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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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『メアリー・ローズ』

 トランペットのユニゾンが、短いけれど印象的な旋律せんりつを奏でる。ついで、ドラムの連打が始まった。ベルトで腰のところに吊り下げた、タボル・ドラムが響く。

 リードやパイプが加わり、大合奏になった。


 テムズ川に停泊している戦艦『リージェント』の艦尾楼かんびろう甲板に王と、その世継ぎが現れた。

 ヘンリー七世と、ヘンリー王子、後のヘンリー八世だ。王子は十三歳になっている。


 二年ほど前の一五〇四年のことだった。


『リージェント』の前には、もう一隻の軍艦が並んでいる。艤装ぎそうが終わり、いままさに就役しゅうえきしようとしている五百トン級軍艦、『メアリー・ローズ』だ。


 一昨年にポーツマスで起工し、昨年進水して、ロンドンに回航されてきた。そしてロンドン塔や王立造船所から運び出された大砲や装置を取り付けられて、今日就役式を迎えている。


 この艦には実在のモデルがある。同名の『メアリー・ローズ』がそれだ。

 史実上の就役は一五一二年なので、八年程早い登場になった。


実在の『メアリー・ローズ』は建艦王ヘンリー八世の時代を象徴する軍艦だった。

 まず、ヘンリー八世が即位して、最初に建造した国家所有の海軍艦だ。

 そして、舷側砲を装備した、初めての艦でもある。

 ヘンリーは城攻めにも使用できる大型のカルバリン砲を軍艦に搭載することを求めた。


 カルバリン砲とは、口径一四センチメートル、長さ三.七メートル、砲の重量が二.二トン、砲弾重量七.九キログラムという大型砲だった。

 砲身が人間二人を縦に並べたよりも長い、という巨砲だ。

 そんな重い物を上甲板に置くことはできない。重心が上がって転覆してしまう。なので、喫水線きっすいせん近くの下甲板に置く。そうすると海水が入ってこないような砲口を工夫しなければならない。

 加えて、従来の艦載砲とは比べ物にならない巨砲だったので、その発射衝撃に船体が耐えられなければならない。


 これらを解決したのが『メアリー・ローズ』だった。


 そして、当時の木製軍艦としてはめずらしく、三十三年にわたって運用された。

 ヘンリー八世の時代を象徴する軍艦と言われるわけだ。


『メアリー・ローズ』が有名なのは、もう一つ理由がある。


 この艦はポーツマス港付近で作戦中に沈没している。イギリス人が『ザ・ソレント』と呼ぶソレント水道で沈んだ。浅い海だった。

 そして、四百年以上海底で眠ったのち、一九八〇年から八二年にかけて、引き揚げられた。船体の三分の一が残っていたほか、当時の装備や、船員の日用品までが引き揚げられた。

 これらは現在ポーツマス港の『メアリー・ローズ博物館』に保存展示されている。

 史実の『メアリー・ローズ』については、ここまでにしよう。


 いま、ヘンリー王子の目の前に浮かぶ『メアリー・ローズ』にも巨大舷側砲が装備されているが、それだけではない。この艦はイングランドがすべて自国で製造した最初の蒸気船だった。

 帆を上げなくとも、風上に進んでいく軍艦ということだ。風向きに運動を制約される帆船の時代、これはあきらかな優位だった。


 ヘンリー王子が、昨夜の事を思い出す。

 父王が大蔵卿のジョン・ダイナムと密かに話しているのを聞いてしまっていたのだ。

 机の上に燭台しょくだいが置かれ、蜜蝋みつろうのロウソクが灯っている。

 机上には何枚かの紙が拡げられている。

「すると、イングランドのすべてのカトリック教会の財産を没収すると、『メアリー・ローズ』が百八十隻建造できるという計算になるのだな」ヘンリー七世が言った。

「教会の財産ですから、正確に把握できているわけではありません。土地の面積と教会税から推測した数字です」これは、ジョン・ダイナム。

「なるほど、今はまだ早いが、いずれやらねばならんな」王が恐ろしいことを言う。


 イングランド中の教会を潰してしまおう、と言うのか。ヘンリー王子が戦慄おののいた。

 すきま風が吹いてきたのか、燭台の炎が揺れる。



 艦長はエドワード・ハワードだった。この『メアリー・ローズ』は試験航海が終了した後には、『リージェント』から旗艦の役目を引き継ぐことになっている。


 軍楽隊が静まる。陸地に置かれた砲が号砲を一発撃った。


『メアリー・ローズ』の甲板上には見慣れぬ煙突が立っている。黒煙が吹きあがる。そして軍艦が静々(しずしず)と離岸した。帆も張らずにだ。


 両岸に並ぶイングランドの民衆がどよめきの声をあげる。すごい、本当に動いたぞ!そして、どよめきが、大歓声に変わった。

 これはイングランドが海洋を制覇する象徴だ、皆そう思った。


 ヘンリー王子も軍艦に見惚みほれる。父が、あのような恐ろしい事を考えるのも、わかるような気がした。




「ほら、いったとおりだろ、ポール。帆が無くても動くんだ」ジョンという男の子が言った。近所の音楽好きの四人組の一人だった。四人ともヘンリー王子と同じくらいの年頃だ。

「しかし、どうやって動いているんだろう、なあ、リンゴ」ジョージという子が隣の背の低い男の子に言う。

「さあね、それが国家キミツなんだろ」そういって、腰に吊るしたタボル・ドラムを四回連打した。小柄なので、太鼓が大きく見える。

「あの船について行くか」ポールが言った。

「そうだな」三人が応える。


 ポールとジョージが古びたフィドルを肩に載せる。安価なヴァイオリンのような楽器だ。ジョンが先頭になり、リードパイプを取り出して吹き始める。リンゴは打楽器担当だ。


 ジョンのでたらめなリードのメロディに合わせて四人が下流に向けて行進していった。



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