りびあ丸
巡洋艦『衣笠』を先頭にして、その後ろを五隻の商船が一列縦隊で進む。村上雅房の命令で船団はわずかに左旋回し、スペインに近寄りながら海峡に進入した。
前方を見ると、海峡のもっとも狭い所に向けて両岸が迫っている。右にタンジールと思われる港が見えた。ポルトガルの港なので、彼らはそこに入港したことはない。
港内の動きを見るには遠すぎた。
左舷側にスペインのタリファ要塞が接近してくる。島まるごと要塞だ。船団が海峡の最も狭い所に入って行く。
タリファの砲台が発砲してくる。両者の間に水柱が立つ。マスト上の見張りが再び声を挙げた。
「はるか前方、右岸より多数の船舶。白帆が見えます」
次いで、後檣の見張りも叫ぶ。
「タンジール港より出航してくる船、約十隻、こちらに向かってきます」
「こりゃあ、本格的だな」村上雅房が、周囲に聞こえないように独り言をつぶやく。タンジールから出て来た艦隊にとっては追い風だ。
セウタから出て来た二十隻のガレー船が帆を張り、西風を受けて『衣笠』の前方で右から左に展開する。包囲するつもりなのだろう。
「航海長、どう思う」雅房が航海長に尋ねる。
「やつらの軍艦はガレーというやつでしょう。この風なら六か七ノットは出せるでしょう。帆と櫂の両方を使えば、恐らく十ノットから十二ノットは出せるかもしれません。乗ったことが無いのでわかりませんが」
「ということは」
「こちらは今十五ノットで進んでいます。一度突破してしまえば全船団が逃げ切れるでしょう」
「落ち着いていれば、大丈夫ということだな」
ヴァスコ・ダ・ガマは、横一線に並んだポルトガルのガレー船団の中央にいた。カタダ商会の船が縦一列になって彼の方に向かって来る。
あらかじめ決めていたとおり、左右のポルトガル艦が敵の針路に向かって網の目を狭めていく。後方からタンジールの十隻も追いかけて来ている。
ほぼ、予定した通りだ。敵船団を包囲しつつある。これは成功する、そうヴァスコが確信する。しかし、彼の位置からでは、片田船団の航走速度がわからなかった。
敵の船団は、いつも海峡を通過するとき、十ノットの速度だとされていた。十ノットならば、彼らのガレー船でも、帆と櫂を使えば出せる速度だ、そう思っている。
「なんか、五番船が、後ろからすごい勢いで走って来るよ」サイラスが言った。
「本当だ、何やっているんだろう」ベンヤミンが弟の言葉に答えた。
「ん、どういうことだ」甲板長が尋ねる。
「ほら、後ろをみてよ。五番船、すごい煙を吐いている」
甲板長が船尾楼に向けて叫んだ。艦長と航海長が背後を見る。船首の前に大きな波の峰を立てている。兄弟が言うように黒煙も他の商船より多い。
「あきらかに増速しているな。これはまずいぞ」雅房が言った。
「恐らく船長が怯えているのでしょう、タンジールから出て来たガレー船に追跡されていますから」
「どう思う、あの出力で走り続けられると思うか」
「ボイラーがもたないかもしれません。すぐに減速させた方がいいでしょう」
そう言っている間に、五番船が四番船を追い越した。この五番船の名前は『りびあ丸』といった。商船の名前は、片田が未来から持ってきた地図帳から付けられている。だいたい就役予定の近くの国の名前だ。
雅房が無線室に延びる伝声管を開き言った。
「船団各船に向け、発信。十五ノットを維持せよ、と伝えろ」
五番船に追い抜かれた四番船が、あわてたのか、増速を始めるが、やがて元の速度に戻った。無線が通じたのだろう。しかし、五番船の速度はそのままだった。
「再度発信せよ、『りびあ丸』十五ノットに減速せよ、だ」
それでも『りびあ丸』は減速しない、次々と商船を追い抜き、ついに『衣笠』の背後に追いついてきた。村上雅房が艦長を無線に呼び出せといったが、だめでした、と回答があった。
「なにやってんだ。おい、取舵だ、『りびあ丸』の船首を押さえる。頭を冷やしてやる」『衣笠』艦長の村上雅房が命令した。続いて言った。。
「各商船に発信。当艦は『りびあ丸』の針路を横断する。各船は今の針路、十五ノットを維持して進め、敵ガレー船は十五ノットを維持できない。突破できるはずだ」
しばらくして、五隻の商船から命令受領の返信が来た。ただ『りびあ丸』の通信士は船長が従わないと返信してきた。
最近はそれほどでもないが、通信の発達していない時代には、船長は船内で絶対の存在だった。外部から隔絶され、何日も、時には何週間も孤立する船では、船長が王となりリーダーシップを発揮しないと全滅する。
なので、この場合にも船員達は船長に逆らえない。
その時だった。斜め後ろに迫る『りびあ丸』の上甲板が白い煙に覆われた。
「ボイラーの水蒸気だ。破裂したぞ!」サイラスが言った。無色透明の水蒸気が露天甲板に出たとたんに凝固して白煙になった。
『りびあ丸』が突っ伏したように減速する。その前を『衣笠』が横切る。




