麦畑 (むぎばたけ)
西暦一五〇五年五月下旬。フランス、シェルブール。
五月下旬といっても、北緯五十度付近である。まだ風は冷たい。日本付近で同緯度といえば、北海道より北の樺太あたりである。ジューン・ブライドという言葉があるとおり、この緯度で良い季節は、六月を待たなければならない。
シェルブールはコタンタン半島の先端にある要塞都市である。イギリス海峡に突き出た半島の先端は、イギリスから見れば、橋頭保を築くには格好の上陸地点だった。そこでフランスとしてはここの防備を固めなければならない。
本格的に大規模な要塞化が進むのはルイ十六世やナポレオンの時代だが、対イギリスの備えとしては十四世紀の百年戦争期から防備の整備が始まっている。
そのシェルブールの港に三隻のポルトガル船が入港してきた。
フランスの港湾吏が上甲板に上がって来て尋ねる。
「ポルトガルの船か、病人はいるか」
「三隻とも病人はいない」
「念のため、確かめるがいいな」
「むろんだ」
この処置は、伝染病予防のためだった。検疫という。もし病人が発見されたときには、港の入口のところで四十日待機しなければならない。その間の食料と水は港側から提供される。このことは、以前に書いた。
四十日の間に全病人が回復すれば上陸が許可される。その反対に全員が伝染病に感染しても、港側にできることはない。自暴自棄になった船員が上陸を試みないように警戒し、放置する。最悪の場合、乗組員全員が病で死亡することもあるかもしれない。その場合には残された船を沖に引っ張ってゆき、漂流させる。これが quarantine 『検疫』の語源だ。イタリア語の『四十日』quarantinaが語源になっている。アジアから来る黒死病などの伝染病に対する検疫を始めたのがイタリアのヴェネツィアやジェノバだからだ。
もしかしたら、この放置された伝染病船が幽霊船伝説の起源のひとつかもしれない。
検疫が終わる。病人はいなかった。
「シェルブールには、何をしに来たんだ」
「胡椒を売りに来た。本国の市場だけではさばけなくなったんだ」
「なるほど。しかし、胡椒を売るのであれば、ル・アーブルに行くべきだろう。ここは田舎の港だ」
ポルトガルの胡椒がさばききれなくなった、というのは嘘ではない。後にポルトガルは胡椒を本国で陸揚げせず、直接フランドル地方のアントウェルペンなどに持ち込むことになる。
一方、港湾吏の行っていることも正しい。シェルブールは軍事的には要衝だが、商業港ではない。背後に大都市があるわけではなかった。
一方のル・アーブルはセーヌ川の河口で、上流にはルーアン、パリがある。
胡椒を持ち込むのならば、ル・アーブルであろう。
「それが、沖でナオ一隻の舵の効きが悪くなった。それで、修理がてらこの港に入ることにした。ここで修理している間に胡椒がさばけるのならば、それでもいいかと思ったのだ」
「ル・アーブルより安くなるかもしれんぞ」
「多少まけるくらいならば、いいだろう。しかし、ここの港の市民は、ルイ王の勅許状により非課税だと聞いているぞ。胡椒を購入する余裕があるんじゃないか」
「抜け目ないやつだ」そう言って港湾吏が笑った。
「いいだろう、入港して舵の修理をすることを許可する。胡椒を販売することも認めよう」
『ルイ王の特許状』とはフランス王ルイ十一世が一四六四年二月六日にシェルブール市民に対して発行した特許状のことである。
これには、シェルブール市民を恒久的に王国税から免除する代わりに、シェルブール要塞の保守と防衛を担うことを定めていた。
なので、シェルブール市民は、胡椒をいい値段で購入する余力があるのではないか、そうポルトガル人が思ったということだ。余所より裕福なんだろう、と言われて嫌な気になる者はいない。
それから十日程ポルトガル船がシェルブールに停泊した。彼らは実際に胡椒を市場に出して、売ることもした。なにもおかしくない。
ポルトガル船隊は二隻のナオと一隻のカラベルだった。ナオは当時としては大きい船で四百トン級だ。
それぞれ「フロール・デ・ラ・マール」「マダレナ」という船名だった。史実では三月にフランシスコ・デ・アルメイダが率いる第七次インド派遣艦隊に参加することになっている。
二隻に随伴してきた小型のカラベルは「サン・ジョルジュ」という船名だった。
十日目に嵐がやってくる。嵐は夜のうちに過ぎ去り、翌朝は、まばらな雲が東から西に流れていた。
「待っていた風が吹いた。我々はポルトガルに帰国することにする」ポルトガル船の船長が港湾吏に告げ、冷たい早朝の風を受けて、イギリス海峡に向けて出港した。
イギリス海峡のあたりは、年間を通じて偏西風が卓越する。晩春の今の時期でも、南西の風であることが多い。ポルトガルに帰るのであれば、東風というのは都合がよい。
シェルブールの港湾吏は、なんの疑いも無く、彼らの出航を見送った。
しかし、彼らは、ただフランスに胡椒を売りに来たのではない。ここから彼らの真の目的が始まる。
港を出て西に向かう。船隊はやがて、コタンタン半島の先端、ラ・アーグ岬に近づく。左舷側の陸地は、海岸のすぐ側まで麦畑が地平線まで広がっている。
肌寒い青灰色の海面の向こうに砂浜を挟んで緑の麦畑が広がっている。
五月末のこの時期には麦の穂が出始めている。昨夜の嵐の余波で風はまだ強い。その風で麦畑が緑の海洋のように波打っている。
葉はまだ緑だが、朝日が反射すると、少し黄金色に光り始めている。
麦の海原が切れる。半島の先端に達したのだ。その向こう、わずか十海里(十八キロメートル)先に、イングランド王室領のオルダニー島が見えた。
小型のカラベル船に乗っているヴァスコ・ダ・ガマと、フランシスコ・デ・アルメイダが緊張する。
さて、カタダ商会の艦隊は、どのような出方をしてくるのか。




