宗教より国家を
フランス王国、ロワール川の中流域。
ブロワ城。
ルイ12世が城に連れてきている主だった廷臣を集めて話し合っていた。
「元帥、どう思う。コンデ公の従軍牧師は、ローヌ川沿いの都市の新教軍が北上しているといっているが」ルイ王がピエール・ド・ロアン=ジエを指名して戦況について尋ねた。
「ギーズ公が死んだということは、カトリック勢の敗戦だな。まずパリが陥落、ついでランスも三カ月以内に落ちるだろう」あいかわらず、ぶっきらぼうだ。
「そちはどう思う」王がルイ・ド・ラ・トレモイユにも訪ねる。彼はイタリア戦線を任されている将軍だった。
「私も元帥と同じ考えです」
「リヨンやヴァランスの兵が北上してくるというのか、彼の地の農民はなにをやっているのだ」王室書記官長のフロリモン・ロベールが悔しそうに言った。
「農民も、新教軍に身を投じているそうだ」ルイ王がそっけなく言った。
「なぜです。新教は商人や職人の宗教だったのではないですか」
「ところが、そうでもない」元帥が言った。
「そうだ、私は仕事柄ミラノに行くことが多い。ローヌ川沿いの農民新教徒は増えている」これはイタリア方面将軍のトレモイユ
「なぜだ」書記官長が問う。
「彼らは日曜日にミサの代わりに『礼拝』というものを行っている。そこで肥料を安く配っているのだ。『ニョーソ』という肥料だそうだ」
「『ニョーソ』、そんなもので改宗までするのか」
「なんでもニョーソを使うと収穫量が二倍以上になるそうだ」
「姑息な手段を使いおって」書記官長が憤慨する。
『ニョーソ』とは片田商店が販売している尿素と草木灰を混合した肥料のことだ。この物語の冒頭に近い部分で、片田はこの時代にハーバー・ボッシュ法を導入している。
アンモニアがあれば、尿素も硝石も作り放題だった。
そして、この肥料の使い方の工夫を通じて農村に互助組織が広がり、改宗が加速した。
「いまさら怒っても、はじまるまい。すでに、フランスの西部と南部のかなりの数の農民が新教徒になっている。」ルイ王が言った。
「それよりも、新教徒軍が勝利したときのことを考えようではないか」
「今のところ、新教徒軍が主張しているのは、新教徒を弾圧したりするな、信仰を理由に新たな課税をするな、ということですな」これはイタリア将軍ルイの発言だ。
「いまのところはそうだが、いずれ国の宗教にせよ、といってくるのではないか」これは国王。
「かならずや、そう言って来るでしょう」書記官長が言う。
「海軍司令長官は、どう思う。そちは新教徒の知り合いが多いであろう」国王がルイ・マレーを指名した。
「海軍という組織は保守的なものですが、反面、新しい物が好き、という傾向もあります」
「何が言いたい」
「あの『海サソリ』です。あれの出現で海軍内の雰囲気が変わりました」
彼が言う『海サソリ』とは片田商店軍の魚雷艇のことだ。
「どういうことだ。それにカタダ・ショーテンが新教軍と関係があるのか」国王は正しい発音を覚えたようだ。
「まず、海軍内では士官も兵も、カタダ・ショーテンと戦うのは無駄だと考えるようになりました。そして、新教軍とカタダ・ショーテンとの間になんらかの関係があるのではないか、そういう噂が流れています」
「なんで、そんな噂が流れる」
「両者とも、無尽蔵とも思われるほどに火薬を使います」
「なるほど、火薬の件は前線から話を聞いている」王が言った。
「カタダ・ショーテンが新教軍に火薬を渡しているのではないか、というのです」
「カタダ・ショーテンと新教徒につながりがあると言うのか」
「おそらく、はじめは人文主義者から、そして新教徒に、という流れでしょう。彼らが交流していることは間違いありますまい」海軍司令長官が言った。
ルイ王は、驚かなかった。恐らく、そのあたりも知っていたのだろう。
「で、初めの話に戻るが、彼らは新教を国教にせよ、と言って来ると思うか」
「私はそのようには思いません。彼らは干渉されたくないだけでしょう」
国王が頷いた。“わしの戴冠役を務めぬか”と言った時のテオドール・ド・ベーズの迷惑そうな顔を思い出し、内心で微笑んだ。
テオドールはコンデ公の従軍牧師だ。
皆が黙って国王の方を向く。何を言い出すのだろう。
「わしはフランスの国王である。国王は即位の時にフランス国民を守ると宣誓している」
「それはみな承知しております」書記官長が答えた。
「カトリックも新教徒もフランス国民であることに変わりはない。どちらも私が守ると約束した民だ」王がそう言って、続ける。
「で、あるのにカトリック教徒は新教徒を虐待している」
「しかし、自分の家の隣に異端者が居るのですぞ、我慢できるはずありますまい」書記官長が言う。
「カトリックは異質な者を排除しようとするからな」王が睨む。
「そして、新教徒が抵抗して、この内戦が始まったのじゃ」
「新教徒の側も、各地でカトリック教会を襲っているそうですが」イタリア将軍のトレモイユが言う。
「聞いておる。しかし、それは教会や聖遺物の破壊に止まっているとも聞くぞ」
「本当だか、どうだか」と、書記官長。
「それを確かめるために、皆、わしと一緒にオルレアンに行ってみないか」フランス国王が言った。
国王がオルレアンに行く、ということは新教徒側に立つ、ということだ。重大発言である。
「わしはこれまで中立の立場を保ってきた。そのうえで、国内においてカトリックと新教の共存を認めると言ってきた。それなのに、カトリックは新教徒虐待を止めなかった。違うか」
「仰せのとおりです」
「ならば、わしが新教の側に立ってカトリックを認める、といったらどうであろう」
「国教を新教にするというのですか」
「そうだ。新教徒達よりも先回りしてフランスを新教国にする」王が言う。
廷臣たちが、互いに顔を見合わせる。
「戴冠の儀は、どうなされますか。新教徒は儀式を認めておりませんが」書記官長が尋ねる。
「そのあたりは、テオドール・ド・ベーズ、コンデ公の牧師と相談してある」国王がそう言って、テオドールとの交渉結果を要約する。
皆が、王は本気なのだ、と悟った。
「陛下、破門されますぞ」書記官長が言った。
「いいではないか。そちもテンプル騎士団の借用書の件は知っているであろう。毎年の歳入の五分の一をよこせと言ってきているが、これで借用書は紙屑だ」
フランスは、すでに二百年も前に当時のローマ教皇を足蹴にし(アナーニ事件)、以降七十年もフランス国内に教皇位を止めた過去(アヴィニョン捕囚)がある。
破門くらいでは驚かない。
ローマ教皇を利用できる間は利用してきた。それがままならぬのであれば、棄てるばかりだ。
まして、国内に新教徒がこれほど増えてしまったのであれば、もはや教皇の利用価値は少ない。
「しかし、陛下が新教に改宗するとなると、イタリアのすべての国が教皇の元に結束するでしょう。私が守るミラノは持ちこたえられないと考えますが」トレモイユが言う。
「わかっている。なので、ミラノは放棄する。イタリア諸国はミラノより先に来ることはあるまい。それ程の国力がないからだ」
それは、そのとおりだろう。海で多少暴れることはあるかもしれないが、そうなった時のことも、国王は考えている。
今、臣下の前では言わないが、片田商店と組んだ方が有利だと判断している。
「神聖ローマ、アラゴン=カスティーリャ(スペイン)も黙っていない」これは元帥。
「ああ、そうだ。だからトレモイユ、そちはミラノから移動して内戦平定後のシャンパーニュ、ブルゴーニュを守ってほしい」これらは神聖ローマとの国境の地方だった。
「そして、元帥。そちはスペインとの国境、フランス南西部を任せる。新たなる新教国を守る意志に燃える、多くの兵が集まるであろう」
「軍資金はどうなさいますか」海軍司令のルイ・マレーが尋ねる。
「占領した地方のカトリック教会の財産を没収、処分してこれに充てる。教会そのものは残す。カトリック信仰の自由は保証する」
「イングランドは、どうする」元帥が聞く。この男はいつも、こんな調子だ。
「イングランドは手出ししてはこない。カタダ・ショーテンと友好関係にあるからな」
「そして、無尽蔵の火薬が手に入る、というわけだな」元帥ピエール・ド・ロアン=ジエが言った。
「そうだ。そち達の意思を尋ねたい」
この場合には通常の同意を表すような態度では不十分だった。事の重大さからして、忠誠の宣誓、あるいは誓約に近いものが求められていることは間違いない。
元帥、イタリア方面軍将軍、海軍司令官が即座に起立し、帽子を脱ぎ、頭を垂れた。これは通常の同意ではなく、主君への私的忠誠の誓いに相当する儀礼的動作であった。他の武官も続いた。
そして、書記官長他の文官も同意した。
すでに中世と言うよりも近世に入りかけた時代だ。彼らも、もはや宗教の正統を論じるより、国家の生き残りという実利を考え始めていた。




