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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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イタリア風の小部屋

 フランス国王、ルイ十二世が臣下を残して退出する。彼の背後で会議室のドアが閉まった。

 彼の立つ通路より先は、王の個人的空間である。


 王が振り向き、閉じられたドアの脇に立つ。そして壁の装飾の一部を引いた。隠し扉だった。

 扉の向こうに開いた小部屋に向かって、王が小声で言う。

「出てこい」


 小部屋の中から、白髯はくぜんの男が出てくる。レオナルド・ダ・ヴィンチだった。王が無言でついてこい、という仕草をする。


 二人が王の書斎しょさいに入る。


「どうだ、会議の様子は聞こえたか」

「はい、まるで臨席しているように、よく聞こえました」レオナルドが応える。

「しかし、あの小部屋は、なぜ作られたのですか」

「きまぐれだ。『アルプスの彼方かなた』風だと思わないか。イタリアに遠征したときに、このような隠し部屋をたくさん見た。それで作ってみたのだ。こんなことの役にたつとは思わなかった」

当時のフランス人は『イタリア』地方のことを『アルプスの彼方』と呼んだ。

「なるほど、そうでしたか」




 ルイ十二世はレオナルドの名声を知っていた。一四九九年のイタリア遠征でミラノに入城した時には、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂の『最後の晩餐』を見ている。

 そして、ぜひともこの絵をフランスに持ち帰りたいと駄々(だだ)をねて、側近を困らせている。


 そして、ルイとレオナルドを結びつけたのは、意外にも王室書記官長のフロリモン・ロベールだった。会議でカトリック側に立っていた男だ。

 現代に残るレオナルドの絵画『糸巻の聖母』は、フロリモンの注文だったと言われている。

 フロリモンがミラノ駐在のフランス総督シャルル・ダンボワーズを介して、レオナルドをフランスに招いたのだ。

 今は小康状態ではあるが、イタリア戦争に、レオナルド・ダ・ヴィンチの軍事工学が役に立つのではないかとフロリモンが考えたためだ。


 今日の会議の数日前、レオナルドがルイ王に、カタダ・ショーテンがどのようなものなのか、語っていた。


 ルイ王とレオナルドが二人きりになったときだった。ルイ王はレオナルドが差し出した小さな肖像画を見ている。

「まるで、生きている人間の肌のようではないか。この手の部分などは」ルイが感心する。

「何度も重ね塗りをして、そのようにしております」

「この女性は、誰だ」

「フィレンツェの商人の妻、リザ・デル・ジョコンドという夫人です」

 現在、『モナリザ』として知られる肖像画だった。


「ところで、二人きりで話したいという事だが、まさか、この絵を見せたかったという事ではあるまい」


レオナルドが見聞きした片田商店について、そしてニホンという国での見聞について話しはじめた。


 片田商店は、いくらでも火薬原料の硝石と、尿素という肥料をつくることができるそうだ。

 もちろん彼らは、どのように作るのか、ということをレオナルドに教えてくれなかったが。


 それは、無限の富の源泉ではないか、ルイ王が驚く。


「フランス海軍が恐れる『海サソリ』も火薬を多く使用して作っています」

「なるほど」

「このことには、スペインやポルトガルも気付いているでしょう」

「そうだろうな」

「彼らが先に片田商店と結ぶと大変なことになります」

 フランス国王は、それに応えなかった。


 それから、空を飛ぶ機械、帆を張らなくとも走る船について、熱く語る。技術的なことはフランス王にはわからなかったが、空を飛べる機械、風任せでない船がある、ということに王も興奮する。

「そちも飛行機とやらに乗ったのか」

「もちろんです、何度も乗りました」


 ものすごい速度で計算する機械がどこかにある、ということも語った。レオナルドは堺に行ったことがない。福良ふくらのテレタイプ端末を通じて電子計算機を使っていた。計算機の実物は見ていない。


 竹と米麹こめこうじについても話した。ルイはこの二つを面白がった。

「竹がいくらでも生えて来て、それが土木工事や築城の足場に使えるというのか」

「はい。木の板などよりは、よほど軽くて丈夫なものです。建設工事にさぞや重宝することでしょう」


「で、その竹と米麹をフィレンツェに持ってきたのか。うまく根付いたか」

「根付きましたぞ、フィレンツェのわしの弟子が育て、増やしています」

「と、いうことは、そのミソシル(味噌汁)とかいう旨いものを、わしらも食べられるようになるかもしれんのだな」

「お望みでしたら、取り寄せましょう。サライが言うには、竹も米麹も随分増えて来たそうです。あ、サライというのは、わしの出来の悪い弟子の名前です」レオナルドが言った。


「他にも、彼らは隠していますが、まだまだ驚くべき技術を持っているようです」

「驚くべき、とは」

「どうも、彼らは遠く離れて高速で通信する技術を持っています」

「なぜ、そんなことがわかる」

「先ほどお話ししたテレタイプ端末です。単純な計算式を入れると即座に結果が帰ってきます」

「どういうことだ」

「彼らが言うには、実際に計算している機械は彼らのサカイ〈堺〉という町にあるそうです。福良とサカイの距離は二十リューもあるとのことです」

 リュー(lieue)とは当時の距離の単位だ。一リューは四キロメートルくらいなので、福良と堺の距離は八十キロメートル程になる。

「二十リューといえば、かなりの距離だな。オルレアンとフォンテーヌブロー位の距離になる」

「そうです。なのに、計算命令を入れると、即座に結果が帰って来る、というのはどういうことでしょうか」

「一瞬で往復四十リューの距離を通信する方法がある、ということだな」

「そのとおりです」

「恐るべき技術だ」

 百六十キロメートルどころか、地球の反対側とも瞬時に通信できる技術であることまでは、レオナルドは知らない。


 それが、数日前のことだった。




 二人がルイ王の執務室に帰って来る。

「まずは、陛下のお考え通りに会議がまとまりましたこと、お祝い申し上げます」レオナルドが言う。

「そうだな。取り急ぎ海軍司令のルイ・マレーをナント沖に派遣する。そしてカタダ・ショーテンとの修好条約を結んだ後に、オルレアンに向かうことにしよう」

「それでよろしいと思います。私も海軍司令殿に同行させていただきます」


「しかし、これで、フランスは全ヨーロッパを敵に回すことになる」ルイ王が言う。

「承知しております」

「月一万リーブルの硝石を寄こすこと、忘れるでないぞ。さもなくば、フランスは敗れる」

「もちろんです。それは必ず守ります。貴国が敗戦することになれば、こちらの努力も水泡に帰してしまいます。かならずお守りいたします」


 月一万リーブル。この場合のリーブルは当時のフランスの重さの単位だ。〇.四九キログラム相当になる。

 月一万リーブルの硝石とは、毎月四.九トンの硝石を片田商店がフランスに渡す、ということを意味する。

 黒色火薬は、その四分の三が硝石だ。これは今も当時も、ほぼ変わりがない。

 なので、片田商店が毎月六.五トンの黒色火薬を製造することができる硝石を、無償でフランスに渡すということになる。

 年間ならば、七十八トンにもなる。


 なお、硝石(硝酸カリウム)は、それだけで燃えることはない。なので、ブリキ缶などにいれて大量に保管・運搬することができる。

 硝石が危険になるのは、木炭や硫黄などの可燃物と混合してからである。


 イタリア戦争のとき、スペインは年間十から二十トンの火薬を消費したのではないか、という推計されているという。ヴェネツィアは十から十五トンだそうだ。


 フランスの推計はないが、従来入手してきた黒色火薬に加えて、年間七十八トンが追加されるのである。。

これならばフランスがヨーロッパ諸国を敵に回しても、対抗できるかもしれない。


「しかし、このような交渉事を持って来るとは、さすがはレオナルド・ダ・ヴィンチだな」ルイ王が言った。

「とんでもない、私はただの『使い』です。本当にすばらしいのは、驚くべき技術を作り上げた片田商店です」

「そうであるな」


「ところで、レオナルド」

「なんでしょう」

「テンプル騎士団の借用書。あの写しに描いた落書き、あれはそなたの筆ではないのか」

 フィリップ四世のワックス印の摸写のことである。

「なんのことでしょう」

「わしはミラノで『最後の晩餐』を見ておる。みごとなものだった。ふたつは同じ筆使いに見える」

「はっ。お気づきになられましたか」

「むしろ、あれで信用した。そこまでするというのであれば、よほど本気なのであろう、とな」

「恐れ入ります」


少し早いのですが、物語のキリがいいので、冬休みをいただきます。

次回の掲載は

●2026年1月5日(月曜日)

です。


それでは、皆さまに良いお年が訪れますように。

来年もよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
毎日楽しみにしていました。来年も楽しみにしています。 面白い作品をいつもありがとうございます。
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