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二十七、文学館にて



 固唾を飲む。プシュー、と後ろでゆるやかに閉まる扉を、私は呆然と眺める。東京駅の喧騒が背後に広がり、人の波が絶え間なく行き交う中、遊びに来た同級生がいないか内心ひやりとしたけど、それも杞憂に終わりそうだった。

 幸い、今は平日の真昼間だ。


 私たちはまた当然のように改札をすり抜け、新幹線のホームへ向かう。

 これでひとまず、仙台に向かえるのだ。そう思ったら、肩からどっと、疲れが抜けていくような気がした。



「トラちゃん永井さん。今の、見ました? 日の本一の山! 富士山ですよ!!!」


「おお……あんなにも青々としていて…………さすが、かぐや姫の帝が、不死の薬を投げ入れただけありますな」


 周囲に霊能力者がいないのをいいことに、あーだこーだと騒ぎ立てる男たちを、見てみぬフリして。


 私は、窓の外を流れる景色を目で追った。都会の無機質なビル群が徐々に遠ざかり、緑が濃さを増していく。だんだん青葉も深みを帯びてきて、まるで時間が、ゆっくりと流れているかのように感じられた。


 

***


 仙台駅に到着すると、ステンドグラス、続いて、駅を囲うようにそびえ立つ高層ビルが目に飛び込んでくる。ガラス張りのビル群は、近代的な都市を彷彿させる。


 私はふと、隣に立つ沖田さんを見やる。彼はどこか遠くを見つめ、感慨深そうにため息をついた。


「なるほど。ここが仙台藩、かあ。空気が美味しいなあ……」


 その声にはどこか、懐かしさと切なさが混じっていて。



 私は、昔、大の歴史好きの父から聞かされた話を、記憶の片隅から引っ張り出した。

 新選組は、仙台に少なからず縁がある。正確に言うなら、山南敬助とか、副長の土方歳三が、だけど。


………不治の病に身体を蝕まれたせいで、仲間の死を見届けることすら叶わなかった沖田さんは、死してなお、甲陽鎮部隊に参加したかった、とか、土方歳三の北走に付き合いたかった、とか、そんなふうに思ったりすることもあるんだろうか。



 沖田さんの視線が、すっ、と、隣に立つ永井さんへと移る。


 彼は静かに駅前の風景を受け止めていた。


「永井さんは、この地で生を受けたんでしょう?」


「ええ、人生で最も多くの時間を過ごしたのもここ……仙台でした」と、永井さんは至極穏やかに答えた。


「ですが……街も人も、変わりゆくものなのですね…………」


 その声は郷愁を孕み、まるでこの土地の空気そのものが彼の記憶を呼び起こしているようだった。


 そんな、寂しさに浸る永井さんを見かねてか、


「いやあしかし、僕の知り合いと同郷だったとは。ご縁を感じずにはいられませんねっ!」


 沖田さんは、いつもの軽快な調子で永井さんの肩をポンと叩いた。


 そうして私たちは、文学館へ向かうバスを探すことにした。時刻表を眺めながら、どのバスが目的の場所へ行くのかを確認するのは、思った以上に手間のかかる作業だった。


 複雑な路線図は、正直相当な初見殺しだと思う。


 でも、苦労してようやく見つけたバスに乗り込むと、車内はありがたいくらい静かで、窓の外には青葉通りの木々が揺れていた。バスが動き出すと、街の喧騒が遠ざかり、自然の風景が、ちょっとだけ心を落ち着かせてくれるような気がした。


***


 文学館に到着すると、階段を登るごとに木漏れ日のような柔らかな光が私たちを包んでいった。


 燦々と降り注ぐ陽光が、館内のガラス窓を通して光の回廊を作り出している。


 平日にもかかわらず、館内にはすでに人だかりができていた。『埋もれた名作展』……この企画展って、そんなに注目度が高かったんだな、と他人事みたいに思っていると、「トラちゃん、早く早く!」と、ちゃっかり行列の先頭に並んだ沖田さんから急かされてしまった。


 文学に心を奪われているであろう人々が、静かな熱気とともに展示を眺めている。


 永井さんの目が、まるで子どものようにきらきら輝いた。彼は文学館の独特の静謐さに心を奪われているようだった。

 展示物の一つ一つが、過去に日の目を見なかった作家たちの努力の証を、現代に伝えている。


 すると、黒縁メガネをかけた大学生らしきグループが、向こうで何やらひそひそと話しているのが耳に入った。


「………………」


 私は幽霊の特権を駆使し、音もなく彼らの側に寄っていく。彼らの会話が、徐々に明瞭に聞こえてきた。


「……聞いたか?…………なんでも、あの太宰の新しい写真が発見されたんだとか」


 一段と高揚した声のトーンに、私は反射的に永井さんの方を振り返った。案の定、彼の顔は、一瞬で凍りつく。

ーー太宰治。永井さんの旧友でありながらも、どこかその実体を掴めない存在。私は以前、記憶の中で彼と出会ったことがある。その彼の名が、こうして突然耳に飛び込んできたのだ。


「あの。永井さん……」


 手を伸ばそうとするのを、慌てて引っ込めた。


「ーー脚光を浴びるのは、いつだって彼だったじゃないか!」


 今にも泣き出しそうな、歪んだ表情。耳を切り裂くようなその響きは、ぶつけようのない怒りと悲壮感に満ちていた。太宰治という太陽のような存在に、常に影を落とされてきた月――それが、永井さん自身だったわけだ。彼の心の奥底に渦巻く、複雑な思いがその場に溢れ出しているようだった。




 だけど。


 その時だった。


「ーーまだ、諦めるのは早いと思いますよ」


 静かで、毅然とした声が響いた。沖田さんが、永井さんの袖口をそっと掴み、穏やかに、諭すように語りかける。彼の声には、たしかに希望の灯火が宿っていた。


 入り口付近、沖田さんが指差した先には…………


ーー盲点、だった。


 眼前のスクリーン大のパネルに、永井さんがゆっくりと、息を呑んでゆくのが分かる。


 写真の中の、優しさの滲むえくぼには、すごく見覚えがあった。


 そこには。


 若かりし日の永井さんと太宰治が、学ランを着て、悪友でございと肩を組み合っていた。


 文机、インク壺、万年筆。これらはすべて、永井さんの遺品なのだろう。


 そのまま、流れるようにパネルの脇に視線を落とすと、私でも知っているような文壇の重鎮による推薦文とともに、


『↑永井修二 著  物書き失格(個人蔵 親族提供によるもの)』と記されているのが見えた。



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