表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
82/648

中国料理

 鍛冶丸かじまるは大内教弘のりひろの屋敷にいた。

 

 ここは、大内教弘の本拠地、周防すおうの山口である。山口の大手にある教弘の屋敷に彼は招かれていた。

 博多での硫安工場建設を終えた彼は、片田村から鋼丸はがねまるを呼び寄せ、工場の運営を彼に引き継ぎ、自身は片田村に戻ることにしていた。

 工場、という言葉を使いだしたのは、『じょん』だったが、今では博多でも堺でも、普通に使われるようになっていた。

 この時期、大内教弘は、斯波義敏を保護していたことを義政にとがめられ、領地の周防に下っていた。

 大内教弘からは、工場建設中からしばしば招待されていた。どうしよう、と片田に尋ねたところ、帰国するときについでに寄ってみるといい、とのことだった。

 そこで府中(防府市)で船を降り、徒歩で山口まで来た。鍛冶丸が教弘の居所を訪ねると、空堀と土塁に囲まれた大きな館に案内された。入口のところで教弘から来た手紙を見せたが、彼の姿が怪しいものだと疑われ、取り押さえられそうになった。

 無理もない、そのあたりの百姓町民と異ならない姿だからだ。

 やがて、中から人が出てきて、丁重に扱えと言ったので、そこからは順調だった。そして、屋敷の応接間と思われるこの部屋にいる。


 それにしても、変わった部屋だ。中央に卓子テーブルと椅子があり、卓子の上には大きな皿があり、果物が盛られている。たくさんある椅子にはなにかの獣の皮がかけられている。壁には棚が設けてあり、茶わんと思われるものがいくつも置かれている。黒いもの、白いもの、わずかに青い色をしているもの、いろいろだ。

 壁には上品に表装された掛軸がいくつも架けてあり、墨でかれた絵が貼り付けられていた。


 絵は、いずれも景色をえがいたもののようだ。

「これは、梅雨時つゆどきの雨の日かな、山に雲がかかっている。上手なもんだな」鍛冶丸が独り言をいった。


牧谿もっけいがお好みですか」男の声がする。

 鍛冶丸が振り向くと、宗匠頭巾そうしょうずきんを被った男が立っていた。

「大内様ですか」

「いや、わしはただの画僧です」その男が言う。

「今見ているの作者が牧谿です。その左が、夏珪かけい、そのまた左が馬遠ばえんという者が描いた画です」

からの人が描いた画ですか」

「そうです」


 もう一人の男が入ってきた。

「鍛冶丸殿か、わしが周防介すおうのすけじゃ。よろしくたのむ」

 鍛冶丸がきょとんとした。

「大内じゃ」そういって男が笑った。

「さ、さ、そこに座られよ」そういって、虎の毛皮がかかっている椅子を指す。

 鍛冶丸が椅子に座ると、大内教弘と、画僧も座る。

「門の所で失礼があったそうじゃの。すまなかった」教弘が詫びる。

「いえ、私がこのような恰好で訪れたので、あやしまれたのでしょう」

「たしかに、硫安工場を作った男、とは思えぬ姿であらわれたものじゃの」


「食事を用意しておる、ゆっくりしていかれよ。鍛冶丸殿は、豚肉は食べられるのか」

 鍛冶丸は遠慮して食事時を避けて来たつもりであったが、教弘は日中にっちゅうから宴会を始めるらしい。豚肉は博多で経験しており、大丈夫だと答えた。

「なんといっても、わが領地に硫安工場をつくってくれたのじゃからな、いくらもてなしても、足らぬくらいじゃ」

 大内の土地を選んで硫安工場を作ったのではなく、石炭の大鉱脈の上に工場を作った、とは言えなかった。

「いわんでもわかる、まあよい」

 大内は書状で、周防側にも硫安工場を作れないか、と打診していた。それに対して鍛冶丸は、特別な部品が無ければ作れない、その部品は貴重なのだ、と答えていた。

 ニッケル触媒のことは鍛冶丸も詳しくは知らされていなかった。

 それでは、製鉄工場を作れないか、と大内が言ってきた。それに対しては、片田に聞いてみると答えた。周防、長門ながとは中国山地の一部を持っており、川から砂鉄が取れる。


「シイタケ、眼鏡のことも知っておるぞ、わしの領地の民にも菌床を売ればよいし、眼鏡工場もつくればよい、国内ではまだいくらでも売れるであろう。民が豊かになるのはよいことじゃ。おお、そうじゃ、片田殿は時々博多を訪れるという、ついでに山口にも寄ればよいのじゃ。いい町であろう」

 たしかに、ここに来る道すがら、小京都といわれるような良い町だと鍛冶丸も思っていた。


「料理ができたようじゃ、たっぷり食べて行かれるがよい」教弘が言った。

 まず、冷菜が運ばれてくる。クラゲ、搾菜ザーサイ支那竹メンマ皮蛋ピータンなどである。続いてエビとネギを炒めたもの、フカヒレの醤油煮、中国酒が来る。

「鍛冶丸どのは、酒はいけるくちかの」

 さらにイカの炒め物、ホタテの煮物、カニと卵のスープ、あわびの中国醤油蒸し、などが出てきた。客は豚肉が苦手かもしれない、と配慮していたらしく海産品の料理だった。


「最後の料理が、最近流行はやっておるのじゃ、豚肉が苦手でも食べられる」教弘がそう言うと、豆腐とひき肉の料理と白米のご飯が出てきた。

「これで、飯が何杯でもいけるぞ、今流行の『まー坊豆腐』じゃ」

 まー坊豆腐の発明に安宅丸がかかわっていたことを、鍛冶丸は知らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ttps://gogen-yurai.jp/chugoku/ >「中国」という呼称は、紀元前6世紀の『書経』や『詩経』にも見られるが、国家を表す言葉としての使用は1842年の南京条約が…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ