D 217
「これではないでしょうか」ベレンガーリオ・サウネイロが二つ折りにされた羊皮紙に挟まれた数枚の羊皮紙をジョルジェ・ダ・コスタに示した。
ジョルジェが『紙挟み』ごと受け取る。表に『D CCXVII(D 217)』と文書番号が書かれている。ローマ数字だ。
ジョルジェが『紙挟み』を開くと、七枚の羊皮紙が出て来た。
最初の羊皮紙には、このように書かれている。
Anno Domini MCCCVIII, mense Julio, in civitate Chinon,
『主の年(西暦)一三〇八年七月、シノンの町において、』
「一三〇八年のシノンか、間違いなさそうじゃな、ジャック・ド・モレー達はシノン城に幽閉されていた」ジョルジェが立ち上がり、窓の側に行った。目が不自由なのだろう。
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『西暦一三〇八年七月、トゥール教区のシノンの町において、
聖ネレウスおよびアキレウス聖堂枢機卿司祭ベラルド、
聖マルケリヌスおよびペトロ聖堂枢機卿司祭ステファヌス、
サン・ニコラ・イン・カルチェレ・トゥリアーノ聖堂枢機卿助祭ランドルフォ――
すなわち使徒座の使節――の面前に、
以下の尊敬すべき兄弟たちが出頭した。
すなわち、テンプル騎士団総長ジャック・ド・モレー、
ゴット家のレイモン(マルセイユ副伯)、
フーゴ・ド・ペロ(フランス地区の訪問官)、
ゴドフロワ・ド・ゴンヌヴィル(ノルマンディー総長)、
そしてウーゴ・ド・ロカフォール(アキテーヌおよびポワトゥー総長)である。
……
よって我らは、この件に関して教皇から委ねられた使徒座の権威に基づき、
我らの足もとに謙虚にひれ伏し、
深い敬虔と涙ながらの痛悔をもって赦しを請うたこれらの兄弟たちを、
その罪によって科せられていた破門の判決から、
教皇の権威をもって赦免(absolvimus)し、
教会との一致に復帰させ、
信徒の交わりと教会の秘跡へと
慈しみをもって再び迎え入れることとした』
「なるほど、確かにテンプル騎士団を『赦免する』と書かれておる」ジョルジェが感慨深そうに言った。
その文書は、以下のような言葉で結ばれていた。
『以上すべての事の証明と保証として、
我らはこの文書を作成させ、
その上に我らの印章を付して確証することを命じた。
前述の年・月、かの地において作成・執行された』
老枢機卿がさらに目を下に落とす。当時の教皇クレメンス五世の署名があり、その下に赤い色のワックス印が三つ押されていた。尋問に立ち会った三人の枢機卿の印であろう。
「ベレンガーリオよ、テンプル騎士団一件書類の箱から、教皇の署名のある書類を探してまいれ」ジョルジェが窓脇の壁に寄りかかりながら言った。
ベレンガーリオが差し出した書類と、手に持った書類を見比べる。
「クレメンス五世の署名に間違いないようだ。これは偽書ではないだろう。なるほど教会は、一度は騎士団を赦免していたのじゃ」
「ローマ教会が赦免していたのならば、総長達はなぜ火刑にあったのでしょう」
「それはフランス王の意向じゃろうな。なにがなんでも騎士団を潰す必要があったんじゃろ」
二人が『写し』を取る許可を司書に求めた。
「二百年前のテンプル騎士団の裁判記録ですか。テンプル騎士団が消滅していますので、とくに外交問題になることもないでしょう。写しを取っても構いませんよ」
ベレンガーリオが司書の前で古文書を複写する。司書が両者を見比べて、誤りのない事を確認する。溶かしたワックスを紙に垂らし、彼の指輪の印を押した。
二人が図書館の外に出る。
「これで、大義名分が出来ました。テンプル騎士団として復活できます」ベレンガーリオが嬉しそうに言った。
「テンプル騎士団に戻ることが、それほど重要なのか」
「もちろんです。我がポルトガルは、地中海と紅海の両側から攻め上り、聖地を回復するのです。エルサレムに戻った暁には、『テンプル騎士団』と名乗らなければなりません」
第一回十字軍(一〇九六―九九年)は成功し、東地中海にエルサレム王国などの十字軍国家が建設された。
しかし、十字軍参加者のほとんどは帰国してしまう。残された十字軍国家は兵力不足に悩んだ。
そこで、フランスの貴族、ユーグ・ド・バイヤンなど九人の騎士が集い、聖地巡礼者を保護する目的で騎士団を設立する。
エルサレム王国の王は、彼らに『神殿の丘』と呼ばれる土地を与える。かつてソロモン王が建設したソロモン神殿があったといわれている場所だ。
ラテン語では『Templum Salomonis』である。そこで、テンプル騎士団と名乗るようになった。正式名称は『キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち』だそうだ。
ベレンガーリオがテンプル騎士団という名称にこだわるのも、わからないではない。




