レンヌ=ル=シャトー
レンヌ=ル=シャトーは、フランス南部の小さな村の名前だ。ピレネー山脈の山裾が始まるあたりにあり、スペインにも近い。
一八八五年、この村の教会に一人の司祭が赴任してきた。
名をベランジェ・ソニエールという。
ソニエールはしばらくの間、教区司祭として倹しく務めを果たしていたが、ある時大金を手にしたらしい。
まず、彼の勤める教会の改装を始めた。そして近くに邸宅と、図書館として使用するための塔を建設する。
いずれも多額の費用が必要な事業だった。
ソニエールが出所不明の資金を元に派手な建築計画を進めたことに対して、彼を監督するカルカソンヌ司教区が不審に思い、彼を別の教区に転任させる命令を出した。
しかし、ソニエールはそれを拒否し、教会からの任命を伴わない自由司祭となって、レンヌ=ル=シャトーに留まることになり、同地で一九一七年に亡くなっている。
彼が教会や自宅を建設するのに費やした費用を現在の通貨に換算すると一五〇〇万ユーロ程になるという。現代の価値としては、一ユーロ一五〇円とすると二十億円前後になる。
ここまでは実話だ。しかし、その資金の出所は現在も不明のままで、いろいろと尾鰭の付いた物語が作られることになった。
「たぶん、わしに分かると思う」ベレンガーリオ・サウネイロが言った。
「どういうことだ」ジロラモ・サヴォナローラが尋ねる。
「まず、この羊皮紙に文を書いた男の事を考えてみよう」
「教養の無い男、っていっていたな」片田が言う。
「ああ、おそらくな。たぶん騎士に仕える軍曹の誰かであろう」
セルゲンテスとは騎士団の構成員であるが、騎士ではなく平民出身の者たちだった。鍛冶や外科医などの専門職を持つ者だったり、戦闘員だったり、いろいろなセルゲンテスがいた。
英語で軍曹を意味するサージャントの語源となった言葉だ。
「テンプル騎士団の逮捕は、用意周到なもので、フランス全土同時に一網打尽にしたと聞いているが」と、ジロラモ。
「名も無い者達であれば、網の目を逃れた者もいるであろう」
「まあ、そうかもしれん」
「わしは、この文字を書いた者は、騎士団総長のジャック・ド・モレーから、なにか大事な物を託されたのだと思っている」
「それで、モレーの時祷書、ということか」
「そうだ、本人の時祷書を預けられるということは、名代のようなものだ」
「ふうむ。それは、そうであろうな」
「で、テンプル騎士団にとって重要な物を預けられ、フランスから逃亡しようとした」
「それはありそうなことだ」
「あまり、大きな物は運べないよね。宝の地図かなにかかな」シンガが言った。
「それは、あまりに空想的だろう」片田がそれに答える。
「なにを持ち出したかは、ともかく、テンプル騎士団の一斉検挙は一三〇七年の一〇月一三日早朝だった。そして、翌月の十一月二二日には、教皇が全キリスト教君主に騎士団逮捕の指令を出している」これは、ベレンガーリオ。
「帝国、フランス、スペイン、イングランド、ポルトガル、イタリア諸都市、すべてにだ。生きたここちがしなかったであろうな」ジロラモが答える。
「まさにそうだ。ヨーロッパに逃げ場が無くなる」
「自分が、この羊皮紙の著者だったらどうするであろうか」
「さて、どうする」
「当時であったなら、スコットランドに行くかもしれん」ジロラモが言う。
「スコットランドが『教皇の特別な娘』だからか」
「いや、逆だ。一三〇七年といえば、前年にブルース(ロバート一世)がスコットランド王位に即位している。イングランドはブルースを反逆者だとした。ローマ教皇庁はイングランド側についた」
「つまり、この年には、スコットランドは教皇庁と断絶状態だったというのか」
「そうだ。だからテンプル騎士団員が逃げ込むには、都合のいい場所だった」
「なるほど、そうかもしれんな」ベレンガーリオがジロラモに同意する。
スコットランドが『教皇の特別な娘』である、というのは中世のスコットランド教区教会が、ローマ教皇直属の特別保護領だった。そのことを表す言葉である。
当時、イングランドはスコットランドを服属させようとしていた。そこでスコットランドは、イングランドのカンタベリー大司教やヨーク大司教の支配下にはいることを拒んだ。
そのため、ローマ直属の教区になったのだった。
「スコットランドかどこか、知らないが、ともかくも彼はどこかに潜伏していた」とベレンガーリオが言う。
「この『モレーの時祷書』がポルトガルに伝わった、ということは彼は成功したんだろうな」
「おそらくそうだ。しかも彼のメッセージも添えられている」
「そのとおりだ。わしは彼のことを先ほど『教養の無い男』と呼んだが、なかなかどうして、たいした男だったようだ」
「しかし、そのメッセージがこれではな。なんのことかさっぱりわからん。なにかの暗号なのか、それとも回文なのか」ジロラモが言う。
「そうでもないぞ、彼の置かれた立場を考えてみるがよい」と、ベレンガーリオ。
「どういうことだ」
「彼は、暗号を使うとか、アナグラムを使うなどという余裕はなかったはずだ」
「確かに、ほとんど着の身、着のままで脱出したんでしょうね」シンガが言う。
「そうだ、一斉検挙があったとき、おそらくパリのテンプル塔にいたんだろう」
「そして、ジャック・ド・モレーの指示を受けて、なにか重要な物と、時祷書を持って脱出した」
「そうだ」




