十三、六文横丁
目を開けているだけで、世界が押し寄せてくるようだった。
お地蔵さんが、どぷりーー暗闇に沈みゆく。
(え)
いつの間にか、景色が逆転していた。お地蔵さんがあったはずの場所に、私たちの体は押し込まれている。伸び放題の草が視界をチラつく、薄暗い祠の中。
「な、なにこれっ……!」
ドンドン叩いてみるも、私の手は見えないバリアに、容赦なくはじき返される。
すごく痛い。なんにもないのに、強化ガラスに体ごと隔てられているみたいだ。頭の中に、じわりじわりと"神隠し"という言葉が浮かび上がってくる。そういえば、なんだかちょっとずつ空間が広がっていってるようなーー
その時だった。
鬼と、目が合ったのは。
短い悲鳴が喉まで出かけたところで、私は正気を取り戻す。よく見たらあの鬼、立体じゃない。かぎりなく平面だ。
今にも雄叫びをあげそうな鬼。それが描かれた襖。襖は私に、絵巻物の一幕を彷彿とさせた。
理解し難い現象に、必死で思考をめぐらせる。
(って、なんでずっと黙ってんの⁉︎)
ただでさえ稀有な状況、このままでは調子が狂ってしまう。沖田さんは私のジト目を焦らすように、ゆっくりゆっくり口を開く。
「……トラちゃん。さきがけとしんがり、どちらが良いですか?」
腰の刀に手を添える沖田さんに、私の吐息はひゅっと止まる。
まさか。
一休さんの屏風の虎よろしく、この鬼を退治しろとか言い出すんじゃないだろうな……いやいやそれはさすがに……
「しんがりで」
気づけばそう口にしていた。噛みそうになるくらい早口になってしまった。
「天才剣士様の後についたほうがまだマシ」だと、第六感が囁きかけたのだから、まあ仕方ないっちゃ仕方ない。自分によく言い聞かせる。
「いざ。」沖田さんは今度こそもったいぶらず、すぱりと襖を開けてみせた。
まばゆい光の中ーー目の前ではためくだんだら羽織りだけが、私のたよりだった。
*
永遠とも思える長い沈黙を乗り越えると、
「はい到着。鬼ヶ島ですよ〜!」
沖田さんはなぜか、満面の笑みで鬼のツノポーズをキメていた。
……ちくしょう。また、無駄に雰囲気なんか出しやがって。なにが「さきがけとしんがり、どちらが良いですか?」だ。ああ心配して損した、私は小さく舌打ちをする。沖田さんといると、心臓がいくつあっても足らないのでは(死んでるから0個だけど)と疑いたくなってしまう。
「でもま……よくよく考えたら、沖田さんに鬼は倒せないか。きび団子ないですもん」
振り向けば、跡形もなく襖が消えていた。沖田さんは、えーと不満げに唇を尖らせる。
「そんなものなくったっていいじゃないですか。なにしろ虎だろうが狐だろうが、みんな向こうからやって来るんだから。」
「で。ここはどこなんですか? ずっと鬼ヶ島で通されるの、さすがにキツイです」
沖田さんは参ったな、というふうに笑うと、澄んだ空に両手を広げて言った。
「お上のお膝もと"別天地"、僕らはそう呼んでいます。合言葉を唱えないとここには招かれないーーいわば、選ばれし者の地なんです!」
なるほど、オンカカカ? とかいう詠唱みたいなのって、合言葉だったのか。私はひとり納得する。つまりVIP待遇……死後の世界とはいえ、なんかセキュリティ高いなあ。
あたりを散策してみようとすると、濃い霧の中から、もくもくもくと建物らしきものが現れ出した。むわっと立ち込める、白檀の香り。
「はぇ……」
思わず、尻もちをついてしまった。ひのきのアーチには、「六文横丁」と墨が乗せられている。
「沖田さん、ここってーー」
首を、めいっぱい動かす。ろくろ首の焼き物屋、から傘貸し傘店、がしゃどくろの彫刻屋ーーまさか、まさか、ここって……
「よ、妖怪の街〜っ⁉︎」
私の声は、横丁じゅうにこだました。




