ピエタ
一五〇六年春、ローマ、サン・ピエトロ大聖堂。
ローマ教皇アレクサンデル六世が、一枚の図面を見ている。ヴェネツィア製の上質紙に描かれているのは、サン・ピエトロ大聖堂の改築計画図面である。
設計者はドナト・ブラマンテという。彼の残した建築で有名なものは、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会だ。
あのレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』がある教会である。そこで二人は面識をもつことになる。
レオナルドが残した手稿のなかにも、教会堂のスケッチが残されている。
ブラマンテの残した設計図面では、上から見た時、十字の四本の腕が等しい長さになっていて、現在のサン・ピエトロ大聖堂とは異なっている。
この図面が実現することはなく、設計図のみがフィレンツェのウフィッツイ美術館に残されているという。
つまり、アレクサンデルのいる大聖堂は現在とはかなり違っていて、古ぼけたものである。しかし、当時のままの部分もある。
例えばアレクサンデルの居室はそのまま残っている。いくつかの続き部屋であるが、現在は『ボルジアの間』と呼ばれている。
アレクサンデルは死後、歴代最悪の教皇として嫌われていた。なので、彼の居室を使おうという教皇が出てこなかった。それでそのまま残されたらしい。
その続き部屋の一室にアレクサンデルと、小柄な男がいた。
「のう、ピントゥリッキオ、このあたりの天井画をお前が描いたらどうじゃろう。全体を雲が浮かぶ青空とし、そこに『創世記』の場面を描くのじゃ」アレクサンデルが言った。
「私は、もう年ですから、そのような難儀な仕事は無理でしょう」ピントゥリッキオと呼ばれた男が答える。『ピントゥリッキオ』とは、『小さな画家』という意味だ。小柄だからそういうにあだ名がついた。
この男の本名はベルナルディーノ・ディ・ベットという一四五四年生まれだから五十一歳になる。天井画は天井近くまで足場を作って仰向けになりながら描く。たしかに年寄りには辛いだろう。
しかし、アレクサンデルは彼の絵を好んでいた。五つある続き部屋の壁面や天井の絵はすべてピントゥリッキオが描いたものだ。
繊細な画風で、こまかな寓意や趣向がいたるところに施されている。よく見なければ画家の意図が読み取れないような絵だった。
アレクサンデルはそれらを読み取るたびにピントゥリッキオを呼び出し、自分の見立てを披露して自慢する。
例えば二人が居る『諸聖人の間』の天井には『聖カタリナ』がローマ皇帝を論破してキリスト教を守る絵が描かれている。
この絵の聖カタリナは教皇の娘ルクレツィア、ローマ皇帝はチェザーレの似顔絵である。
そんな仕掛けがいたるところにあるのだから、楽しい。
「無理だというのか」
「はい、この年では無理でしょう。それよりも若い者に命じた方がよろしい。たとえばフィレンツェのミケランジェロなどはいかがでしょうか」
「ミケランジェロ、知らんな。どんな作品がある」
「去年、フィレンツェで見事なダビデ像を造ったとのことで、すばらしい評判ですが」
「見たことのないものでは、判断できぬな」
「そうですか、それでは、その……。あ、そうじゃ、大聖堂のとなりのサン・ペトロニッラ礼拝堂の中に彼の作品がありますぞ」
「そうなのか」
「はい、フランス人枢機卿ジャン・ド・ラグロラの墓のピエタがそうです。覚えていらっしゃいますか」
「ラグロラならば、わしが任命した枢機卿じゃから覚えておる。あのピエタを造った男か。あれは、確かに見事な作品じゃ」
この像こそが現在『サン・ピエトロのピエタ』と呼ばれているミケランジェロの代表作の一つである。発注者はラグロラで、自分の墓に置くために、四百五十ドゥカートでミケランジェロに発注した。
ピエタとは『哀れみ』とか『慈悲』といった意味だが、キリスト教美術では『磔刑に処せられたキリストを抱く聖母マリア』を題材とした絵画や彫刻のことを言う。
静かな悲しみの中に、鬼気迫るものがあり、狂気すら感じるような作品だ。
実際に、これまでこの作品を目の当たりにして狂った男が二人出ている。二人は作品を毀損している。一七三六年と一九七二年のことだ。
聖母マリアの左手親指の付け根あたりに修復の後がみられるであろう。
一方で愉快な話も残っている。ミケランジェロの弟子にジョルジョ・ヴァザーリという男がいる。画家なのだが、彼が書き残した「画家・彫刻家・建築家列伝」で有名になった。
この本は、美術史の本であるが、噂話や逸話が豊富に書き込まれており、読むだけで楽しくなるような本だそうだ。筆者はまだ読んでいないが、この本からの引用は孫引きでフィレンツェの描写に使っている。
その中に、こんな話がある。
ミケランジェロがピエタ像を依頼主の墓に納めた直後、あの作品はクリストフォロ・ソラーリの作品だろう、という噂が立った。ソラーリも彫刻家である。
代表作はミラノの『ルドヴィコ・イル・モーロとベアトリス・デステの棺蓋』であろう。
ベアトリス・デステは、あのイザベラ・デステの実の妹である。
これを見ると確かに衣装の波打ちが似ているようにも見える。
しかし、ミケランジェロのピエタの衣装は、ダイナミックに波打っている。マリアの袖や胸、キリストの下にあたる裾の部分の迫力が違う。
この噂に怒ったミケランジェロは『若気の至り』に走る。まだ二十五歳だった。夜中に教会に忍び込み、マリアの胸のあたりの飾り帯に自らの署名を刻んでしまった。
作品の真正面の、最も目立つところだ。
MICHAELA[N]GELUS BONAROTUS FLORENTIN[US] FACIEBA[T]
[]で囲まれたところは、文字が欠けている。きっと酔っていたのだろう。『フィレンツェの人、ミケランジェロ・ブオナローティ作』という意味だそうである。
この署名は日本語版Wikipediaの高解像度画像でも読み取ることが出来る。
近現代と異なり、作品に作者が署名を残す、という習慣のない時代だ。とんでもない傷をつけたことになる。
ミケランジェロは後に反省し、二度とこのようなことはしない、と誓う。
なので、ミケランジェロの作品に残された唯一の作者の署名ということになった。
さっきまで感じていた神々しさは、どこへやら、である。
アレクサンデルに戻る。
「しかし、これだけの大聖堂を作るには、莫大な金が必要じゃ。フランスは最近渋くなってきている」
「そうですな」小さな画家が同意する。
「また、帝国で免罪符でも売るか、ヨハン・テッツェルとかいう、便利な男がいるらしい」
そういって、アレクサンデルが薬箱から丸薬を取り出して口に入れ、ワインで飲み下す。
「それは」画家が尋ねる。
「マラリアの薬じゃ、蚊に刺された時には飲むことにしている。これのおかげで命拾いしたのじゃ。大聖堂の改築となれば忙しくなる。金もたっぷり必要だ。病になっている暇はない。なんじゃ、不満なのか」
「めっそうもありません、猊下」
「そちも免罪符のことをよく思っておらんな。顔を見ればわかる」
「とんでもございません、私がそのようなことに意見を持つことはありません」
「まあよい。地上に神の国を現すのだ、神もお許しになられるであろう」
ピエタの聖母マリアの嘆きは、いずこ。




