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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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牧師 (ぼくし)

 午後遅くに、北方からの使者がルイ十二世のブロワ城にたどり着く。この使者は、ルーアンが新教徒の手に渡ったことを知らせて来た。

「ル・アーブルどころか、ルーアンまでもか」王室書記官長のフロリモン・ロベールが言った。

 ル・アーブルはセーヌ川の河口、ルーアンはセーヌ川沿いで、ル・アーブルとパリの間にある都市だ。

「これで、パリは袋のネズミになった」ピエール・ド・ロアン=ジエがぶっきらぼうに言う。かれは元帥であり、王の軍事顧問だ。

「パリの動脈はセーヌ川とロアール川。セーヌ川からはバルト海とイングランドの産物が、ロアール川からはフランス西部やイベリア半島の物産が入って来ますからな」これはルイ・ド・ラ・トレモイユ。フランスを代表する名将で、イタリア戦争を指揮した司令官だ。

「そうだ、そしてロアール川の水運は、コンデ公がオルレアンで押さえておる」ルイ王が言う。


 当時のパリは大学や官公庁の街であり、大消費地だった。


 それだけではない。

 フランス南部ではモントーバン、モンペリエ、ニームが新教徒の手に渡った。

 西部ではラ・ロシェルが陥落した。

 ローヌ川沿いではリヨン、ヴァランスが落城し、このあたりの新教徒軍は北上し始めているという。

 それまでは都市という分散した点にすぎなかった新教徒勢力が、線に、そして面になろうとしている。

 北部ではル・アーブルと、それに続きルーアンだった。


 レオナルド・ダ・ヴィンチが目指しているナントは、元々ブルターニュ公国の港であったため保守的なのだろう。まだカトリックが優勢だった。


 カトリックが支配しているのは、パリを中心としたイル=ド=フランス、アミアンのあるピカルディ、ランスを含むシャンパーニュ、新しく王国に参加したブルターニュ、そしてブルゴーニュ地方だった。


 カトリック勢の首領、ギーズ公はすでにフランスの南部と西部の攻略をあきらめる。

 彼が次の目標としたのは、オルレアンだった。そこには新教徒軍の指導者コンデ公がいる。彼を亡きものにすれば、新教徒軍は崩壊するであろう、そう考えた。




 翌日、教皇庁から例の借用書の複写が送られてきた。

 テンプル騎士団の借用書だ。

ルイ王は、それをただちにパリに送り、ジャン・ド・ガネに真贋しんがんを判断するように命じた。

 ジャンはフランス王国の大法官だいほうかんであり、王国の印璽いんじや文書に関する最終的な責任者だからだ。

 彼が、これはフィリップ四世の印璽だ、と認めればその文書が法的に正式なものとして認められる。

 ジャン・ド・ガネが印章官いんしょうかん、王室文書官、そして教会法学者などを集めて検討した結果、これはフィリップ四世が発行した正式な借用書を写した物であろう、と認めた。


 当時、王の印章は、王の死後、悪用されぬよう処分されることになっていた。けれども、彼が押印した書類のワックスは無数に残っている。

 これらと比較したところ、模写の印影いんえいは一致した。


 印章官が模写とワックス印を並べて言う。

「フィリップ四世の印章の表面は、玉座の左側を、わざと欠けさせています。これは本物の印章を写し取ったもので間違いないでしょう」


「それにしても、精密に模写したものだ。誰がやったか知らないが、恐らく名のある者であろう」ジャンも感心する。


 ルイ王が、その報告を受け取る。そして教皇庁に対して、一枚だけで良いから本物の借用書を送るように言った。かならず返却する、と添える。

 もちろん、大法官が借用書を本物だと認めたことは黙っている。


“本物のフィリップ四世の借用書なのか。悪い時に、悪い物が出てきたものだ”

ルイ王が思った。


 そして、意を決したように侍従長を呼ぶ。


「オルレアンのコンデ公に言ってくれ、テオドール・ド・ベーズをブロアに寄こすようにとな」ルイ王が侍従長じじゅうちょうに言う。

 テオドールは新教の神学者であり、コンデ公の従軍牧師ぼくしでもあった。

 彼はフランスの新教徒の指導者と言ってもいい。


 史実ではテオドールはユグノー戦争時代の人物だ。まだ生まれていない。ただ、六十年早くユグノー戦争を始めてしまったので登場してもらっている。

 コンデ公について、彼の名前である『ルイ・ド・ブルボン』と呼ばずに、ただコンデ公と爵位で呼んでいるのも、ルイが生まれていないからだ。ギーズ公も同様である。

 この二人は爵位で呼ぶことにしたが、テオドールだけは実名で呼ぶしかなかった。




 テオドール・ド・ベーズがブロア城にやってくる。ルイ十二世との面会が始まった。


「新教徒はフランス国王位をどのように考えている」ルイ王が尋ねる。

「王位は、神の秩序のなかに位置づけられた世俗権力であります。王がいなければ、国は乱れてしまうでしょう」

「なるほど」

「そして、陛下の権威は、神から出ているものです」

「それも、いいであろう。では、テオドールよ、そちはわしに新教徒の教義に基づく王の冠を授ける意思があるか」


 ルイ十二世が王である、とフランス国民に認められているのは、ランス大聖堂で戴冠式を行ったからだ。

 戴冠式により、神から王権を授けられている、というのがカトリック教国の王権の考え方だ。

 仮にルイが新教に転ずれば、その根拠を失う。改めて新教の戴冠を行わなければならない。


 痩せた宗教者が、長い髯を揺らす。

「それは、できません」

「なぜだ。わしの権威が神から授かったものであれば、聖職者であるそちが神の代わりに王位を授けるのは自然であろう」

「我々がなぜ、宗教家を牧師パストルと呼ぶか、御存じでしょうか」

「知らぬ。カトリックでは司祭サチェルドスだな。どう違う」


「カトリックのサチェルドスは、sacer『聖なる』、とdos『与える』を組み合わせた語です。つまり『聖なる物を取り扱う者』ということです。聖職者だけが神と直接会話する特別な存在だと言っているのです」

「それは知っておる」


「それに対して、我々の信仰では、神と信者の間に聖職者を置きません。信者は一人一人が、神と対話します」

「それでは、人の数だけ宗教が出来てしまう、そうローマ教会は言っておるぞ」

「ですので、信徒を導く者が必要です。パストルとは『羊飼い』という意味であることはご存じでしょう。ただし、それは信徒の一人にすぎず、特別な存在ではないのです」


「聖職者の言っていることが、本当に神の言っていることかどうか、信じられんといいたいのじゃな。贖宥状しょくゆうじょうの件など、確かにそう言いたいのも分かるが」国王が言った。


 あまりに不敬ふけいとも取れる発言だったので、テオドールは無言だった。


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