから、なんだかものすごく居心地が悪かった。でも、この話題まだ続きそうですか、とはさすがに言い出せなくて。だから代わりに、私は自分から結論を急くことにしたのだ。当の本人は、あっけらかんとした感じで頭の後ろで両手を組んでいたけど。


「まっさかぁ。もし僕に可愛いおかみさんの一人や二人いようものなら、今ごろきっと天狗になってるに違いありませんって」


「実現不可能な妄想とはいえしれっと二股かけようとするな」


 すかさず鋭いツッコミが口を突いて出たのは、この男の調子に慣らされ切った者の末路なのかもしれない。


「あはは、いいじゃないですか。妄想の中でくらい羽目を外させてくださいよ」


そうしてひと呼吸置いてから、おふざけタイムはここまでだと言わんばかりに、つい先ほどまでとは打って変わった静かな調子で沖田さんは続けた。


「もちろん気持ちは嬉しかったんです。ただ当時、まだ修行中の身だったこともあって、彼女の申し出を丁重にお断りした……つもりでした」


 つもりでした、か。ひょっとして、生霊となった彼女が夜な夜な沖田さんの枕元に立ったりとか、フラれた腹いせに沖田さんのことをストーキングしたりとか、そんなことがあったんだろうか。……なんにせよ知り合いの歴史人物の生々しいスキャンダルなど、あんまり想像したくはない。


「見かけによらずツミブカイんですね、沖田さんって」


 わざと声を張りながら、ほとほと呆れてしまう。一体今までどれほどの女を泣かせてきたのやら。ああ、天然たらしって怖い。


「……まったく、ぐうの音も出ません」明るいけれど、どこか乾いた沖田さんの声は、そのまま朽ちかけた石に吸い込まれていった。


「……? なんなんですか急に……」




「――その子ね、自死を図ったんですよ」


 一陣の風が、私の体を吹き抜ける。もともと心臓があったあたりで、どくり、と何かが跳ねる音がした。


 それはまるで、全身が徐々に別の生き物に食い荒らされていくような……とにかく不快で、たまらなかった。


「まあ」と沖田さんは歯切れ悪く、続けた。


「不幸中の幸いというべきか、それが未遂で終わったからよかったものの、鼻の下を伸ばしながら吉原へ島原へと向かう隊士たちに、ほいほいついていく気にはなれなかったな。気づけば、すっかり見送り係が板についちゃいました」


「…………たしかに、沖田総司が遊郭に入り浸ってたって証拠は、少なくとも令和には発見されてない気がします……けど」


「ええ。あの一件以来、色恋沙汰にはむやみに首を突っ込むまいとお天道様に誓いまして」


「そこは、完全に割り切るんですか」


 また困ったように微笑む彼に一つだけ、率直な疑問が浮かび上がった。


「じゃあ――お墓に‘‘縁者‘‘って書いてあるのはどうしてですか?」


「ああ、それはきっと……」


 沖田さんは細い顎に手を添え、うんうんと唸っている。


「事情を知った和尚さんの粋な計らいか、もしくは――」


 もしくは、なんだというのだろう。その言葉の続きを待ちかまえている自分がいるのもまた事実だった。私は、ごくりと生唾を飲み込んだ。




「‘‘たまたま‘‘なんじゃあないかなあ」


――多摩だけに、なんちゃって。そう付け加えた沖田さんは、さっきまでのやけに神妙な面持ちが全て演技だったと思えるくらいにけらけらと、それはそれは愉快そうに笑っていた。



 色んな意味であっけにとられてしまい、その場に棒立ちになる私の存在にようやく気付いたのか、茶番はしまいだと言わんばかりに沖田さんは仕切り直した。


「さ、手を合わせたら、僕らもそろそろしゃんばらに帰るとしましょうか」


 私は促されるまま、隣にかがんで両手を合わせる。


 すぐそばで長いまつ毛が、伏せられていた。

――沖田総司。彼は今、何を思いその目を閉じるのだろう。今まで私は、月の満ち欠けのように様々な顔をのぞかせる彼のことをちょっとだけ分かった気になっていたけど、結局まだまだそんなことはなかった。


 沖田さん、あんなふうに笑えるんだな。


 しかも分かりやすくほっぺをピンク色に染めちゃってさ。


 見てくれは大人のようでいても、中身は案外、背伸び途中の少年のままなのかもしれない。

……まあ、コタローもあっちでひとり寂しく待ってることだろうしね。別に私はあなたの恋愛遍歴になんか全然興味ないですから。ほんとに、全然。


「トラちゃん、ちょっとだけここで待っていてくださいね」


 雲間をすり抜ける青白い光が、沖田さんの長い髪を縁取ってゆく。

 宵闇に目を凝らすと、彼が隠すように覆った後ろの墓石には、山南敬助と彫られていた。

〜あとがき〜

"沖田氏縁者"のお墓についてはかな〜り諸説があるので、今回のお話はあくまでしゃんみれの中の設定として飲み込んでいただけますと幸いです。

※三十一話は、沖田さんが修行中の身であることを理由に告白を断った結果、女の子が自殺未遂をしてしまったという逸話に基づいているつもりなのですが、彼が女性からひそかにモテていたのは本当のようです。沖田さんってやっぱり天然たらしだったのかな〜?などと妄想捗る今日この頃、読者のみなさまにおかれましても寒さに備えてお過ごしくださいませ。

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― 新着の感想 ―
うわぁ〜!!!私の大好きな人たちがたくさん!!目玉木さんの書く人物はみんな描写がしっかりしてるから、光景が目に浮かぶ……。推し……
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