スペイン広場
ローマの狭い石畳の道を、白髯豊かな男が歩いている。荷車にシー・チェストを載せた従者を従えている。
レオナルド・ダ・ヴィンチだ。
テベレ川をバルカという喫水の浅い川舟で遡上し、リーパ港<ポルト・ディ・リーパ・グランデ>でローマに上陸し、川沿いを歩く。
シスト橋を渡り、カンポ・デ・フィオーリ広場を過ぎて、いまペッレグリーノ通りを歩いている。
ジブラルタル沖の海戦。巡洋艦『衣笠』とヴァスコ・ダ・ガマの海戦以来、スペインとイングランドの関係が悪化した。
スペインが『衣笠』の戦闘力を見て、これを脅威と受け止めたからだ。
ポルトガル、スペイン、フランスが連合し、オルダニー島を攻撃しようとして準備をすすめている。
イングランドのヘンリー七世はスペインを説得しようとしたが、スペインは応じなかった。
コロンブスのインド(実はアメリカ)入植を阻んだのが、実は片田商店だったらしい、ということになったからだ。
フランスも、目と鼻の先にあるオルダニー島に強大な戦闘力があることを知った。これを放置しておくわけにはいかなかった。
これまでにも、イングランドがカタダとかいう勢力からインド洋の産物を入手して、アントウェルペンで売り始めたことは知っていた。
しかし、貿易船だけが来ているのではない、ということを知ったのだ。
相手が少数で油断している間に、ポルトガル、スペインと図って潰してしまおう、と考えた。
『大使館』、という言葉はまだ無い。各国はローマにレジデンツァと呼ぶ館を構えて情報を収集し、外交を行った。当時カトリック世界の情報はローマに集まって来たからだ。
以下、便宜的に使節館と呼ぶことにする。
イングランドは使節館を置くほどの国力がない。なので、ローマにおける拠点は、それまでスペイン使節館に間借りしていた。
両国の関係が悪化したため、イングランドは拠点をスペイン使節館からペッレグリーノ通りのヴェネツィア使節館に移した。
ロバート・ドゥ・ラ・ポールがヴェネツィア使節館に毎晩通っていたのはその布石だった。いま、ロバートと彼の無線通信機はヴェネツィア使節館に移動している。風車も同行している。
なお、スペインの『在教皇庁使節館』は、建物は改築されているが、当時から現代まで五百年以上同じ場所にある。スペイン広場の南側だ。この広場を『スペイン広場』と呼ぶようになったのは、ここにスペイン使節館があったからではないか、と言われている。
*もし、Googleマップで探すのであれば『Ambasciata di Spagna presso la Santa Sede』で検索できる。
「ここが、ヴェネツィアのレジデンツァか」レオナルドが言い、門番にイングランドのロバート外交官を呼び出すように頼んだ。
上の階から降りてくる足音がする。
「お待ちしておりました。ごきげんはいかがですか、レオナルド」ロバートだった。
「うむ、ひさしぶりだ。マントヴァ以来だな」
「そうです、そうです、あのまま飛行艇で行かれてしまって以来ですよ」
「あの時は世話になった。あれから片田殿の国に行ってきた。引き合わせに感謝する」
「存じています。感謝なんて、とんでもない」
「実際に飛行機械を作るところも見て来た。すごいもんだ」
「それは、ようございました」
「侯爵夫人にも感謝している」――イザベラ・デステのことだ。
「侯爵夫人といえば、レオナルドがローマに来るという知らせを届けましたら、例の素描を一枚、送って来ました。後ほどお渡しします」
「そうか」“やはり、彩色画を描かねばならぬであろうな”、そうレオナルドが思った。
「教皇庁の方には連絡が済んでいます。レオナルドがローマに来たといって、みなよろこんでおります」
「そうか」
「今日はゆっくりお休みになってください。明日以降いつでも教皇庁に案内できます」
「なにか、絵を描かなければならんのか」
「いえ、いまのところそのようなお話はありません。それどころか」
「それどころか」
「なにをやってもいいそうです。ただ、居てくれれば、好きなことをやってくれていい、と言われています」
「それは、ありがたいことだ」
「よかったですね」




