体力の限界
上甲板と舷側が接する部分を舷縁という。『衣笠』両舷の舷縁部に陸戦隊が潜んでいる。銃身を短くした小銃を抱えていた。
『衣笠』の上甲板にいくつもの鉤が投げ込まれてくる。
ポルトガルの接弦戦闘方法は、こうだ。
まず、鉄製の十字鉤にロープをつけて相手の艦に無数に投げ込む。そして、鉤が敵船のどこかに引っかかると、ロープを伝って相手の船に乗り込む。
甲板に到達した兵はファルシオンという直刀やダガー(短剣)で戦った。
一方、自船からは火縄銃や、舷側に設置したハンドガンという小口径の旋回砲で『斬り込み隊』を支援する。
甲板員が手斧を持って駆けだす。鉤についたロープを切り離すのだ。すべての鉤を外すことはできない。ロープを伝って登って来る敵兵を、舷縁に潜んでいた陸戦隊員が身を乗り出して小銃で射撃する。
接触が短時間だったので、一回目の『斬り込み』は失敗する。
上空から見ると、『衣笠』を先頭にして左右にガレー船の三角形が出来る。やはり『衣笠』の八ノットよりも、ガレー船の方が、わずかに高速だった。左右から寄って来る。
村上雅房の命令で両舷の方が白煙を吹く。砲弾が何隻かのガレー船にあたり、悲鳴が聞こえた。一弾は檣に当たったらしい、白地に赤の十字を描いた帆が船首めがけて倒れた。
「ガレーの全力櫂漕、何分ぐらい持つと思う」雅房が航海長に尋ねる。
「さて、長くても十五分か、二十分程度ではないでしょうか」航海長が答えた。二人とも瀬戸内海の水軍の出身だ。
後続の『りびあ丸』に接弦しようとするガレー船もあった。なんとか商船だけでも手に入れようと考えているのだろう。なかには、『衣笠』と『りびあ丸』を結ぶ錨索めがけて左舷から突入してくる船もいた。
何人かのポルトガル兵が『りびあ丸』の甲板に到達したようだった。商船といえども小銃や日本刀の用意はある。白兵戦が始まる。
錨索を断ち切ろうとするガレー船の帆めがけて『衣笠』の艦尾砲が散弾を発射する。
ポルトガルの赤い十字を描いた帆に散弾が当たり、雲散霧消した。
ガレー船が力を失い、後ろに流れていく。そして『りびあ丸』の左舷とりついていたガレー船に衝突する。
『斬り込み隊』の何人かが海上に落下した。
再度『衣笠』の両舷が白い煙に包まれる。砲弾が縋るように寄せてくるガレー船
を引きはがした。
そして、ガレー船漕手の体力に限界が来た。
少しずつ、ポルトガル船の速度が落ちてくる。ガレーの上では監督役が鞭を振るう。けれども、無駄だった。
最後に、ガレー船の船首から、いくつかのハンドガンが撃たれて、『りびあ丸』の左右に小さな水柱を立てた。
甲板上の『斬り込み隊』は、自国艦隊が引き離されてゆくのを見て、海中に飛び込む。
「なんとか、逃れることが出来ましたね」『衣笠』の航海長が言う。
「そうだな。艦を預ける。先行した船団に合流してくれ。私は『りびあ丸』と話してくる」艦長の村上雅房が言い、そして無線室に降りて行った。
『りびあ丸』の船長と航海長はボイラー爆発の時に船尾楼にいたため、全身に火傷を負っていた。船首付近にいた甲板長が助かり、現在『りびあ丸』を指揮していた。
「機関の様子はどうだ」村上雅房が甲板長に無線で尋ねる。
「機関を止めましたが、まだ下に降りていくことができません。機関室の様子は不明です」甲板長が答える。
「では、修理できるかどうか、わからないということだな」
「はい、実際にボイラーを見てみないと何とも言えないでしょう」
「それは、そうだろうな。では工作船の呼び出しは被害状況を見てからのことにしよう」雅房が答える。
そのあと、村上雅房はオルダニー島に状況を説明し、無線室から出た。甲板にはサイラスを囲む輪が出来ていた。
「サイラス、よくやったな」『衣笠』の甲板長が何度も言う。
「もういいよ。そんなに何回も褒められると、恥ずかしいよ」
「そうか、そうか、そりゃあすまん。ただな、上手くいったから白状するが」
「え、なに」
「実は、俺は巡洋艦から魚雷を発射することは無いだろうと思っていた」
「そりゃあ、そうだよね。魚雷艇から撃つもんだから」
「そうだろう、なので、おまえにはすまんが、いいかげんに担当を選んだ」
「そうなのか」
「ああ、サイラス、おまえ小銃射撃も下手だろう」
「まあ、そうだけど」
「なので、銛魚雷を使って『りびあ丸』を牽引すると決まった時に、少し慌てた」
「失敗すると思ったんだね」
「そうだ」
「だからあんなに親身になって一緒にやってくれたのか」
「任命責任というものがあるからな」
「なんだ。いい人だなあ、って一瞬だけど思っていたのに」
「成功したんだから、いいじゃないか」
インド洋で先に手を出したのは、片田商店だった。しかし、ポルトガル王国という国家が正面から戦闘を挑んできたのが、この海戦だ。
これは、後には引けないことが始まった、ということだ。




