歓迎式典 (かんげい しきてん)
百六十三隻ものガレー艦隊がブレスト港に接近している。これくらいの規模になると、いきなり港に入って碇泊する、というわけにはいかない。
受け入れる港側は驚くであろうし、警戒する。味方と分かった後にも、港湾内の碇泊位置の整理などが必要になるかもしれない。
その場合、碇泊中の船舶の移動が必要になる。
到着する船団の側も、港湾の水深、砂州、潮流などについて未知である。したがって、水先案内が必要だ。
なので、船団が入港する場合には慣例的に連絡艇を先行させる。
この時代の一般的なピンネースは檣が一本で三角帆。船体は全長十~二十メートル、横幅三~五メートルくらいで、乗員は十から十八名ほどだ。
速度については、追い風の場合、ガレー船は三~四ノットしか出ないのに対して、ピンネースは六~十ノットを出すことが出来た。
船団の総司令官、ヴァスコ・ダ・ガマは、ブレスト到着の二日前に、旗艦が牽引していた連絡艇を先行させた。
艦隊が来航することは、あらかじめロワール川沿いのブロワの宮廷から連絡が来ていたので、知っていた。それが、いよいよ来るのか。
港が湧いた。
当時のことである。艦隊が来ることは聞いていたが、その目的地などは知らされていない。それでも非日常的なことである。みな来航に期待した。
連絡艇に乗って来た士官によると、翌日入港の見込みだという。
ブルターニュが誇る大型帆船『マリー・ラ・コルデリエール』の甲板上で、昼食を楽しみながら、艦隊を迎えようではないか、という話になった。
この船は、ガレー艦隊と共にオルダニー島上陸作戦に参加することになっている。すでに戦備は整っていた。
『マリー・ラ・コルデリエール』については、よくわかっていない。キャラック(カラック)という形式の船で、外洋航海が可能だった。
いずれも推定値ではあるが、排水量約千トン、全長四十~四十五メートル、横幅八~十メートル、三本マスト、乗員五百名程度であったとされている。
当時としては大型の船だ。
加えて甲板には幾つもの砲を備えている。砲を備えているということは、火薬庫も持っているということだ。
翌日になった。
『マリー・ラ・コルデリエール』の上甲板にブレストの町の名士と、その貴婦人、子息などが集まる。
名士とは、このような人々だ。
マイヤーという町の行政トップ、町の評議会員、城塞の司令官、大商人、司祭等々である。
乗員が五百名程度の船に、さらに三百人もの乗客が集まった。
男性は上に白いシャツ、下半身にショースという脚に密着する脚衣を身に着ける。その上にチュニックという胴衣を着る。
さらに、晴れやかな行事なので長いガウンを着用した。
上甲板は露天なので縁が狭い帽子をかぶっている。素材はベルベットや絹だ。海風で飛んでしまわないようにピンで留めている。
帽子に羽根飾りを付けているオシャレな男性も何人かいた。
女性もやはり上に白いリネンのシャツを着る。その上に『コール』と呼ばれる胴を細く見せるファウンデーションを装着した。コルセットのことである。
そして、ガウンやサーコートという上着を着る。袖はホーンスリーブといって、肘から先の広がっているものが流行していた。
また、十六世紀には、スカートは大きくたっぷりとしたものが好まれるようになっていた。
女性も頭には低めの帽子や、薄手のヴェールを付けていた。
男女ともに、紫や、深い赤、濃い紺色や緑色などの重厚な色彩を好んでいるようだ。
そして、袖や襟に金糸や銀糸で刺繍を施している。
海風が甲板を吹き渡ると、女性のホーンスリーブや、男性の羽根飾りが揺れる。日光に白いシャツが眩しい。
時々、強い風が吹くと、甲板上から小さな悲鳴が聞かれた。
そろそろ昼になる。ガレー艦隊は、まだなのか。
甲板上に軽食の屋台が設けられ、客たちはワイングラスを手にしている。用意してきた話題も尽きた頃だ。誰もが代わる代わる沖の方を見る。
皆が待ちくたびれた頃、マストの上から叫ぶ声が響く。
「艦隊が見えたぞ」
一斉に沖に目を凝らす。まだ甲板の高さからは白い帆が見えない。
「どこだ」、「どこよ」と口々に言いあう。
やっと一つ、白い帆が、点のように青い海から顔を出した。艦隊旗艦の主帆だろう。
やがて、小さな白い点が増えてくる、そして百を超える数になった。
誰もが見たことも無いような大艦隊だった。口々に歓声を上げ、そして手を振る。上甲板の客人達は皆、大興奮である。
無数とも見える三角帆が、幅がわずか一.八キロメートルしかないブレスト海峡を目指してくる。
その時だった。『マリー・ラ・コルデリエール』の甲板上で歓声を上げる乗客と、ガレー艦隊の間に、右から別の船が、両者を割るように現れた。
海峡の両岸にそびえる崖の向こうに、一つ、また一つ、見慣れぬ船が現れ、七隻になった。
どの船も帆が無く、煙突から黒煙を吐いていた。




