テンプル騎士団
ポルトガル船隊がオルダニー島を威力偵察してから、しばらくたった。
別のポルトガル人が同島にやって来ていた。ベレンガーリオ・サウネイロという騎士だった。
ジロラモ・サヴォナローラに会いたいと言ってきた。
大陸にはサヴォナローラを嫌う者がいる。当初は警戒して島の中央にある市場で会った。『キリスト騎士団』の団員だと言う。
「わしに何の用だ」ジロラモが尋ねる。
「変わった信仰を語る男なので、会ってみたかったんじゃ」四十代くらいの男が答える。
「宗教上の議論ならば、水掛け論になる。やめておいたほうがよいぞ」
「わかっている。おぬしのせいで、いま大陸は大騒ぎじゃ。学者や学生が騒ぎ出した。最近は農民や小領主まで不穏な動きを見せている。先日はジッキンゲンというドイツの騎士が教会領を占領してしまった」
「ローマに騙されていることに気付いただけだ」
「そのとおりかもしれん」
「ならば、何だ」
「なに、世間話をしにきただけさ。まず手始めに私が属するキリスト騎士団の話でもしようか」
『キリスト騎士団』とは、キリスト教の騎士団の一つで、テンプル騎士団の流れをくんでいる。
テンプル騎士団とは、第一回十字軍が獲得したエルサレムへの巡礼者を保護するために、同地に設立された防衛隊である。
騎士団はやがて教会の資金管理を行うようになる。また、従軍者が故郷の騎士団に金を預け、エルサレムで同額の金を受け取るという預金業務のようなことも始めた。
そして、『シャンパーニュの大市』を中心とした、中世ヨーロッパで初期の大規模な銀行ネットワークのひとつを作り上げる。
ヨーロッパと中東に十以上の管区を持ち、農産物を現金化した。信仰を集め、多くの寄進も集めた。
それらの蓄財により、さらに農園を拡げ、やがて自前の艦隊を持ち、キプロス島を所有した。
十二世紀にはフランスの国庫を預かるまでになっている。
十三世紀、エルサレム王国のアッコンが陥落すると、聖地の防衛隊としての役割を終える。
テンプル騎士団の役割は財務機関になった。そして一三〇七年十月十三日金曜日、フランス国王フィリップ四世がテンプル騎士団員の一斉逮捕を命じた。
罪状は異端その他だった。
テンプル騎士団の荘園やその他の不動産、現預金などの資産はすべて『聖ヨハネ騎士団』に移管される。
フィリップはローマ教皇に詰め寄り、公会議を開き、フランス以外の国においてもテンプル騎士団の禁止を通知する。
このときポルトガルはこの通知に従わなかった。
ポルトガルのテンプル騎士団管区は同国のレコンキスタと、戦後の復興に貢献していた。
ポルトガル王ディニス一世は国内のテンプル騎士団を再編して、『キリスト騎士団』とし、これをローマ教皇に承認させた。
キリスト騎士団は、別法人ではあるものの、テンプル騎士団の後継者だった。
「と、いうわけさ」ベレンガーリオが得意そうに言った。
「しかし、一三〇七年にフランス王はなぜ、テンプル騎士団を禁止したのじゃ」
「二百年も前のことだ。よくわからんが、恐らくテンプル騎士団に対する借金で首がまわらなくなったんじゃろう」
「それだけのことで、あの巨大だった騎士団を解散させたのか、借金を踏み倒すためだけのために」
「おそらく、そうだ。当時フィリップはフランドルをめぐってイングランドと争っていたからな」
「断言するとは、なにか確証はあるのか」
「いや、ない。ただ他に理由がみつからないだけだ」そういってベレンガーリオが笑う。
ベレンガーリオはそれからも頻繁にサヴォナローラのところにやってきては、とりとめのない話をしていった。なんでも、オルダニー島の西の宿屋に逗留しているらしい。
ジロラモが、宿賃はどうしているのだ、と尋ねると、金は十分に持っているのだ、と答える。
ポルトガルのスパイなのか、と疑ってみるが、それらしい様子もない。彼らはやがて、オルダニー島東部の、サヴォナローラの部屋で話すようになったが、道中、日本人の工場や施設などにも関心を持たなかった。
やがて、片田順やシンガとも面識を持つようになる。
ある日、ベレンガーリオが三人に言った。
「明日の昼過ぎ、わしはまた来るが、その時にご足労だが、ジロラモ殿だけではなく、片田殿とシンガ殿も来てくれぬか。見せたいものがある」
翌日四人がサヴォナローラの部屋に集まる。
「見せたい物とは、これじゃ」そういって袋の中から一冊の本を取り出した。
「これは、なんですか。本のようですが」シンガが尋ねる。
「時祷書というものじゃ。キリスト教の祈りの言葉などが書かれている」
そういって、開いて見せた。
「手書きなんですね。それにきれいな絵も描かれている」
「そうじゃ。いまから二百年前のものじゃから、まだ印刷術はなかった」
「二百年も前の物ですか。よく残っていましたね」
「この時祷書には由緒があるのじゃ。キリスト教騎士団で代々保管されてきた」
「それを持ち出したんですか」
「わしは、これでも騎士団の士官じゃ。持ち出すことはできる」
「どういう由緒なんでしょう」
「一三〇七年十月にテンプル騎士団員が一斉検挙された。これは当時の騎士団総長、ジャック・ド・モレーの時祷書じゃ」
「騎士団の本部はフランスのパリにあったはずじゃ、それがなんでポルトガルにある」ジロラモが驚く。
「それが、到来の縁起は残っていないのじゃ。しかし、時祷書の表紙の裏にジャック・ド・モレーの署名がある。彼の署名はポルトガルの騎士団にも幾つか残っているので本人のものだと確かめられておる」




