平和条約
片田商店の工場は、アンモニア工場を筆頭にほとんどが淡路島に置かれている。これは保安上の問題だった。彼らが製造している物のいくつかは、有毒であったり、爆発性のものであったり、危険なものがある。
なので、そのようなものは管理がしやすいように島に集中させた。
危険性のないもの、たとえば味噌などは島に持って来ていない。豆蔵さんはあいかわらず堺で醤油蔵を経営している。
商店の活動の中心となる建物は、製造部門が洲本、造船部門が由良にあった。石英丸は洲本の事業所から出て、周囲の工場を回っていた。
幸い午前中のアンモニア工場の停止で操業に支障をきたす事業所はなかった。
安心して、洲本の片田商店に戻る。
事務所に戻ると、片田順がいた。片田も帰国してからほとんどの時間を洲本で過ごしている。
テレタイプ端末を電卓代わりにして、なにかを計算しながら、鍛冶丸と議論していた。
「ただいま帰りました」石英丸がいうと、二人が振り向いて返事をする。
「どうだった」
「生産に支障はないようです。それぞれ多少の在庫をもっているので、作業はとまりませんでした」
「それはよかった」鍛冶丸が言う。
「なにしていたんですか」
「うむ、海戦の際の損失や損耗、消費の計算をしていた」これは片田。
「どうでしたか」
「三回までの海戦ならば、なんとかなりそうだ」
「三回も海戦をしようとしているんですか」
「いや、念のためだ」
「大西洋での海戦は勝てそう、ということですね」
「そうだ、勝てない戦争を始めてはならない」片田が言った。
太平洋戦争を戦った片田にとっては、痛烈な教訓だった。
戦前、日本は勝つ見込みのない二つの戦争を同時にしていた。
一つは太平洋戦争で、もうひとつは日中戦争だった。
太平洋戦争については、日本とアメリカの工業品製造能力の差で、とうてい勝つ見込みがなかった。それでも始めてしまう。
吉田茂のこんな逸話がある。戦後処理をしていたマッカーサー元帥が吉田の所に抗議しに来る。
「日本の統計はいい加減で困る」
そのとき吉田がこう言い返したそうだ。
「もし日本の統計が正確だったら、無茶な戦争などしていなかった」
もうひとつの日中戦争、この小説では、一九三七年の盧溝橋事件からを日中戦争と呼ぶことにする。
勝つ見込みがないというのは、二つ理由がある。一つは中国大陸が広大すぎて、日本陸軍の手に負えなかったということだ。
もう一つは、自ら交渉の道を閉ざしてしまったことだ。交渉がなければ終戦にならない。
一九三八年一月十六日の『第一次近衛声明』のことを言っている。
「帝國政府ハ爾後國民政府ヲ対手トセス」といって、汪兆銘政権を建ててこれと交渉しようとしたが、中国国民がこれを是とするわけもなかった。
相手がいなければ、勝つも負けるもなかったことになる。相手に『負けた』といってもらわないと、勝ったことにならない。これは戦争でも、アメリカの大統領選でも同じである。
大統領選挙の場合、勝者は、相手の敗北宣言をもって、初めて勝利宣言を出す。相手が敗北宣言を出さないと、ややこしいことになる。
戦争ならば、両国が使節を出し、停戦条件を合意決定し、それを『条約』なり、『協定』なり、『宣言』なり、『合意』なり、『覚書』なりの文章にして初めて、戦争が終わる。
合意の内容に勝敗は書かないが、領土の割譲、賠償金の支払いなどの条文を読めば、どちらが勝利したのかは明らかだ。
石英丸や鍛冶丸は、このようなことについて、片田から学んでいる。
「海戦に勝ったとして、どうやって終戦に持ち込むんだ」石英丸が尋ねる。
「地上戦は、できないよな。ヨーロッパまで行って」鍛冶丸が後を続ける。
片田は、これまでそのことについて、あまり詳しく説明してこなかった。ただ海上決戦の後、ポルトガルの船がインド洋に出てこられないようにする、とだけ言っていた。戦争状態の継続、という意味だ。
戦争状態の継続といっても、戦闘をおこなっているとは限らない。日本とポルトガルは地球の反対側に位置していて、往来もない。
なので、これまでは不都合なことはほとんどなかった。
例えば、北朝鮮と大韓民国は朝鮮戦争のあと、平和条約を結んでいない。これは戦争状態の継続である。
日本も太平洋戦争のあと、一九五六年の『日ソ共同宣言』で国交が回復しているが、北方領土問題などで平和条約を結んでいない。広い意味で戦争状態の継続と言える。
しかし、日本がイングランドからオルダニー島の東半分を租借し、貿易で地中海まで進出している。
いずれ、ヨーロッパ大陸との直接交易も始まるかもしれない。
そうなったとき、戦争状態のままでいいのだろうか。
石英丸と鍛冶丸の二人はそう考えるようになっていた。逞しくなったものだ、片田がそう思う。
「もちろん、地上戦は出来ない。なによりヨーロッパは広い」
「では」
「もしかしたら、うまくいく方法があるかもしれない。確実ではないが」
「どうするんだ」
「いまは言えないが、そのためには福良に行ってレオナルドに会わなければならない」
「レオナルドって、子供達が『レオ達磨』って呼んでいる西洋人のことか」鍛冶丸が言った。
「『レオ達磨』と呼ばれているのか」片田の背筋が寒くなる。彼はもちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチが偉人であることを知っている。
洋の東西を問わず、子供は『物怖じ』しないものだが、それにしても、あまりに失礼ではないか。




