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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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中央集権 (ちゅうおう しゅうけん)

『中央集権』という言葉がある。国の中央である君主に主権を集中させる政治体制のことだ。


 フランス国王ルイ十四世が言った「ちんは国家なり」という言葉が有名だ。

 あるとき、国王の振る舞いに対して、家臣が「そんなことをなさっては国家と国民のためになりません」といさめたところ、ルイが発した言葉だそうだ。


「民だけでいい、朕は国家なり」


 いま、ヘンリー七世がローマ・カトリック教会から離脱して、教会財産をすべて没収してしまおうとしている。物騒なことだが、そう考えている。

 史実では、これを行ったのは息子のヘンリー八世だ。離婚問題が発端だった。


これはイングランドだけの特別な現象ではない。教会からの離脱は、ヨーロッパの多くの国で試みられた。

 イングランドの方法が乱暴だったため、史上に有名になっただけだ。他の国々はもっと洗練されたやり方で、教会から離脱していく。


 以下、史実を追ってみよう。


 たとえばヨーロッパのなかでも比較的早く中央集権化に成功したのはポルトガルだった。


 ポルトガル王国の成立は十二世紀で、ほぼ現代の領土に到るのは一二四九年のレコンキスタ完了時である。

このポルトガルの戦いにはキリスト教の騎士団が大きな貢献をした。それに報いるためにポルトガルは占領地を騎士団に与えた。

 当時の首都、コインブラを流れるモンデーゴ川より南のポルトガル国土の多くが騎士団領になった。


 このような状態からわずか百数十年ほどで、ポルトガルは中央集権を確立した。


 最初に騎士団に挑戦した国王はアフォンソ二世だった。まだレコンキスタの最中の一二一六年のことだ。

 彼は領地の相続にあたって、国王による承認が必要であるとし、さらに検地けんちを始めようとした。

 これに対して、ローマ教皇ホノリウス三世は国王を破門し、彼の試みは挫折する。


 アフォンソの息子サンシュ二世が即位し、父の遺志を継ぎ、教会への寄進と遺贈を禁止した。しかし、これに怒った教皇インノケンティウス四世は、パリに留学していた サンシュの弟、アフォンソ(後のアフォンソ三世)を送り込む。


 兄弟で戦争になり、戦に敗れたサンシュは王位を弟のアフォンソ三世に譲り、トレドに亡命する。


 散々である。


 ローマ教皇に担がれて即位したアフォンソ三世だが、これがなかなかの人物だった。教皇の言う事を聞かず、検地を再開する。

 彼も破門されるが、もはや、そんなことではめげない。


このアフォンソはポルトガルの平民を味方につけることができた。議会に市民の代表を参加させたのだ。

 コインブラからリスボンに遷都して、新都で商業の発展を促した。

 貴族による平民への理不尽な暴力を禁止する。

 容疑者逮捕にあたっては裁判官による逮捕状を必要とする。

 など、かなり進歩的な改革を行った。


 アフォンソ三世が亡くなったあとは、息子のディニス一世が継ぐ。この王は父親よりもやり手だった。

 広大な領地を持つ騎士団を王直属の組織に変えていく。

 まず、最大の領地を持つサンティアゴ騎士団であるが、これの本部はカスティーリャにあった。これでは国内の富が外国に流出してしまう。そこで王は一二八八年に、ポルトガル支部を本部から独立させて、王の配下にする。


 この時のやり方が鮮やかだった。


 まず、騎士団のポルトガル支部に、ディニス王がカスティーリャからの独立を打診してみる。

 すると、支部の側では本部に対して相当の不満があるようだった。


 やれ、事あるごとに干渉してくる。やれ、『みかじめ料』が高すぎる。などである。


 そこで、ディニス国王が言った。


わかった、それならば俺がローマ教皇に掛け合ってやろう。俺は教皇の覚えがめでたいのに対して、カスティーリャのサンシュ二世は教皇に嫌われている。うまくいくだろう。


 そう言って、カスティーリャのサンティアゴ騎士団総長とは別にポルトガル独自の総長を選出させてしまう。


 確かに当時、カスティーリャの王は教皇とめていた。王位継承権に関する揉め事だった。教皇側はサンチョの兄の遺児を継承権者として認めていたのに対して、サンチョは父である王アルフォンソ十世を幽閉してしまう。そして父の死後に自らカスティーリャ王を名乗ってしまったのだ。

 これでは教皇が許すわけがなかった。


 ディニス王が教皇に持ち掛けると、それはよかろうと恵比寿エビス顔で快諾する。カスティーリャの勢力を弱められるからだ。


 このようにして教皇の勅書ちょくしょを取り付けてしまった。


 そのうえで、ポルトガル支部の独立を公表し、そのとき、ちゃっかりと『王の保護の下に置く』と宣言してしまう。

 『王の保護下』に入ったことにより騎士団の土地譲渡、裁判権、租税免除には王の許可が必要になった。実質的に騎士団が王の監督下になってしまうのである。


 ついで、一三一二年に廃止されたテンプル騎士団のポルトガル支部を、新生の『キリスト騎士団』として、同じように教皇に認めさせた。キリスト騎士団も王権の支配下におかれる。

 当然、騎士団の人事権は王が握った。

 有名なところでは『エンリケ航海王子』がキリスト騎士団長になっている。彼の企画した遠征航海は、同騎士団の資金で行われた。


 ディニス一世が属するポルトガル・ブルゴーニュ王朝が途絶えると、中小貴族と都市市民に支持されたアヴィス騎士団長ドン・ジョアンが国王に即位し、アヴィス朝が始まる。

 そのような経緯から、アヴィス騎士団は、最初から王朝に属している。


 最後のホスピタル騎士団(ヨハネ騎士団)についても、十五世紀以降には、ポルトガル支部長の人事にポルトガル国王の承認が必要とするように改められた。


 何代にもわたって、このように騎士団の人事権を掌握し、平民を味方につけて地方領主の権力をそぎ、中央集権を確立していったのがポルトガルである。




 ついで、フランスを見てみよう。


 フランスもカトリックの枠の中で王権を伸ばした。

 早くも一三〇三年に、フランスはアナーニ事件をおこしている。フランス軍が教皇を襲撃した事件だ。原因はフランス領内の教会に対して、国王が課税したことにある。その教皇は病死する。襲撃と病死に因果関係があるかどうかはわからない。


 フランスの後援により、次の教皇はフランス人が選出された。クレメンス五世である。クレメンスはリヨンで戴冠し、ローマではなく、フランスのアヴィニョンに遷座せんざした。一三〇九年のことだ、以来一三七七年まで七十年近くの長きに渡り教皇座はフランスに置かれた。


 これを現代では『アヴィニョン捕囚ほしゅう』という。

 当時からフランスは、「教皇の権威、それがナンボのもんじゃい」という態度である。


 捕囚期の教皇はすべてフランス人であり、枢機卿の多くもフランス人になった。教皇庁はフランスのいいなりになる。

 これならば、無理にカトリックから離脱する必要はない。むしろ教皇庁を利用してカトリック世界を従わせることができる。


 ところが、教皇不在のイタリア半島が不安定になる。反乱の中心はフィレンツェだった。

また、フランスもイングランドと百年戦争を始め、アヴィニョンあたりも不穏になってくる。フランス自体も弱って来た。


 途中、いろいろなことがあったが、結局教皇がローマに戻り、やがてルネサンスを迎える。

 やはり教皇座はペテロの側にあらねばならぬようだ。


 さらに、一五一六年。このとき、フランス王はルイ十二世の次のフランソワ一世だ。教皇はレオ十世である。

 二人の間で『コンコルダート(Concordat of Bologna)』という協定が結ばれる。Concordatという単語自体が『国家とカトリック教会との間で結ばれる正式な協定』という意味である。


 この協定では、フランス国王が国内教会の人事権を手に入れる。

 フランスにある教会の司教や、修道院の院長はフランス国王が指名し、教皇が最終的にそれを叙任するということになった。

 ルイ十二世の時代には、フランスとローマ教会の関係は、ここまでになっていたのだ。


 こうなれば、フランス国内のカトリック教会は、国教会となったようなものである。フランスもローマ・カトリック教会の枠組みの中で、自国教会を支配するようになった。


 スペインはポルトガルやフランスのようなわけにはいかなかった。元々がカスティーリャ、アラゴン、カタルーニャ、バレンシアの連合王国である。王の力が弱かった。

 イザベラのカスティーリャのみが中央集権に近づいていたが、スペイン全体がまとまってはいなかった。


 なので、スペインが中央集権化するのは、ポルトガルより百年遅れて、フェリペ二世の時代になってからである。


 後にドイツやオーストリアなどになる、神聖ローマ帝国は正反対の道に進んでしまった。帝国内部は無数ともいえる数の領邦に分裂し、それぞれが独自の道を歩んだ。 ハプスブルク家の試みもあったものの、統一した帝国にはなれなかった。


 ハプスブルグがなし得たのは、オーストリアという一領邦内での中央集権のみだった。



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